兎屋スミカ

暴力を十全じゅうぜんふるう対象がいる。これはわたしが望んだことだ。


広がるのは瓦礫がれきの山。


ウサギが描かれたパッケージからシリアルがこぼれている。

まき散った飴玉が破裂した水道管かられる汚水にひたっている。


壊された日常のその横に礼服の少女が立っていた。


喪服の男装姿。黒と白とカフスボタン。そして手に持つのは、短銃。

黒い髪が耳元でふわりと波うつ少女――兎屋うさぎやスミカは魔法少女だった。


彼女を取り囲む獣たち。


被害を抑えるためショッピングモールを駆けまわった彼女は自らを餌に魔獣を集めた。そして必然的に窮地きゅうちに立たされ、少女は今、催事さいじおこなう吹き抜けの広間にいる。


目の前の獣とわたしは対等だ。


構えて、狙いを定め、引き金を引く。爆音と閃光。吹き飛び、壁に叩きつけられた獣はずるりと床へ落ち、弾丸が炸裂した腹からはらわたがこぼれる。


それにおくせず、魔獣の一匹が襲い掛かる。少女は体をひねり、繰り返す。


撃ちぬいた頭部が吹き飛び、消え去る。頭を失った獣は飛び掛かる姿勢を保ったまま、一拍の間を持って、首の根元から体液をあふれさせ、倒れる。


残りの獣たちが一斉に飛び掛かると、少女は上へ跳躍ちょうやくする。中二階にある連絡通路の手すりを外側からつかみ、体を乗り出しながら広間を俯瞰ふかんする。


あと2匹。


魔法少女になれば、常人とはかけ離れた身体能力を得ることができる。


カモシカのように細い脚からは想像できない跳躍ちょうやくを、成人男性が脱臼するほどの反動を持つ巨大な拳銃を薄く小さい手の中で制御することができる。


力があれば、目の前の化物と対等になれる。


力があれば、わたしを傷つける大人と対等以上になれる。


それは兎屋スミカが心の底から渇望かつぼうした願いだった。


少女は飛び降りる。風切り音を耳で感じて高揚こうようする。日常では味わえないむき出しの生。着地する直前に発砲。獣の一つが血と皮と肉のかたまりになる。


硝煙しょうえんが立ち上る銃口を次の獲物に向ける。


実用性を無視した過剰なまでに威力を求めた回転式拳銃。それはいびつふくらんだスミカの暴力性そのものだった。


たった一匹になった死に怯える魔獣が少女の視界に写る。こんな気分になるんだ。スミカは思う。発砲、閃光。暴力をふるうのって。スミカは優越感に酔う。


柱の影から伏兵が飛び出す。それがスミカに襲い掛かる。四脚よつあしの獣に少女は押し倒される。スミカの頭を噛み砕こうと魔獣は鋭い牙が並ぶ口を大きく開く。


どす黒い獣の口内が目の前に広がり、動物特有の湿気をびた生暖かい吐息が顔に当たる。スミカはとっさに左腕で顔を隠す。


牙が肉に食い込み、万力のように強力な力でスミカの腕を砕く。光沢のある生地に血が染み込み、色が変わっていく。


少女は血がしたたる様をまるで自分のことではないかのように眺めたあと、素早く拳銃を化物のひたいに押しつける。引き金を引く。撃鉄が上がる。


轟音は響かない。弾切れ。



数秒を要する再装填の時間を魔獣は待ってはくれない。弾を込める左腕は獰猛な牙と牙の間に挟まれて今にも食いちぎられそうになっている。


絶体絶命だった。


獣は腕をくわえたまま邪悪に笑った。目の前の獲物の牙が失われたことに気づいたようだった。


しかし、スミカは笑った。口角を目の前の化物に劣らずひどく引きつり上げて、目はすわり、確かな殺意の火が宿っている。


少女は増幅した腕力で銃口をゆっくりと魔獣のひたいに押しつけていく。プレス機のような力。皮膚が潰れ、体液がにじむ。頭蓋がきしみひびが入るかすかな音が銃身から伝わる。


予想外の攻勢に困惑する魔獣を無視して、スミカは力を込め続ける、スミカは笑い続ける。


ついに骨が砕け、鋼鉄の筒が魔獣の頭に挿入される。ひたいからは淡いピンクをしたプリンのような物体がこぼれる。


獣は白目をむき、四肢ししの力が抜け崩れる。


わたしの勝ちだ。


スミカはおおいかぶさった魔獣の死骸しがいを跳ねのけて、立ち上げる。左腕は既に治っていた。皮膚も肉も礼服の生地さえも元通り、傷もほつれも何一つなかった。


魔獣の死骸しがいもいつの間にか消えていた。あるのは瓦礫の山とその横に立つ礼服の少女。


抑えきれない暴力性を発露はつろする相手を探す兎屋うさぎやスミカにとって魔獣はまさに求めたものそのものだった。


「スミカ」と黒猫が駆け寄る。

「終わったわ」呼ばれた少女は答える。


「あら」スミカは黒猫の後ろにたたずむキミカと目が合う。


「この度、魔法少女になった遠峯とおみねキミカです。よろしくお願いします」

仰々ぎょうぎょうしく頭を下げたキミカへ彼女は手を差し伸べる。


兎屋うさぎやスミカよ。よろしく」


言葉が通じる。わたしの考えていることが伝わる。キミカは胸が少しだけ熱くなった。こんな当たり前のことすら彼女にとって嬉しかった。


キミカはスミカの手を握り返す。


「わたし、耳が聞える子と話したことがなくて…… 兎屋さん、あの友達になりませんか?」


スミカはクロを見る。猫はいたたまれない雰囲気のまま彼女と視線を合わせないようとしない。


「どうしたの?」キミカは彼女をのぞき見る。

「なんでもないわ、遠峯さん。いいわ、友達になりましょう」


「ありがとう、今度手紙書くね」キミカはにっこりと笑う。


「二人とも変身を解け」クロがぶっきらぼうに言う。


二人は光に包まれる。光は彼女たちの手元に集まる。そしてそれは本になる。


キミカは黄色。スミカは黒。それぞれの衣装に合った本革のようななめらか光沢がある表紙の手帳になった。


「キミカ。今度変身するときはそれのページを破け」とクロ。


彼女手帳をパラパラとめくり、珍しそうに眺めたあと変身の解けたスミカの姿に気づく。ウエストまでのあるボトムアップジーンズと白いTシャツというパンツスタイルだ。


「かっこいいね」


キミカは少し身長の高いスミカを見上げて真っすぐ、彼女と視線を合わせて褒める。それは耳の聞えない少女が意志を間違えなく伝達するために今までの人生で得た仕草だった。


「嬉しいわ」スミカは静かに微笑む。


クロはキミカに命令する。


「今日はすぐに家に帰れ。明日説明する」

「兎屋さんともっと話したいし、クロから魔法少女について何も聞いてないよ」


「いいから、もうすぐ人が来る」

「分かった」


「じゃあ、またね! クロ、兎屋さん」


キミカは軽い駆け足で浮足立つような足取りで去っていく。

彼女の姿が見えなくなるとスミカはクロに問う。



「騙したの?」

「違う。他に選択がなかっただけだ」


「あなたって最悪ね」少女は言い放つ。

「そうだな」猫は否定しない。


「彼女はあなたのことをまるでシンデレラの魔法使いだと思っているのかしら」

「そうかもな」


「彼女の耳は聞えることはないわ。わたしたち、魔法少女は身体機能がただ増幅されるだけ。元の能力が限りなく小さいならば、いくら増幅しても、意味はない」


「その通りだ。俺たち、魔法少女と使い魔は魔獣を屠るためだけに存在する。俺たちはただの自然現象に過ぎない」


災害と同じだ。どうして起きるかというメカニズムは解明できるが、なぜ起きたという理由を探してはいけない。それは存在するから存在しているだけに過ぎず、人が求める動機のようなものは初めからない。


「俺は誠実でいたいだけだ」

「あなたの元パートナーはそれを望んだのかしら」


核心に触れられ、クロは逆なでされたかのようにスミカをにらむ。


クロは魔獣との戦闘でパートナーを失った。


しかし、クロは自分の役割から逃れることは出来なかった。


それが彼の存在理由だからだ。クロは新たなパートナーを探すときにすべてを話した。死ぬ可能性があることを。得られる対価が何もないことを。


だから彼のパートナーは長い間、いなかった。


「命をかけて奉仕するお前らに俺たちは何も与えられない」

クロは自分に問い詰めるかのように呟く。そしてスミカに尋ねた。



「お前は何で魔法少女になったんだ?」

「そんなの決まってるじゃない」


少女は答える。


「恐怖や痛みは水と同じように高い場所から、低い場所へ流れていくのよ、クロ。わたしは高いところにいたいだけ。ただそれだけよ」

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