第19話 江ノ島ダンジョン③
天気は快晴。大海原と青い空を背景に、島の外周に沿って道を進んでいく。ダンジョン配信のことがなければ、泳ぎたいくらいだ。
《:ナーシャたんの水着回希望!》
《:ばーか、ナーシャたんはいつも水着のような格好だろ》
《:眼福、ごっつぁんです!》
相変わらず、ナーシャの視聴者コメントがやかましく飛んでくる。配信機材から流れ出てくる、あの音声、よく鬱陶しく感じないな、と感心してしまう。
「あの……」
ナーシャは顔をうつむかせながら、ボソリと小声で話しかけてきた。
「ん?」
「いつまで……こうしてるの」
何のことだろう、と思っていると、視聴者コメントが飛んできた。
《:手、手》
《:お前いつまでナーシャたんの手を握ってんだこらああ》
あっ、と気が付いた俺は、ずっと引っ張ってきていたナーシャの手を、ようやく今になって放した。
まずいことしたなあ、と反省する。1万人の視聴者がいる人気女性配信者だというのに、気安く、その手を握ってしまっていた。
ナーシャは怒ってないだろうか、と気になったが、当の本人は、それよりも、もっと別のことが気になっているようだった。顔を耳まで真っ赤にして、モジモジしている。
「どうしよう……」
「何かあったのか?」
「配信回していたのに、みんなの前で、猫相手に取り乱しちゃって……」
「あー、あれか。別にいいんじゃないの。好きなものは好き、って言えば」
「だけど、私、クールに黙々とダンジョン攻略するキャラで売っていきたかったのに! これじゃあ、まるで、アイドルDライバーみたいじゃない!」
確かに、あんな風に自分の好きなものを前にしてはしゃぐ姿は、これまでのナーシャらしくないものだ。でも、それだけに、チャンスかもしれない。
「いっそ、その路線で売ってみたら?」
「は? はあ⁉」
「ナーシャって、けっこう真面目で、ストイックなところがあるだろ。そこに惹かれているファンも多いと思うけど、そのやり方だとすぐ頭打ちになると思うんだ」
「視聴者108人の人に言われたくないんだけど」
「俺は、ほら、機材の問題もあるから」
と、ずっと片手に持っているスマホを掲げて見せた。
「とにかく、ナーシャに足りないのは、個性だと思う」
「個性なんて、ダンジョン配信にはいらないわよ。モンスターをスカッと爽快に倒す姿さえ見せられれば、それでいいの」
「じゃあ、聞くけど、この間の等々力渓谷ダンジョンから、視聴者数ってどれくらい増えた?」
「そ、それは……」
「実は俺、ナーシャの登録者数の推移を調べていたから、わかってるんだ。等々力渓谷ダンジョンで51人減って、竜神橋ダンジョンで103人減った。このペースだと、これから先も登録者は減っていくだろうな。自分でもよくわかってるだろ?」
「う……ん」
「理由はいくつかあると思うんだ。一つは、あれらのダンジョンで苦戦している姿を見せたから。登録者の中には、ナーシャが敵を薙ぎ倒す姿を見たい、っていう人もいるだろうけど、それが叶わないとなれば、離れていくと思う」
「もう一つは?」
「あとは、単純に飽きる。特に視聴者へのサービスをすることもなく、ひたすらダンジョンを歩いて、モンスターと出会ったらガトリングガンを撃って、また歩いて……だと、見ていてつまらないだろ」
この俺の言葉を受けて、コメントが怒濤の如く押し寄せてきた。
《:ナーシャたんの配信は面白いぞ、取り消せ!》
《:威張って言えるほどの登録者数じゃねーだろ、お前は》
《:いや、でも一理あるな》
《:ねーよ》
《:まあ、正直、デビューしたての頃の輝きはなくなってきた、というか、マンネリ気味だよね。等々力渓谷みたいな弱モンスターばかり出てくるところだと延々と雑魚モンスターを狩るだけだし、竜神橋の時みたいな強いモンスターが出てくると実力不足で勝てないし》
《:アンチ返れ》
《:言うほどアンチか? 今のはよいファンだと思うけど》
《:でも、ナーシャたんがアイドルDライバー化したら、やだなあ。ストイックに戦う姿が美しいのに》
《:大事なのは俺達がどう思うか、じゃない。ナーシャたんが何を望むか、だ》
《:やだ格好いい》
《:ナーシャたんはどうしたい?》
ナーシャは頬をふくらませて、怒ったように俺のことを睨んでいる。
「そんなに、ノウハウについて偉そうに語れるなら、まずは自分の登録者数を爆上げしなさいよ」
「もちろん、出来ることなら、そうしたいけど、あいにく俺は……貧乏だから」
もう一度、スマホを掲げてみた。実のところ、こいつの通信料を払うのだってキツいくらいなのだ。専用の配信機材を揃えるのなんて、夢のまた夢。
「とにかく! 私は、私のスタイルで行くからね! あんまり偉そうなことを言わないでちょうだい!」
プンプンと怒りながら、ナーシャはさっさと先へ進んでいく。
俺は苦笑して、自分のスマホを見た。
キリク氏からのコメントが寄せられている。
《キリク:せっかくカンナ氏がアドバイスしてるっていうのに、器の小さい女だなあ》
「そう言うなって。俺みたいな底辺ライバーに言われたら、そりゃ気持ちは良くないだろうよ」
《キリク:ま、とりあえず、今は目の前の岩屋攻略に集中しないとな》
「ああ。空はこんなに晴れているのに、あっちからはどす黒い気配がプンプンしてるぜ」
道の先には、岩屋の入り口がある。
島の岩肌にボッコリと開いた洞穴は、光が届かず、奥のほうは真っ暗闇に包まれている。ここからはライトが必要だ。
俺が懐中電灯のスイッチをつけると、ナーシャは横目でそれを見ながら、ふふん、と鼻で笑った。
「お金が無いのはわかるけど、左手にスマホ、右手に懐中電灯だと、両手が塞がって戦えないじゃない。こういう時のために、もっとお金を稼がないと」
ナーシャは、背後でフヨフヨと浮かんでいる三つのボール型配信機材を触ると、全部のスイッチを入れた。
たちまち、まばゆい光が放たれる。
「うわー、便利……いいなあ」
「欲しかったら、今度、貸してあげてもいいわよ」
「いや、いいよ。こういうのは自分の力で、地道にコツコツと積み上げていくのが大事なんだ。どんなに苦しくても」
「高尚な精神はけっこうだけど、それって視聴者に対する配慮がなってないわよ。多少、自分としてはズルだと思っても、利用できるものはとことん利用しないと。いつまで経っても登録者数は増えないわ」
今度は、ナーシャのほうから、配信のいろはについて語ってきた。
してやられた俺は、ポリポリと頬を掻く。
「ごもっともで……」
「よし、決まりね。次の配信から、使わせてあげる」
次の配信、ね。
当然のようにその言葉を口にするナーシャ。
だけど、決して確約されているわけではない。このダンジョンから無事に生還できるとは。
今から挑むのは、ランクAの洞穴。油断は禁物だった。
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