Act,3 宿望者 - 4 -

 僅かな光源が足元を照らす。

 外気は冷たく、青白い月光と相まってより寒々しく感じさせた。

 正面を見れば、聳え立つ白銀の城。さすが銀嶺と称されるだけの事はある、美しくも凍えそうなその姿。


 赤の男は何も言わなかった。


 あの黒髪の青年に駆け寄ろうとした自分の身体を無理矢理宿の外へと出し。そのまま無言で城へと続く大通りを歩く。

 でも、それで良かったのかもしれない。

 夜空に浮かぶ宝刀を見上げ、フィーはふとそんな事を考えた。

 あの青年は竜人に復讐してやるのだと言っていた。村を滅した奴を、その種族全てを葬り去るのだ、と。


 ――彼女を相容れぬモノとして……


 耳を塞ぐ。

 そんな事をしてもこの傍にいる赤い青年の発した言葉が消えるはずもなかったが、けれど耳にこびりついたそれは酷く自分を蝕んで。

 彼はきっと、自分を殺しに来たのだろう。その理由が彼には――いや、人間全てにある。たとえ己が望んで手に入れたモノではないと雖も、竜人の、ましてや神竜……『銀の神』の血を引く者となればそれは人間にとって唯の脅威でしかない。

 現に、自分は人に対し『食欲』を覚えていたではないか。

 あの黒髪の青年と焚き火を囲んだ夜、人間の体温に反応している自分がいた。『黄の神』の血を薄く引く青年が負傷した時だって、流れる血から目を放せない自分がいた。セルに着く前に喰い散らかされた旅人を見た時、体が熱を上げるのを止められなかった。


 ――どこまでも、人間と異質な、自分。


ふいに、彼の歩みが止まった。


「……しつこい男は嫌われますよ」

「知った事か」


 振り返るとそこには、黒髪の青年がいた。


  ※


 ぬめる両手を、自分のものだとはもう思わない。

 血に濡れ滑る剣の柄を握りなおし、アーネストは目の前の青年を睨み付けた。

 鮮やかな、色。

 人間であるなら宿したであろうぬくもりは向けられる瞳にはない。彼の赤い瞳はどこまでも血に直結する色だ。


「どうして……」


 宙に浮いた少女の声。どこか表情は青ざめていた。

 どうして、と。何故追って来たのかと。


「竜人の世界など必要ない」


 その言葉と共に駆け出した。

 同時に『赤の神』がフィーから離れる。


「そんなに死にたいのですか?」


 それを合図にゴウ、とフィーの足元から風が吹き上がり、赤い光が地へと丸い文様を描く。複雑なそれから薄く赤い膜が張られたようで――知っている。あれは結界だ。

 おそらくフィーを逃さない為と、傷付けない為のそれ。『赤の神』は己の張った結界に満足したように笑みを刻むと、す、と掌を上にして右腕を上げた。

現れる無数の火の玉。全て男の指先程度の。それが一斉にこちらに向かって来る。

 構わず、アーネストは速度を落とさない。

 男の手から現れた炎の矢をかいくぐり、間合いを詰める。途中避けられそうになかった炎は剣を握る手とは反対の左手で受け止め。

皮膚を焼く臭いも、痛みも無視して斬り付ける。――が、男は優雅にかわしただけだった。振り下ろした剣の反動を利用して横薙ぎに払うが同じ事、紙一重のところで『赤の神』はかわす。続けざまに、自分の出せる最も早いスピードで斬り付けるが全て男はすれすれの所でそれを避ける。

それが、楽しんでいるようで。

ふっ、と突然目の前から男の姿が消える。


「……その程度の力で私に刃を向けた事を後悔なさい」


 背後からの囁き。

 振り返る間もなく弾き飛ばされた。そのまま街灯へと叩きつけられる。


「アーネストさん!」


 フィーの叫び声。

 『赤の神』の張った結界から出る事が出来ないのか、フィーの赤く薄い膜に手を付きこちらを見ている様子が目に映った。

 そして彼女はぐっと膜に両手をつき、壁を押しのけるようにして。


「!」


 バチバチッと、赤い結界の中で一瞬電流が走ったかのような光と音が上がった。


「フィー!?」


 直にその光に振れてしまったのか、よろめく膜の中のフィーに駆け寄ろうとするが、進行方向上に現れた『赤の神』に妨害される。


「無駄な事を……いくら貴女がかの君の血をついでおられようと、その力の使い方を知らぬのであれば私に敵いはしないのですから」


 無理矢理結界を解こうとしても、貴女がつらいだけですよ。

 そんな彼女の傍へふわりと立ち、甘く囁く。

 完全に男の注意がフィーへと注がれる。こちらに背を向け、無防備に。


「――」


 だが、男は背後から斬りかかったこちらの刃を片手で止めた。――こちらを見もせずに。


「く……ッ」


 ぎしぎしと刃が音を立てる。

 『赤の神』はまるで蟻でもつまむかのような柔らかさでこちらの刃を掴んでいる。振り向いたその表情さえ涼しげだ――が。


「無駄だと言う事が……」


 ゆらり、とその表情が僅かに歪んで。


「解らないのですか!」

「――ッ!」


 刃へと身を転じた炎が爆発したかのように男の体から噴出した。

 腕に、足に、腹部に。ぶつかっては消えていくそれはこちらに深い傷を負わせてゆく。


「あ……あぁ……ッ!」


 飛び散る深紅に、フィーはがたがたと震えていた。口を両手で覆い、けれどしっかりとこちらを見ていて。

 ――全身に駆け巡る激痛を、奥歯が砕けるほど強く噛み締め何とかやり過ごして。ずたずたに切り裂かれ、ボロ雑巾のような身体に鞭打ち何とか片膝を付くだけに留まった。


「……何故我らが『竜人』と呼ばれるか、知っていますか?」


 すうっと、夜空に掻き消えてしまいそうな声を、『赤の神』が倒れなかったこちらに向かって紡いだ。耳に心地よい、低すぎもせず高すぎもしないはずなのに、酷く耳障りな、いやにはっきりと宙に浮いた言葉。

 男の顔から感情が消えていた。

 続いて起こる音に、光景に、アーネストは目をそらす事が出来なかった。


 めきり、と何かがひしゃげる様な音。

 みしみしと、音を立てるのは骨。


 視界に映る異形に、思わず息を飲んだ。

 そこに現れたのは翼――鳥のような柔らかな羽根など一つもない、骨格と皮だけのそれ。彼の背から生まれたのは臙脂色の巨大な翼。

 ばさりと、『赤の神』はその翼と同じ色の美しい長髪を払い、こちらを見据え。


「終末の序曲にまず、貴方の断末魔を十賢者に捧げましょう」


 ふわりと、宙に浮く美しい異形ノ影。

 彼の手に力が、空気が熱が、自然界の全てが集まってゆくのが魔法の使えない自分にもはっきりと解った。

 それが、キュウゥ、と小さな悲鳴を上げながら濃縮されてゆく。円の中心に向かって力が押し固められてゆく。圧縮されてゆく。


「――ゴミどもが」


 放たれる。

 まるで鞠でも転がすかのような、その緩やかな動き。それが自分を無視し、背後にある街の方へ恐るべき速さで飛んで行き――

 轟音。

 凄まじい爆風が背後から吹き荒れる。

 炎と悲鳴が上がり、その場は地獄と化す。

 男はそれを無感動に見つめていた。


「さあ――滅びを受け入れなさい」



《始まったミタイネ》


 ピクシーはちょこんと相変わらず布で頭を縛ったままの青年の肩に腕を掛け、目の前で上がる炎と逃げ惑う民衆の姿を見つめていた。


「そうみたいだねー」


 いい加減鬱陶しくなったのか、頭に巻いていた布をするりと取りながら青年はあっさりと答える。街を覆う悲鳴などまるで聞こえないとでも言うかのように。


《……ドウなると思ウ?》


「愚かな人間が勝つか、驕り高ぶった竜人が勝つか……だね」


炎を反射する、といた事により布の中からこぼれた金髪を引っ張りながらピクシーが問うが、青年は笑っただけだった。


「さあどうだろう……まぁ結局どちらが勝とうとも俺には関係ないよ。ああ、でも――」

《デモ?》

「手助けなら、してやってもいいかな?」


 ぽう、と彼は戯れに力を紡いだ。


「それに、そう簡単にはやられないでしょ」


 指先で作り出した静電気を突付く青年に、ピクシーは呆れたようにため息をついた。


《ドッチガ?》

「どっちも、さ」


 にっこりと笑って、彼は今まで腰掛けていた城壁の上からふわりと飛び降りた。

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