⑥
“悪意”があった、と。
誰もいない下駄箱で、突然千明が言い出した。
「田中に?」
うん、と、彼ははっきり頷いた。
先ほど教室で会話をしたとき、田中の言葉には“悪意”があったという。
「一緒に勉強したい、とかいきなり言い出したから、変わったやつだなとは思ったけど」
「なにかたくらんでいるのは確かだろうね。今日だって、俺たちがまだ帰ってないの知ってて、教室で待っていたんじゃないかな」
放課後の教室には、誠と千明のカバンだけが残っていた。待っていれば必ずここに戻ってくると、田中はわかっていたはずだ。
「そんなに悪そうなやつには見えなかったけど」
靴を履きながらぽろっとこぼした一言に、誠自身がはっとする。
「悪い。お前のこと疑ってるとかじゃなくて」
「気にしないで言ってよ。君の意見も大事だから。それと、もう一つ気になることがあるんだ」
「昨日、じいさんにかかってきた電話の相手と同じ名字ってことか?」
千明が目を見張る。
「気づいてたんだ」
「“悪意”とかって聞くまでは、同じだなって思っただけだったけど」
めずらしい名字でもないし、偶然同じだったとしてもそれほど不思議はない。だが千明の話を聞いてからだと、印象は変わってくる。
その上、田中が提案した勉強会の日は、克茂が電話の相手と出かけるのと同じ日だ。
「俺の家に集まるの、まずかったかなぁ。けど今回避けたとしても、また狙われるだろうし……」
はあーっと千明が息を吐いて、下駄箱から出した靴を放るように地面に置いた。
「お前の家、なんかあるのか」
顔を上げた千明が、きょとんとして誠を見た。
「言ってなかったっけ」
「なにが」
「俺の家にあるもののこと」
誠が幼い頃の記憶を探って黙り込む。
会話が途切れたタイミングで、二人は昇降口を出て自転車置き場へ向かった。
千明は自転車のスタンドを外すと、乗らずに引いて歩き出す。だから誠も、同じようにして隣を歩いた。
「話したことあったよね。俺の先祖のこと」
言われて思い出したのは、幼い頃に、転校が決まった彼から聞いた言葉。
「先祖が神様を食べたから、ってやつなら」
千明が小さく笑う。
「信じてた? その話」
「聞いたときは、まぁ」
当時小学生だった誠は、彼のその言葉を素直に受け止めて、少し怖かった。
「正直非現実的な話だと思うし、今信じてるかって言われるとわからない。けど、お前は嘘をついたりしないとも思ってる」
うん、と千明が小さく頷く。
「じいさんの家は昔、薬屋だったらしいんだ」
昔も昔、江戸時代の頃の話だ。
今もその頃の資料が多少は残っているが、建物自体に面影はない。
「江戸時代の頃、万能薬って言われてる貴重な薬があったんだって。何か知ってる?」
いや、と答えた誠に、千明が言う。
「ミイラの粉」
一瞬、誠は思考が止まった。
「え、ミイラって、本物の?」
「そう。本物の」
「人間の?」
うん、と千明が頷く。
ミイラの粉が薬、ということは、江戸時代の人たちはそれを飲んだということで――……想像した誠の背筋に悪寒が走る。
「うちの先祖も、ミイラの薬を売ったことがあるらしいんだ。中でもひときわ貴重なものを手に入れた記述が、当時の帳簿に残ってる。それが、“神様のミイラ”なんだ」
神様のミイラ。
その言葉と、小学生の頃に千明から聞いた言葉が重なる。
「正直、本当に“神様のミイラ”なのかはわからない。けど俺やじいさん、父さんが“悪意”がわかるのは、薬屋だった先祖が入荷した“神様のミイラ”の薬を飲んだからだって言われてる」
言い伝えられているその話が本当なのかは、誠にも千明にも、確認のしようがない。
わかるのは、帳簿に“神様のミイラ”を仕入れたという記述があることと、千明と彼の祖父と父が、“悪意”がわかるという事実だけだ。
「その、ミイラの薬っていうのは万能薬なんだよな。なんで“悪意”がわかるようになったりしたんだ?」
わからないと言われるだろうと思いながら、誠はたずねた。
だが、千明は答えた。
「じいさんが言うにはさ、神様は誰かを不幸にする願いは叶えないんだって。だから、“悪意”がわかるんじゃないかな」
「神様が?」
「うん、神様が。で、その“神様のミイラ”を飲んだ先祖も“悪意”がわかるようになって、代々受け継がれてるんじゃないかって」
ただしそれもただの憶測で、本当のところはやはりわからない。
だが千明が小学生のときに言った“神様を食べたから”の意味は、理解できた。
「でね、まだ家にあるんだ。その“神様のミイラ”の薬が」
誠は、一瞬固まった。
「……え、それ本物?」
「さあ。けど、本物として保管してる。そしてそれを狙ってる人たちがいるんだ」
「それが、田中?」
「わからないけど、うちに来たがる人の目的なんてそのくらいだから」
克茂に電話をかけてきた“田中”のほうも、目的は同じかもしれない。だから克茂は、留守番頼んだぞ、と千明に言ったのだ。
「誰かと勉強するのも楽しそうって言ってたあれ、嘘だったってことか」
つい呟いた誠に、千明が苦笑する。
「それはわからないよ。悪意と嘘は違うから」
悪意があるからと言って、その言葉が嘘とは限らない。逆に言えば、本当のことを言っているからといって悪意がないとも言い切れない。
「勉強会のとき、うちの事情で迷惑かけちゃうかもしれないけど」
「いいよ。俺もじいさんに留守番頼まれたし」
あの時、克茂が誠にまで留守番を頼んだのは、千明の手助けをしてほしいということだったのではないだろうか。
千明の事情を知っているのは、誠しかいないから。
「あんな一方的なの、無視してもいいのに」
「ここまで聞いといて放っておけねえだろ」
ふふ、千明が嬉しそうに笑う。
「ほんと、君っていい人だよね」
誠は幼い頃から、周囲から怖がられたり疎まれたりしてばかりしている。
いい人、なんて言うのは、本当に彼くらいだ。
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