Act,1 敵対者 - 2 -

 情報を集めると言っても、大したものがあるはずもなかった。『竜人』という存在は今では伝説として残ってはいても、御伽噺としてしか取られていないのが実状である。

 姿の見えないモノ、理解できないモノ、知らないモノ――人はそれを異端とし、退ける。だからこそ、竜人など古人の作ったただの作り話と考える人が多いのかもしれない。


 事実、竜人は聖戦終結後公に姿を現さない。


 人が竜人に代わりこの世界を支配するようになってからもう少しで二百五十年になる。それだけ長い時が経てば『魔』でも、ましてや人がやったとは到底思えないような変死体が多少報告されたとしても、それだけで竜人の生存を認めるわけにもいかないのだろう。

 ……あるいは、人々は恐れるあまりそれを無いものとしたのかも知れない。神々を滅した時、もう恐れるものはないのだと事実を隠蔽しようとさえしたのかもしれない。

 けれど、確かに竜人は存在する。『赤の神』に村を襲われた事を始め、あのいけ好かない『黄の神』の血を引く青年と出会った事が何よりの証拠ではないか。


「あ、アーネストさん、あれなんですか?」


 ふと投げかけられた柔らかな声に、考えに没頭していた事に気付く。

 傍にいる少女は目を輝かせながら、やはり物珍しいのかあれこれとこちらに問うてきた。


「……馬車だな。金持ちの乗り物だ」


 舗装された大通りを走る、行商人が使うような粗末な造りでない立派なそれ。がらがらと音を立てながら行き交う。


「あれは?」

「噴水……まあ、街の大きな飾りみたいなものだ」


 街の外れにある詰め所を離れ、中心街に進めば進むだけ様々なものが所狭しと並び、その度にフィーはその色白の細い腕で訊きたいものを指し示す。


「じゃあ、あの人達は?」

「大道芸人か、俺も初めて見た。……街から街へ渡り歩き、芸を見せて旅をしている連中だ。やはり王都だと色んなものが集まるな」


 そう請われる度に説明してやると、フィーは心なしか頬を高潮させて嬉しそうに笑う。

 そうして歩みを進めてどれくらい経っただろうか。やがて街はひらけ、広場へと辿り着いた。そして、そこにあったのは。


「うわぁ……」


 フィーが感嘆の声を上げてそれを見上げた。

 王都セルの中心部。そこにあるのは巨大な城であった。


「これが世界の中心ともいわれるセル城だ」


 そう言うが、フィーは既に聞いていないらしかった。その寒気のするほど美しい城をじっと見つめている。

 酷く神秘的な印象を醸し出すのは、きっと城が真白い壁で出来ているからだろう。荘厳な造りで、色とりどりの硝子のはめ込まれた窓は訪れる者をただただ圧巻させる。何者をも受け入れるようでありながら、全てのものを屈服させる雰囲気を纏った、既に城と言うよりは神殿を連想させる奇跡のような楼閣。


「……伝承によると『銀の神』を倒した勇者イーグルの弟の子孫が、代々この地を治めているらしい」


 本当の事は解らんがな。

 そう言って、ようやくこちらを彼女の漆黒の瞳がこちらを見つめた。


「勇者イーグルの……弟……?」


 向けられる問い。その表情に、何故かふと、伝説の一説が頭に浮かんだ。


 されど闇の帳引き裂く者あり


「……イーグルは『銀の神』の元に単身乗り込み、倒し、この世に平和をもたらした――けれど、結局帰ってこなかったらしくてな。人々に迎えられ王となったのはその弟だったそうだ」


 若きその男

 ただ一人で神々の王滅す

 

 竜人の中で最も力を持ち、そしてこの大陸に城を構え他の大陸までも支配していたと言う『銀の神』を倒した英雄。他の城もやはりその大陸の人々によって落とされ、現在はそれぞれ竜人達の頭を討った者の子孫が王としてその大陸を支配している。


 神々忽然として失せ

 この時より人の世始まりぬ


 帰ってこなかった英雄。けれど訪れた人間の平和。たった一人で敵の本拠地へ乗り込み、たった一人で『銀の神』を倒し、たった一人だけ、帰ってこなかった。


「この城はなんでも竜人の城を人間側の勝利の象徴としてそのまま使っているらしい。だがこの城が一体何で造られているのかすら解らず、今でも開かずの扉があると言う噂だ」


 竜人の残党を探し始めてから、少しでも奴らについての、聖戦について書かれた文献を漁り始めてから色々と謎が多い事に気付いた。

 何故英雄は一人で乗り込んで行ったのか。どうやって人にとって創世神にも等しい竜人を倒したのか。そして竜人は――どうして、圧倒的有利であったはずにも拘らず滅んでしまったのか。


「本当に、綺麗……」


 フィーの呟きで考えは打ち止められた。

 多分こちらに聞かせるつもりで言ったのではないだろうそれ。彼女は胸元のペンダントを握り締め、相変わらず城を見上げていた。


「……内部は一般公開されている。行ってみるか?」


 そう問うと、フィーはこちらに振り返り、しばらく考えていたがやがてゆるゆると首を振った。


「出来ればゆっくりと見たいです……明日、ルアードさんも一緒にもう一度ここに……駄目ですか?」


 じっと、少し不安な色を湛えた瞳に見上げられた。

 ……あのやかましい奴と一緒にか……

 少々頭痛がし始めたが、彼女が一緒がいいと望む以上それを拒絶する理由もなかった。……なんとなく、面白くないと感じたのもまた事実ではあるが。


「……わかった、明日にしよう」


 そう言うと自分は、城の前の見渡す限りの広場に据え付けられた公共の椅子に座るようフィーに言った。


「疲れただろう、水を買ってくる」

「え……」


 彼女が座るのを確認してからそう言うと、少女は少し驚いたように目を見開いた。


「水なら、飲めるのだろう?」

「は、はい……」


 確認を取ってから、露店が並ぶ方へと足を向けかけたら。


「あの……っ」


 急に声を掛けられた。

 少し離れた所から振り返ってみると、フィーは下を見ていたがやがてこちらに向き直り、


「ありがとう、ございます……」


 柔らかな春の日差しのような微笑み。少しはにかんだようで、酷く愛らしくて。


「……礼を言われるような事はしてない」


 多分、きっと最後までこの言葉は彼女には届いていない。それを十分承知の上で、足早にアーネストはその場を離れた。


 ※


 黒髪の青年が見えなくてなったのを見届けてから、フィーは張り詰めていた気を緩めた。――いや、限界ぎりぎりで、最早その状態を維持する事が出来なくなったといった方がいくらか近い。

 眩暈が酷かった。立っているのもつらい。

 何とかあの黒髪の青年に気取られないよう微笑んでいたが、それももう無理そうだった。

 寒気にも似た空腹と吐き気にも似た欲望。体は欲しいと求め続け、全身の血が沸き立つような飢えが思考を支配する。その度に押さえつけるのは理性。


 ……いつかは覚める夢だとはわかっている。


 いつまでもこんな生活が続くはずがないのだ。今が異常すぎる。体がもたない。

 けれど。


 もう少しだけ、ここに居たい……


 居場所。温かな。

 笑って自分を受け入れてくれる人達。


 ……ダメ。ここは人通りが多い。


 フィーは堪らずがくがくと震える膝を叱咤しながら立ち上がった。

 一刻も早くここから離れなければ。ここ人が多い――気持ちが悪い。いや、そうじゃない。ここに居てはいけない。

 ぐらりと視界が揺れた。それが自分が倒れかけたせいだと気付くのに数瞬、温かなものを感じそれが自分の肩を支えてくれた誰かの手であると理解するのにさらに数瞬を要した。

 しゃらんと、胸のペンダントが鳴る。

 それを認めたらしい相手が、はっと息を呑むのを自分はどこか遠いところで聞いていた。


「アーネストさ……?」


 彼が帰ってきたのかと、またしても心配をかけてしまうと思い名を呼ぶがしかし返事は返ってこなかった。

 顔を上げると、自分の目の前でこちらの肩を支えていたのは知らない男だった。倒れかけた時どうやらこの人にぶつかったのか、それすら記憶があやふやになっている。もしくは感覚がおかしくなっているのか。

 男の歳は二十歳をいくらか過ぎたぐらいだった。漆黒の長髪を一つに纏め、やはり漆黒の瞳でこちらを見つめ――しかし、その瞳には明らかに驚愕、もしくは驚喜の光が宿っていて。睨み付ける様な目で、食い入るようにこちらを見つめていた。


「あ……の……?」


 彼は知らない。今まで会った事すらない。それなのに、どうして彼はこんなに嬉しそうに私を見るのだろう?


「……けた…」


 こぼれた声。

 どうしようもなく耳に心地よいはずなのに、この覚える恐怖はなんなのだろう?


「漸く見つけた……っ シュラインの血を引く者……!」


 その後に続いた言葉に声を失ったのは、兇悪なまでの飢えのせいだけではなかった。

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