第16話 妖精除けの魔法
日が落ちてもヒサアキは戻らなかった。開けていた窓を閉めようとした私は手を止めた。
「ん? どうした?」
「ルノー、何か聞こえないですか?」
窓の近くまで来たルノーが耳を澄ませる。私には風の音に混じって歌が聞こえている。この歌声を私はよく知っている。ディアナのものだ。
「うーん? 言われてみれば微かに綺麗な歌声が聞こえるような気がする。誰かが歌の練習でもしてんじゃね?」
「……」
仮にディアナの歌声であればディアナがこの街の近くまで来ている可能性がある。来ていなくても何かしらの方法で歌声を広めているのだとすれば意図はなんだろう。
過去にディアナの歌声を聞いた私は彼女の魔法にかかった。それを思い出して私はすぐ窓を閉めた。目を丸くしているルノーに説明している暇はない。
私は鞄の中から麻袋を二つ取り出して部屋を飛び出した。考えが正しければ一つだけ試してみたいことがある。手にしている麻袋には妖精除けの粉が入っている。
階段を駆け下りる私の後ろからルノーが追いかけてきていても振り向いている暇はない。宿の外に出て息を切らせながら私は麻袋の口を開けた。
「おい。急にどうしたんだよ。何かするってんなら手伝うぞ」
「今から宿の周囲にこの粉をまきます。私は右からまきますので、ルノーは反対側からお願いします。終わったら部屋にすぐ戻ります」
「お、おう。分かった」
麻袋を受け取ったルノーは何も聞かずに走って行った。互いに粉をまき終えて合流した私たちは部屋に戻った。
机を端に寄せて中央に立った私は呪文を唱えた。
「プー
唱え終わるとまいた粉から青い炎が立ち上り宿を包む。けれど、炎が見えているのは私と傍にいて呪文を聞いていたルノーだけだ。
客や宿屋の店主には気付かれない。宿の周囲で何かをしていた怪しい人物が二人いたと認識されてはいるだろうけれど、今のところ
感嘆の声を上げていたルノーと一緒に窓から炎が沈静化するのを見届て息を吐く。
「それで、さっきのはなんなんだ?」
「聞こえてきた歌はたぶん悪い妖精のものなんです。だから宿の周囲に妖精除けの魔法をかけました。明日効果があるかを確かめに行きます」
「妖精除け」
「あまり驚かないんですね」
「ん? あ、ああ。そうだな、聖女に魔女がいるんだ。妖精だっていても不思議じゃないだろ」
「ルノー。明日確かめに外に出ますが、くれぐれも街の人たちの言動に反応しないでくださいね」
「わ、わかった」
翌朝になってもまだヒサアキは戻らない。私は食堂で朝食を摂りながら会話に耳を傾けていた。
「聖女様はまだお姿を見せないのかしら」
「もう三日か。体調でも崩されたのかね」
「せっかく一目見ようと来たのによ」
どの会話も聖女のことを悪く言うものではない。宿のドアが開いて一人の男性が入ってきた。男性は宿屋の店主のところに一目散に向かって行く。
私はスープを飲もうとしていたスプーンを一旦置いて会話に耳を傾けた。
「なあ、聞いたか?」
「何を?」
「聖女様の話だよ。いや、聖女様じゃないな。あの女は魔女だったんだ。俺たちはみんな騙されてたんだよ」
「はあ? お前何言ってんだ」
「俺だけじゃない。みんな言ってる」
宿屋の店主が眉を寄せて男性の話を聞いているけれど、男性は自分以外にも聖女が魔女だと言っているんだと私たちに聞こえるくらいの大声で話している。
当然他の客は不安そうにひそひそ声で男性の話が本当がどうか審議を始めた。私は目の前で朝食を食べているルノーの反応が気になってちらりと見る。
「……っ!」
今にも男性に掴みかかりそうだ。テーブルの上で握る拳は怒りを殺しているせいか血管が浮き出るほど強く握られている。
「ルノー」
「……分かってる。昨日約束したからな」
ルノーの怒りに気付かない男性はさらに続けた。
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