第18話 江ノ島ダンジョン②

「ちょっと」


 グイッとナーシャが俺の腕を掴んで、引っ張ってくる。そして、耳に囁きかけてきた。


「なに、あいつらと仲良く話してるのよ。体制側の人間よ。私達Dライバーの活動を規制しようとしている、敵なのよ」

「いや……別に俺は敵対する気はないんだけど」

「しっかりしてよ! 気を許せば最後よ、あいつらの目の前でヘマでもしたら、それこそ規制強化のネタにされちゃうわよ!」


 そんな風に俺達がやり取りしているのを、何話しているんだろう、と言わんばかりにチハヤさん達は見守っていたが、やがて、シュリさんが肩をすくめた。


「こんなところで時間潰してる暇はねーぜ、課長。さっさと先へ行こう」

「そうですね。行きましょう」


 チハヤさん達は先行して歩き始めた。


 俺もつられて歩き出そうとしたが、またもやナーシャに腕を引っ張られて、止められた。


「なんだよ」

「あのねえ、少しは考えてよ。あいつらと一緒にいたら、自由に活動できないでしょ」

「そこまで邪魔してくるかなあ」

「うっかり配信画面に、あの人達が映り込んだりしたら、肖像権がどうのとか言って、配信動画を取り消すように言ってくるわ。そんな面倒事に巻きこまれたくないでしょ」

「なるほど、その可能性は考えてなかった」

「でしょ。だから、近付かないに越したことはないの」


 ナーシャの言うことには理がある。俺は素直に従い、しばらく橋の中間地点で待機していた。


 しばらくして、チハヤさん達が江ノ島に到達したのを見届けてから、あらためて俺達は移動を開始した。


 5分ほどで江ノ島の入り口に到達。


 けっこうな急坂が、目の前に伸びている。観光で歩く分には、そこまで大変ではないだろうけど、問題は、すでにここがダンジョンの中である、ということだ。


 ランクはD。危険度はそこまで高くないけど、等々力渓谷ダンジョンのような例もある。ダイダラボッチみたいなSランク級のモンスターが現れないとも限らない。


 俺とナーシャは、用心しながら、急坂を上っていく。


 すると、道の左右から、甘えるような鳴き声が聞こえてきた。


「にゃー」

「みゃー」


 これは、猫⁉


 いや、ダンジョン内にいる猫だ。普通の猫ではないかもしれない。


 身構える俺の横で、ナーシャはプルプルと震えている。


「ナーシャ、ガトリングガンを用意しろ。おい、聞こえてるのか、ナーシャ」


 声をかけても、ダメだ。全然反応が無い。


 おかしい、と思って、ナーシャの顔を見てみると――


「は……?」


 彼女は、ニヘラァと気味の悪い笑顔を浮かべている。いつもの凜ッ! とした佇まいからは想像も出来ないほど、放送禁止レベルで崩れた顔だ。


「猫ちゃあああああん♡」


 素っ頓狂な声を上げ、ナーシャは右のほうにいる黒猫へと駆け寄った。


「おい! 迂闊に触るな! モンスターかもしれないんだぞ!」

「だって、だって、猫ちゃんだよ、猫ちゃん」


 ハアハア、と涎を垂らさんばかりの勢いで、ナーシャは主張してくる。


「この世界で最も可愛い存在があるとしたらそれは猫ちゃんなんだよ。間違いない、世界が生み出した天使の動物よ。この子達がいてくれるお陰で、人間の心が平和になるの。平和にならない人間がいるとしたら、それは猫を愛せない人間よ。そんな奴は万死に値するわ。とにかく猫ちゃんは、いついかなる時でも、大事、大事に甘やかすべき生き物なの。わかる?」

「あ……うん……」


 ものすごい勢いでまくし立ててくるナーシャを前に、俺はそれ以上何も言えなくなり、適当な相づちを打つことしか出来ない。


 ふと、気が付けば、あっちもこっちも猫だらけだ。


 坂道の両脇には、かつて商店だった廃屋が建ち並んでいる。その廃屋の中から、屋根の上から、建屋の陰から、ゾロゾロと猫の群れが姿を現した。


「ひぎいいい! 猫ちゃんメガ盛り! 私、ここで死んでもいい!」

「死ぬな! 落ち着け!」


 俺は素早く周囲へと目を走らせる。


 この猫の数は異常だ。どう考えてもまともではない。何か、悪いことが起きる。そんな予感がする。


「うわあああああ!」


 坂道の上のほうから、悲鳴が聞こえてきた。


 見ると、Dライバーの一人に、猫達が群がっている。肩や頭の上や背中に乗っかり、ミャアミャアと大合唱だ。


「よせー! 離れろー! ひい! そんなところを舐めるな! あいでで! 爪立てるな、爪ぇ!」


 抵抗虚しく、Dライバーは猫の津波にドドドと押し寄せられ、飲み込まれてしまった。


 そのまま猫の大群は、坂の上から俺達の方へ向かって進撃してくる。


「まずい! 脇へ逃げるぞ!」

「ええー! 私も猫ちゃん達に飲み込まれたい!」

「地味に死ぬからやめろ! いいから、早く、こっちへ!」


 裏道に入り、猫達の襲撃をかわしながら、ひたすら先へと突き進んでいく。途中から道はなくなり、わけもわからぬまま茂みの中を通っていく内に、気が付けばグルリと迂回していたのか、元の坂道へと戻っていた。


 猫の大群は、坂道の下のほうに固まっている。俺達が道へ飛び出してきたのを見て、ミャアミャアと騒ぎ始めた。


 俺とナーシャは、坂道の終わりにある大鳥居をくぐってから、左右を見た。


 ここへ来る前に見ていた地図を思い出す。岩屋の方には、右へ行けば辿り着くはずだ。


「行くぞ! 全速力で!」

「あーん、猫ちゃん……」

「帰ってからペットショップに行って、買ってもらえ!」


 名残惜しそうにしているナーシャの手を引き、俺は猫の群れから逃げるように、大鳥居を後にした。

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