Act,1 敵対者 - 3 -
「どうしたんだい? その頭」
イスリという彫刻類を専門に扱っているらしい店にルアードが入って、そこの女主人に開口一番言われたのはそれだった。
店はそんなに大きくない。カウンターと品物を並べる棚があるだけの小さな店。客は今の所誰もいなかった。
「いえ……ちと熊に襲われまして……」
「熊?」
そんなものこの辺りにいたっけ、と店主は首をかしげた。しかしルアードはそれ以上何も言わず、ははは、ととりあえず笑って。
鏡がないので確認する事は出来ないが、あれだけ派手に殴られて何もない方がおかしい。どこからあんな力が出るんだと感心するほど彼の腕力は常人を遥かに超越していた。
既にずきずき、といったものではなくがんがんと頭の中で始終金槌が暴れまくっているような痛みに苛まれながら、あの野郎この後絶対責任取らせてやる、と硬く心の内で誓う。
「アンタも災難だったねー、アルトのヤツ容赦ないでしょ。これだけ大量の荷物こんなところまで持ってこさせてさ」
早速自分が持ってきた彫刻の品定めを始めたらしい店の店主は、しかし顔を上げずにこちらに言った。
「いえいえいえ! 女性の頼みごとを無下にする様な奴は男じゃないです!」
「……さよで」
一言の元、店主は一つ一つ丁寧に彫刻を見ていく。
アルトの作品は、作り主はああいったどこか浮世離れした感じを与える、一風変わった人物であったがしかしそれは立派な物だった。
森の動物達をそのまま小さくしてしまったかのように精巧に作られた置物をはじめ、誰かをモデルにしたのか人の顔を刻んだプレート、そしていくらかの装身具。こだわりがあるのか、酷く軽いものだったりまたは白っぽかったりと木材も様々だ。
「……やっぱりああいう森の中の方がいい材木が手に入るもんなんですかねぇ」
なんとなくそのまま店を出るのもつまらないのでそのまま店に留まって話をする事にした。どうせアーネスト達の間に入ってもお邪魔虫と化すだけなのだ。……ああいや、そう簡単にくっつけてやるものか、とことん邪魔してやる、といった八つ当たりにも似た意地悪い感情もないわけではなかったか、どうも無自覚であるらしい彼は、やはり無意識の間にこちらに対する力加減に容赦がなくなってきている。
良質の木材ねぇ。
女店主はやはり顔を上げないまま口の中で呟いた。
「それもあるけど、やっぱり金でしょ」
「金?」
やけに確信じみたその言葉に、思わず眉を顰める。
「街中で良質の木材をそろえるには金がかかりすぎる。だったら森の中で自分で選んで切った方が安上がりだからなんだってさ」
「……」
「それに街に住むには住民税が高すぎるからだって」
あそこなら敷金礼金その他もろもろいらないし。せこく小金を集めるのも趣味らしいし。
……記憶を手繰り寄せながら、ルアードはあれは「せこく小金を集める」と言うより、どちらかと言えばたかっていたようにしか思えなかった。もしくはゆすりにも似てる。
「……そんなもんなんスか?」
「そんな事あたしに言われても知らないよ」
丁寧に見ていくアルトの作品に一つ一つ値段をつけ、女主人は棚に並べていった。
そんな様子を見ながら。
「まあ……それはそれでいいとしても、あんな所に女性一人で大丈夫なんですかね」
「問題ないでしょ」
相変わらず彼女はさらりと答える。
「アイツこないだラハブの首三つ持ってきて換金してたから」
「……マジっすか」
まるでなんでもない事のように帰ってきた返答にルアードは声を失う。
ラハブというのはかなり獰猛な狼系の形状をした『魔』であり、だからこそ賞金がかけられていたりするわけであって。
「何でも彫刻家の腕力なめんなとの事」
「……なんか違うと思うのは俺だけか?」
どうも最近まともな感性の持ち主に出会っていないような気がして、ルアードはついに頭を抱えてしまった。
頭を抱え、そうして次の瞬間。
弾けた様に立ち上がった。
「……? どうした?」
かけられた言葉は耳をかすめただけ。
襲い来るのはどうしようもない寒気と恐怖。
強大な「力」の渦。
今まで戦いに無縁であった者にはともかく、少しでも旅をしてそれなりに神経の尖った者人間たちには十分すぎるぐらいの。
「アーネスト……!?」
相棒の名を口走って、彼は店を飛び出した。
※
「……何をしている」
手にしていた、先刻買ってきたばかりのコップを投げ出して自分は嫌がる少女の腕を掴んでいる男の首元に剣を突きつけた。
栄えある所には必ず影がある。
先日も身元の判らない変死体が見つかったのだと、入国審査官が言っていた事をアーネストは思い出していた。
損傷が激しく、辺りにあった遺留品でかろうじて女であると判ったそれはまるで肉をごっそりと持っていかれたようで――金銭類がそのまま残っていた事から、きっとイカレた猟奇殺人ではないか、と。
だから気を付けた方がいいと、武器を持っての入国を許された。そうでなくとも人攫いがあるのだから――気の弱そうな審査官は、こちらに十分気をつけるよう言っていた。
……ルアードの言葉を借りるわけではないが、確かにフィーは綺麗な顔立ちだったから。
「その手を離せ。俺の連れに何か用か」
こんな真っ昼間から人攫いとはいい度胸だ、と半分脅しもかねて剣を向けるが相手は少しも、動揺すらこちらに見せない。
「貴方の……連れ?」
低い声。
男が振り返らずに呟く。
その瞬間、ばしん、と見えない何かで剣の刃を殴られたような気がした。男に突きつけていた剣がそのまま弾け飛ぶ。
剣はくるくるとしばらく宙を舞っていたが、やがて自分から少し離れた所に突き刺さった。
「な……ッ」
「折れませんでしたか……いい剣ですね」
男はフィーから手を離し、ゆっくりとこちらに振り返った。
――やたらと綺麗な、顔。
全身総毛立った。
男は口元にこれ以上ないほどの笑みを湛えているのだが、目が少しも笑っていない。肉食動物のような鋭い瞳――漆黒であるにも関わらず、そこに宿る色は何か別の物に見えた。
くすり。
男は笑う。綺麗でありながら酷く恐ろしく、そしてやはり目だけ笑っていない。
「けれど、そんなものでは私は殺せない」
「何を……!」
――それ以上、声が出なかった。
彼の周りの空気が一瞬にして変わる。
殺気では、なかった。
殺気であるはずがないのだ。こんなモノを「殺気」などと称していいはずがない。こんな、呼吸すら困難になる……今まで味わった事のないほどの恐怖が全身を貫くのに、しかし足は縫い止められたように動かない。
力。圧倒的な。
全てを支配するような、抗う事を許さぬ、兇悪なまでの。
「汚らわしき人間……今回ばかりは礼を言いましょう」
言葉。
それと共に目の前の男から放たれたであろう強烈な「力」が辺り一帯を襲った。広場にあったものすべてが、男を中心として薙ぎ倒される。物も人も――すべて。
「フィー……!」
何とか吹き飛ばされないように踏み止まりながら名を呼び、男の後ろにいるフィーに目をやると彼女は少しも傷付いてはいなかった。何の力も加わっていない。がたがたと震えながら、涙目でこちらを見ている。
「やめ……やめてくださ……もう……!」
「この男は私に剣を向けた。生かしておく理由はないでしょう?」
しがみ付いて止めさせようとする彼女を柔らかく制しながら、男は言う。
笑顔なのに、酷く冷たい声で。
「けれど……ああ、そうですね。貴女をここまでつれて来てくれたのですから――」
す、と男は何もない右手を天に向かって突き出した。
「せめて、苦しまぬよう殺してあげましょう」
微笑。
次の瞬間男の右手から現れた炎。
同時に男の全身が深紅に染まる。
漆黒だった髪も、瞳も、真っ赤に――
ぞわっと、全身が粟立った。
自分は彼を知っている。忘れるはずがない。こんなにも鮮やかな、鮮やか過ぎるこの色を。
自分の村を血の海に沈めた、憎むべき――
『赤の神』……!
少しずつ、男は妖艶なまでの笑みを浮かべてこちらに歩み寄って来る。その左腕には新たに生み出した紅蓮、両手に炎が宿る。
……体が、動かなかった。
全身が逃げろと喉が張り裂けんばかりの悲鳴を上げているのにぴくりとも動かない。
恐怖。圧倒的な力の前に屈伏する。
本能が、逃げろと――
「「来たれ! 煙晶の、惨禍ッ!」」
突如起きた衝撃に我に返った。
足元から突き出してきた、巨大な岩。
魔法。
発動させたのが誰なのか考えるまでもなく。
「……ッ」
砂埃にまみれ、目の前の男が見せた一瞬の隙を突いてフィーの腕を掴み、弾かれ地に突き刺さったままになっていた剣を握ると自分は後も見ずにその場から駆け出していた。
「追いかけなくても、良いのですか?」
「構いません」
偶然その広場に居合わせた者達が恐怖で戦慄き、身動きすらまともに取れず地に伏したままでいる状況の中。一人平然と彼に近付いて来た女が問う。まるで寄り添うかのようなその彼の連れである女に男は楽しそうに返す。
「あれは最早限界です……いずれ、こちらに来るでしょう」
くすくすと笑いながら、男は絹糸のようなその深紅の長髪をなびかせその場にいた者全てをその力でもって掃滅させた。
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