Act,1 敵対者 - 4 -
己の乱れた息使いが聴覚を奪う。
どこをどう走ったのかわからないが、気が付けば人通りの少ない場所を走っていた。公園か何かなのか、緑の多いそこを目の前の青年はこちらの腕を掴んだまま振り返らない。
怖い、こわい、コワイ。
あの男の言葉が甦る。
――それにしても良く似ていらっしゃる。
彼は笑った。綺麗なのに、酷く怖い笑顔。
――こう言えば解りますか? シュラインの娘、
本能的な、モノ。
奥底に刻み込まれる恐怖。
――私は貴女を迎えに来たのです。
黒髪の青年は走る。交わす言葉もないまま、ただ、逃げる様に。
息が出来ない。体の奥で何かが疼く。狂い始める。言葉に出来ないモノ。不確かなのに実在する異形。
どくんと、大きく胸が鳴った。
何かが弾け飛ぶ。
心。軋んだ音をたてる。
崩壊する理性。
崩してはならないと叫ぶ。
崩してしまえと嘲笑う。
――私を、壊して。
「フィー!?」
細い糸は微かな悲鳴を上げて切れた。
力なく倒れたこちらに向けられたのは温かな腕かそれとも祈りか。
確かめる間もなく意識は闇の中へと沈んでいった。
※
「フィー!? おい、しっかりしろ!」
急に全身の力が抜け、倒れかけた彼女を慌ててアーネストは剣を持ったままになっていた腕とは反対の方で抱き止めた。
顔が青白い。心なしか体温も低くなっていた。急激な運動により貧血を起こしたらしい。
「フィー!」
ぺちぺちと頬を軽く叩くと、彼女は薄く呻いて身じろいだ。ほっと胸を撫で下ろすと、やがてフィーは虚ろながらも瞳を覗かせる。
「すまない……大丈夫か?」
そう言いながら、とにかくこの場は早く離れた方がいいと少女を抱きかかえ立ち上がりかけたその時。
酷くゆっくりとした動作で、何かが――フィーの細い腕が、首にしゃなりと絡んできた。
え、と思う前にフィーは絡ませた腕でこちらの顔を引き寄せ、そして顔を近付け――その、次の瞬間。
「――ッ!」
反射的に、彼女の体を突き飛ばしていた。
小さな体はバランスを崩し、けれど酷くゆっくりとした動作で地面へと座り込む。
「フィー……!?」
視界をかすめて行くもの。
時が止まったかのように穏やかな、ゆるりとした流れ。
とっさに首元に右手を当てると、ぬるりとした感触――手を染めたそれにぎくりとする。
紅が、少女の唇をさらに紅く染めて。
「あ……わた、し……」
はっと、彼女はその瞳を大きく見開いた。
震える声。
泣きそうなのを、無理矢理笑って見せたような表情。信じられないものを見るような目で、こちらを見て。
――そこに湛えられた色は。
こちらの首筋を、噛み切ったの、は。
「フィー!」
弾かれたように駆け出した彼女を、自分は追いかけられなかった。足は畏縮したかのように竦み、伸ばした腕は空を握る。
だって、あの時の、彼女の色は。
「アーネスト無事だったか!?」
ざっと、草木を掻き分ける音と共に現れたのは枯葉色の髪をした青年。呼吸を乱し、辺りを見渡して。
「その傷……それにフィーちゃんは!?」
「……んで……」
明らかに慌てているルアードの声など耳に入らない。アーネストは握ったままだった剣を両手で地に思い切り突き刺し、一呼吸おいてからずるずると力なく膝を付いて。
「なんで……ッ!」
力任せに、両拳を地に叩き付けていた。
あの時、少女、は。
綺麗な銀の髪と、銀の瞳を、していて――
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