第33話 青木ヶ原樹海ダンジョン⑤

 よく見れば、洞穴内に、うっすらと、赤い色の霧のようなものが充満している。


 あれがきっと、リコさんが生み出した「毒」なのだろう。


 俺も、母神三姉妹も、その毒を吸い込んでしまったのだ。


「逃げましょう、カンナさん。解毒剤はあるので、外に出たら、すぐ治療しますね」

「リコさんは……平気なんすか……?」

「私は大丈夫です。スキルの効果は、私には作用しないから」


 リコさんは俺のことを肩車し、外へ連れ出そうとしてくれる。


 だけど……このままでいいわけがない。


「攻撃を中断してくれ……リコさんが、人殺しになっちゃう……」

「何を言ってるんですか。カンナさんが先に殺されかけたんですよ」

「それでも……こんなのは、ダメだ……」


 俺は震える声を懸命に絞り出す。


「たくさんの人が、俺達の配信を見ている……そんな中で、人が人を殺すところなんて、絶対に映したりしたらいけないんだ……」

「……!」


 リコさんは立ち止まり、しばし逡巡している様子だったが、やがて大きくため息をついた。


「わかりました。私だって、人殺しにはなりたくないですから」


 そうして、またもや胸の前で祈るように手を合わせる。


 すると、赤い毒の霧は、リコさんの手の中へと一気に吸い込まれていき、影も形も無くなってしまった。


 後には、地面に倒れてもがいている母神三姉妹がいる。


 彼女らのそばに寄ったリコさんは、カバンの中から薬の入った瓶を取り出し、三人に飲ませてやった。


 ついでに、最初に襲撃してきた男にも、同じ薬を飲ませる。


「これで、一時間もすれば回復するでしょう」


 そう言って、また俺のところへ戻ろうと、リコさんが歩き出そうとした、その瞬間だった。


 ガイアが早くも立ち上がった。


「う、うそ……⁉ まだ起きれるはずがないのに!」

「あいにく、私はそんじょそこらの奴らとは根性が違うんでね」


 タンクトップからはみ出ている上腕が盛り上がり、すさまじい筋肉量を見せつけてくる。


 さらに、キュベレイも立ってくる。


「まちゃか……わたちと同じようなスキルを持っていりゅなんてね」


 キュベレイの手には、注射器が握られている。オレンジ色の液体が入っているが、果たしてあれは毒か、薬か。


 と思っていると、キュベレイは、ガイアの腕に、注射器をいきなりぶっ刺した。


「これがわたちのスキル……! 『天使の応援エンジェル・ドーピング』!」


 たちまち、ガイアの筋肉は、さらに二倍近く膨れ上がった。もはやタンクトップも弾け飛びそうな勢いである。


 ガイアは、両目を血走らせて、ブルオオオオと猛牛のような唸り声を上げた。


 そして、リコさんに向かって、猛然と突っ込んでくる。


「リコさん、危ない!」


 俺は地面に手をつき、リコさんの目の前の足元から、壁を出現させた。これで敵の進路を妨害できるはずだ。


 リコさんは俺のほうへ向かって駆け寄ってくる。


 その背後で、壁が粉砕された。


 ガイアがワンパンチで叩き壊したのだ。


(あんなパンチ食らったら、ひとたまりもない!)


 リコさんと合流した俺は、ガイアとの戦闘を放棄して、洞穴の入り口を目指して逃げようとした。


「おやおや、これはいったい、何が起きているのかな」


 そのタイミングで、ゲンノウが、俺達のいる空間へと姿を現した。


「ゲンノウさん! ここは危ない! 引き返して!」

「おや、どうしてだい?」

「俺はいま、命を狙われているんです! 一緒にいたら、巻き添えを――」


 そこまで言いかけて、俺はハッとなった。


 ゲンノウはなぜか一人だ。ナーシャとともに行動していたはずなのに。


「……ナーシャは、どこですか」

「さあ、知らないなあ。途中ではぐれたよ」


 背後から、ガイアが咆哮を上げて、ドスンドスンと近寄ってくる音が聞こえる。だけど、俺は聞かずにはいられなかった。


「本当に知らないんですか? まさか、ゲンノウさん、あなたも……」


 俺は、この人のことをよく知らない。


 ひょっとしたら、ゲンノウもまた、俺の命を狙うDライバーの一人かもしれない。


 だとしたら、ナーシャは、もしかすると……


「ふむ、どうやら何かを疑われているようだが、私は違うよ」

「どうやって、それを証明するんです」

「行動で示すさ」


 そう言うやいなや、ゲンノウは俺の脇をすり抜け、背後から迫ってくるガイアに向かって突撃していった。


「ハッ! 私とやろうっていうのかい!」

「君みたいな力自慢は、かえって倒しやすいんだ」

「ほざけ!」


 ゴウッ! と風を巻き、ガイアのストレートパンチがゲンノウの顔面を捉えた。


 かと思った。


 ところが、ゲンノウは紙一重でガイアのパンチをかわすと、相手の腕を掴み、そのまま殴ってきた勢いを利用して、思いきり後方へと投げ飛ばした。


「うおおおおお⁉」


 背中から、岩の地面に叩きつけられ、ガイアはのたうち回る。


「ほんの少し、合気道をかじっているんでね」


 スーツについた埃をパンパンと払い、ゲンノウはフッと微笑んだ。


「姉者ーーー! よくもやりやがったなあ!」


 ここに来て、次女のレアーもようやく立ち上がり、ゲンノウへと攻撃を仕掛けてくる。


超速突破オーバードライブゥ!」


 目にも止まらぬ速さで、ゲンノウとの距離を詰めるが、しかし、その攻撃もまたゲンノウは完璧に読み切っていた。


「スピード任せでは、私には勝てないよ」


 レアーの体当たりを、横にさばいてかわすと、これまた相手の体を掴んで、ポーンと軽やかに宙へと投げ飛ばした。


「ぎゃ!」


 岩壁に叩きつけられたレアーは、崩れ落ち、うずくまったまま動けなくなる。


「え……? え……?」


 三女のキュベレイは、自身の戦闘力はそれほど無いんだろう。姉二人が倒されたのを見て、オロオロとうろたえている。


「すご……」


 格好良く仁王立ちしているゲンノウの後ろ姿に、俺は引きつけられるものを感じ、思わず食い入るように見つめてしまう。


 スキルを使うまでもなく、身体能力だけで、敵を圧倒している。


 こんなDライバーになってみたい、と憧れを抱いてしまうほど、ゲンノウの戦いぶりは格好良かった。

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