Act,3 宿望者 - 5 -

 それは元来意志を持つものではなかった。

 それは単に生長し、実を結び、次代へと移り変わってゆくのみ。酷くゆっくりとした時の流れの中で、それは定められた速度でこなされてゆく。

 それが、来る。

 こちらを狙い、傷付けようと、伸びる。おそらくは他者の意思によって。

 床に幾本ものそれが穴をあける。ルアードが立っている所へと、寸分たがわず。


「すばしっこいな」


 対峙している女が楽しそうに笑う。多少低めの声がその固めの表情を引き立てて。


「っと……」


 足元を狙った攻撃を交わしながら、ルアードは弓を引き絞った。

 きゅ、と音を立て立ち止まったと同時に手を離す。その矢を女は顔をずらす事によって避ける――黒髪が揺れる。

 女の注意が逸れた事により、襲い掛かる植物の蔓が僅かに速度を落とした。

 チャンス、とばかりに腰にある皮袋から一つ石を取り出した。その淡黄色の透き通った石を握り締め。


「「テトラグラマトンの名の下に……」」

「させはせん!」


 微かに呟くような詠唱にも彼女は敏感に気付いたらしい、ばっと鋭い凶器と化した葉が無数に飛んでくる。

 それを床に手を付き体をずらす事によって避ける。避けきれなかった葉が身体を傷付けるが構わず詠唱を続け。


「「我恩寵と徳において祈り願うッ!」」


 カァ、と石が熱を帯びる。

 女が手にしたままになっていた細くしなやかな、やはり植物より作り出された剣が振り下ろされるがそれを弓で弾いて石を女へ向かって突き出した。


「「来たれ、黄玉の閃光ッ!」」


 殆どゼロ距離で炎の矢が放たれる。ばっとその場を離れる事によって衝撃から逃れた。

 手加減したとはいえ、女は直撃を受けたはずだった。もうもうと煙が上がり、それが徐々に晴れて行き――ルアードは声を失った。

 目の前には直撃を受けたはずの女の姿。その手には先刻自分が放った炎の矢が受け止められていた。まるで時が止まったかのように炎は女にとどく直前で止まっていて、無傷でいる女は悠然と立っていて。


「ば――かな……」

「意外か?」


 くっと喉を鳴らし。


「魔法は己と最も相性のいい術一つだけ――だが、稀にあたしみたいな奴もいるって事さ」


 くすくす笑いながら、女は右手を突き出す。


「……だから、こういう事も出来る」


 こちらの放った炎を受け止めた手に、先刻まで女が攻撃を仕掛けていた蔓が絡む。

 炎と植物。炎に植物は勝てない、はず、が。


「……!」


 植物が燃える事はなかった。

最初こそはちりちりと音を立てていたが、それはやがて一つになる――融合する。

紅い炎を纏った植物へと、変わる。


「――まさかお前さん竜人の『赤』と『緑』の血を――」

「ご名答」


 答える女の声は酷く冷たい。

 竜人とは創世神に愛された種族なのかと、考えられずにはいられなかった。

 彼らの特徴は人間を素手で引き裂くほどの馬鹿力とその運動能力だ。それに加え、彼らの血はたとえ人の血と混ざろうと強大な魔力を秘めたままとなる。

 補助魔法が難しいと言われるのは、イメージしたものをそのまま具現化するという魔力の練り方がかなり特殊なものだからだ。

 補助魔法の元となる、自然界を構成する元素の圧縮――それを操る事に最も長けた種族が竜人。彼らには媒体も、詠唱すら必要ない。

 びゅる、と炎を纏った蔓がしなる。植物自体が燃えているようなのに、しかしそれは少しも燃え尽きる事などなく、焦げる事もなく。

 どれだけの破壊力を秘めているのか、深紅に輝く蔓がひゅっと空気を焼いて襲い来る。

 それを避けると先刻まで自分のいた壁が弾け飛んだ。と同時に瓦礫が燃え尽きる。殺された宿の従業員の骸がそれに巻き込まれる。


「避けたか……そうでなければ面白くない」


 くすくすと笑う。

 冗談ではなかった。あんなものに捕まったらひとたまりもない。

 そんな中、さらに強大な力を感じびくりと体が強張った。目の前の女も気付いたのだろう、ぴたりとこちらへの攻撃が止まる。


「何が――」


 次に起こる衝撃に、ルアードは最後まで口に出来なかった。

 とてつもない熱波が壁を捥ぎ取っていった。建物は当然半壊し、瓦礫が頭上から降り注ぐ。

防壁を張る暇などなかった。額の血管が破れたのか生温かいものが伝ってゆく。

爆発――? 外から聞こえてくる悲鳴と、深闇であるにも拘らず目を突き刺さんばかりの煌々と辺りを照らす光。

 顔を覆い何とか状況を判断しようとして、ルアードは瓦礫の中、どういうわけか無傷なままの女の姿を見つける。

 それが、美しき破壊神の様に見えて。

 見惚れたのは一瞬。隙を見せたのも――おそらく、その一瞬だった。

 ひゅっと軽い音を立てて緑が舞った。

 それが先刻の蔓であるという事、そして彼女がそれで半壊していた宿を完全に崩したのだと言う事に気が付いた時には既に遅かった。

 なす術もないまま、凄まじい揺れの中ルアードの体は瓦礫の下へと埋もれていった。


  ※


 たとえ世界が全て焦土と化そうとも、あの方だけが傍にいてくれればそれでいい。他の者が全て死に絶えようとも、あの方さえいてくれれば自分は何もいらない。

 彼はすっと宙に指を滑らし、指が走った軌跡にいくつもの炎が現れる。


「――思い知るがいい」


 先刻街を狙って放った力は牽制だ。

 意のままに操る事の出来る炎が、自分の魔力によって制御されているそれが目の前の愚かな人間の青年に向かう。

 ずたずたに傷付き、立つ事もままならないでいる青年。いたぶるつもりでかなり力を加減してやっている。簡単には殺してやらない。

 人間に向かって走る炎の球体。さっき爆発を起こしたせいで辺りは明るく、光の軌跡が見えないのが少しつまらなかった。

 ぱぱん、という音。見れば人間がその炎を手にしたままの剣で弾き消していた。

 深手を負っていながらもその剣技の冴えは鋭い。人間にしては出来る方だろう。忍耐力もなかなかなのか、苦痛に顔を歪めながらも悲鳴の一つも上げない。


「やめて……お願いもうやめて……ッ」


 胸を突くような噎び泣き。攻撃の手を休めず、視線だけをやればかの君の忘れ形見が彼、ゼフュロスの張った結界の壁に手を付いてはらはらと涙を流している姿が目に入った。

 視界を遮り、音も結界の中に入らないようにしておくべきだったか、と考える。


「そうですね、そろそろ、やめましょうか」


 そんな考えなど微塵も感じさせないように、微笑みかけ右腕を夜空に翳した。飛翔したままその手に集まる炎。圧縮されてゆく己の力。


「このような輩、生かしておいても意味がありませんしね」


 ほっとしたような、かの君に生き写しな少女の表情が凍りつくさまを楽しそうに見つめ、


「それに、彼は貴女を殺しに来たのでしょう?」


こちらを睨み付けてくる人間に、恐怖の色はない。どちらかと言えば――憤怒。

 彼の唇が微かに動くのが見えた。声は聞こえない。ふざけるなとでも言ったのだろうか、声は聞こえずとも彼の表情が語る。


「ですから、殺される前に殺しておくのが道理というもの」


 膨れ上がる熱量。今度は手加減などしてやるつもりはない。消し炭にして、愚民どもへの見せしめとして――


「殺さない……ッ!」


 絞り出すような、悲鳴じみた青年の声に思考が遮られる。今度ははっきりと聞こえた。


「フィーは殺さない……!」


 喀血。

 もはや限界なのだろう、血飛沫が彼の口から噴出し、がくりと地に両手をつく。

それでも、こちらを睨み付けて。


「フィーは竜人などではない……ッ 竜人になどさせるものか……ッ!」


 己の流した深紅に染まった大地に這いずるようにして、それでも剣を手放さないで。

 その目が、酷く、気に入らなくて。


「アーネストさん……ッ!」


 ――声色は似てなくもないが、どちらかといえば甘く柔らかなその声音が聞こえたのは自分が力を放ったのとほぼ同時だった。

 その絹を裂くような声と共に、ばりん、と何かの弾ける音――銀色の光。

 しまったと思ったのは一瞬だった。

 ふわりと視界に舞う美しい銀の髪。弾かれ、消失する放った筈の炎。逸らされる事もなく紡いだ元素ごと解きほぐされた魔力。


「お願い……もうやめて……」


 震える、泣き声交じりの、声。

 眼下に広がる光景――ぼろぼろになった青年の血によって汚れる事など気にしないかのように、こちらに背を向け青年にしがみ付く少女。結界を無理矢理解除させたのだろう――おそらく、感情の高ぶりによって。


 ――それは最も見たくない光景で。


 あの時と同じだ。

 記憶の中の光景と混同する。

 あの時もかの君は、自分ではなくあの男を選んだ。かの君の中に自分はいなかった。

 そしてその忘れ形見であるこの少女の心に刻まれているのは、やはり、人間で。

 どうやっても、手に入れる事が出来ない。

 自分の中で酷く凶悪なものが育ってゆく。


「そんなに、人間が大切ですか……?」


 自分の中で何かが崩れた。

 ふわりと、宙に舞ったままだった身体を大地につけ、二人を見て。

 青年がこちらに向かって剣を構える。立つ事も出来ないのか片膝を地に付き、それでも少女を護るかのように抱き寄せている。

 少女はこちらを見てはいても、酷く脅えて。


「それが答えなら……」


 すっと、目を細めて。

 手に入らないのなら――誰の手にも届かないようにしてしまえばいい。

 苛立ちが酷く短絡的な思考へと結び付く。


「仲良く、逝くがいい……ッ!」


 両腕を頭の上で交差させ、空気中から元素という元素を集め力を練り上げる。自分が扱える許容量限界まで力を放出し、最大級の破壊力を込めて。

 この大陸が吹き飛ぼうとも、セル城までも破壊し十賢者の再臨が永遠に叶わなくなろうとも、もうどうだっていい。

 自分が欲しいのはかの君だけ。生き写しの少女すら手に入らぬのなら、この世界が存続する価値など自分にはない。

 ならば消し去ってしまえ。

 彼は憤りのまま掌に集めた力を解き放とうと、頭上に集約された、炎へと変換された元素を叩きつけようとして。


「その辺にしとかない?」


 背後から上がる、この場にそぐわない間の抜けた声。

 はっとした時には遅かった。己の紡いだ炎に水の龍が絡みついたかと思うと、続いて雷がその水に加わり力を消し去った。

振り返ると、黄金の髪と瞳を持つ優男がにっこりと笑って佇んでいる。彼の手には未だ電気がバリバリと音を立てており、その傍らには水を纏わせたままのピクシーの姿。いくら自分が目の前の二人に意識を集中させていたとはいえ、まったく気配を感じなかった。声を掛けられるまで気付かなかった。


「貴方は……」


 一目で『黄の神』とわかるその青年。色こそ違うが、彼のまとう空気、そしてその顔立ちには酷く見覚えがあった。


  ※


「イアン……さ、ん……?」


 目の前に突然現れた青年の名を、フィーは信じられないものを見るかのような目を向けて呟いていた。


「やーフィーちゃん。アーネスト君も大丈夫ー?」


 まったく緊張感もなく、彼はへにゃんと相変わらず笑いこちらに向かってひらひらと手を振ってきた。


「貴様……やはりグルだったか……ッ!」


 しかし黒髪の青年は警戒を解くどころか一層気を張ったようだった。いつ死んでもおかしくないほどの瀕死の重傷を負っていると言うのに、今にも斬りかからんばかりの殺気を放っている。


「あー、やっぱり疑われてたんだねー?」


 今現在の状況をまったく把握していないのか、もしそうなら彼の神経は一体どれほど太いのだろうかとつい埒でもない事を考えてしまうほど、『黄の神』の血を引く彼はのんびりとしている。ナンデ疑問系なのヨ、と突っ込みを入れるピクシーもどこか余裕ありげだ。


「言っとくけどセルに来る前のあれは俺じゃないよー? 俺は人は喰べな――」

「何故、邪魔をするのです」


 『赤の神』を挟んでの会話と言う、凄まじい状況の中でも顔色一つ変えずにいた彼に、赤の青年は寒気立たせるような声色で呟いた。


「貴方ほどの方が、何故私の邪魔をするのです……ッ」

「んー?」


 全身が深紅に燃え上がっていると言うのに、『赤の神』と対峙する、実力的には遥かに劣るであろう『黄の神』の青年は解らないの? とでも言いたげに小首をかしげた。

 二人の間に嫌悪しか催させない重たい空気が流れる。威圧感とでも言うべきなのか、足が縫いとめられたかのように動かない。


「……とりあえず、勧告、かな」


 ふっと息をついて告げられた黄色の青年の言葉。それと共に彼の表情が一変した。


「貴方のせいで世界は歪みを生んだ。今まで伝説として語られてきた俺達の存在が公に知られたんだ。これから対立が激しくなる――おそらく戦になるだろうね」


 貴方によって。彼はもう一度同じ事を赤の青年に告げた。あの柔らかく掴み所のなかった表情が、まるで氷のように冷たくなって。


「貴方も今回は引いた方がいい。見逃してあげるよ、彼女も心配してるみたいだしね」


 そう言って黄色の青年が指差した先には、心配そうにこちらを見つめる黒髪の女性――シルヴァールの姿。彼女を認めたらしい赤の青年は忌々しげに舌打ちすると、ばっとその緋色の翼を夜空に翻した。


「……後悔なさるがいい」

「生憎、俺は後悔なんてしない主義なんでね」


 去り際に残された呪詛じみた言葉にも、彼は首をすくめておどけて見せただけだった。


「……お前は何者だ?」


 『赤の神』とその連れであるシルヴァールの姿が見えなくなってから、黒髪の青年はやはり警戒を解こうともせず露骨な敵愾心を剥き出しにして黄色の青年を睨み付けた。


「そうだねー。まあ、そのうち解るよ」


 しかしその問いに、彼は笑って答えるだけだった。彼のその表情は既にいつものへにゃんとしたものに戻っている。


「それじゃあ――また会おうね」


 そう言い残し、彼もまた闇の中へと消えていった。そうして彼が去った方とは逆の山際は既に赤く、そして美しく染まり始めている。

長い夜が終わろうとしていた。

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