Act,3 依頼者 - 5 -

 ここの所天候に恵まれている。

 昨日よりは少し雲は多いが、しかし空は綺麗に晴れていた。

 朝食にルアード作サルキの実のパイを食べ、さあ出発、と泊った部屋で出立の準備を始めてから幾許。アーネストはいい加減うんざりとしていた。


止血剤ティカル八レグ、包帯は十レグ。今ならナイフと研磨剤をセットで――」

「おい、いい加減にしろ」


 延々と人が旅支度を整えている前で品物を並べ買わせようとする阿漕な宿屋の主人であり彫刻家である彼女の頭を、自分は押しのけ。


「さっき散々携帯食を買っただろうが」


 相変わらずぼさぼさの長い茶色がかった黒髪を無造作に結んだだけの頭。やれやれとんでもない所で宿をとったものだとため息をついた途端。


「レディに対してなんて事をするんだ!」


 その言葉と共にぱかん、と頭を殴られた。

 ……反射的に殴り飛ばしてしまったが。


「準備は出来たのか? さっさと出るぞ」


 どうやらルアードと共に来たらしいフィーとイアンに向かって言う。フィーはルアードの傍について大丈夫かどうかと尋ねているが、イアンはわー、となんだかよくわからない感嘆を上げる。


「もう行くのか、金蔓」

「あははー、本音が出てるよー」


 むう、とあまり表情が変わらないのにも拘らず頬を膨らませたアルトの言葉に、へにゃんとイアンは返す。


「……こんな所にいたらいくら金があっても足りん」


 本心をそっけなく答え、自分よりも入り口に近いところにいたアルトを押しのけて部屋から出ようとすると。

 ――文字通り、後ろ髪をこれでもかと言わんばかりの力で引っ張られた。


「セルに行くのか?」

「……そのつもりだが?」


 相当な力で引っ張られ、はげたらどうする、と鋭く睨み付けるが全く彼女は堪えていない。感情に欠陥でもあるんじゃないかと思うぐらいその顔に罪悪の色はない。


「持ってって欲しいものがある」

「何なりと! 俺は女性の見方です!」


 ……嫌だ、と答える前に殴った事によってしばらく黙っていたルアードが思いっきり挙手した。


「おい勝手に……」

「そうか、よかった」


 それだけ言うと、アルトはルアードの腕を掴むと下の階に下りていった。どうやら持って行って欲しい物は他の所にあるらしい。


「あの馬鹿どうにかならんか……」

「あははー置いてくー?」


 ……それも有りかもしれないとふと考えた。


「あの、アーネストさん……?」

「いや……冗談だ」


 どうやらこちらの思惑に気付いたらしいフィーにそう言って、とりあえず自分達も下の階に下りる事にした。

 ……下に下りてもルアードはいなかった。


「本当に置いていくか……?」


 ぼそりと呟くと、それが合図のようにアルトの作業部屋と食堂を繋ぐドアが開いた。

 そうして、現れたのは。


「……ルアード、さん……?」


 巨大な箱――それこそ大人二人優に入れそうかつ頑丈そうな木製の箱を抱え、青年は物凄い形相で出てきた。その木箱の中に山と盛られたのはやはり木製の何か。よく見ると、それらは全てアルトの作品であるらしい。


「これを全部セルにあるイスリという店まで運んで欲しい」

「……全部、ですか?」


 フィーが恐る恐る尋ねるとアルトはこっくりと頷いた。


「さっき思い出したのだ。今回の依頼者はここまで取りに来れないから持ってきてくれと頼まれていたのだ」


 すっかり忘れていた。

 そう、淡白な声色でさらりと。


「……滅茶苦茶だな」

「そだねー」


 相槌を打つのはイアン。フィーが何とかルアードを支えようとしているが大して役に立つとも思えなかった。

 何やら頭痛がし始め、やはりここは早く立ち去った方が身のためだと考え、フィーの腕を掴むとさっさと玄関へと進む。


「な、なぁアーネスト手伝ってくれないか? これちょっと……本気で重……っ」


 背後から聞こえる情けない声。見ればルアードの腕はぶるぶると震えていた。


「……引き受けたのはお前だろう?」

「そういう事ー」


 そのまま、自分は玄関のドアを開けていた。


 ※


 ルアードはぼんやりと空を眺めながら踏み固められた、地面がむき出しの道を歩きあたたかく包み込む日光の恩恵に与る。

 『魔』はあの薄暗い森の中を歩くほどには出てこなくなっていた。きっと街が近いからなのだろう。『魔』は人の集まる場所を嫌う。集落――特に大きな街ともなると傍には殆ど寄り付かなくなる。

 そんなこんなで、宿に泊る前はあれほど頻繁に戦っていた一行であるが、現在は随分とのんびりと歩みを進めていた。

 柔らかな光が足元を照らす森の中。木々は開け、鬱蒼と茂るばかりであった頭上も今は光に透かされた美しい緑が覆うばかり。空はどこまでも澄んでいて雲は薄くたなびき、淡いその姿を最もよく見せている。

 ――だが。


《また、『魔』の屍骸?》


 ずっとイアンの服の中で息を潜めていたらしいロゼが久しぶりの外でんーっと伸びをしていたところ、またもや現れたそれに彼女は顔をしかめた。


「何かあったのかなー」


 しかしのほほんとしたイアンの返答。ソンナ穏やかな光景じゃナイでショーっと、小さな拳で金色の頭をぽかぽかと叩くその様子を尻目に――先刻自分がその役を買って出たとは言え、尋常でない量の依頼品をずるずると引き摺りながらルアードは考え込んでいた。

 次の目的地、セルまではそんなにかからない。夕方には辿り着けるだろう。だが――この光景は、一体なんなのだろうか。

 確かに森は『魔』の巣窟だが、街に近付けば襲われる事は少なくなる。だが現状は酷いものだった。街に近付けば近付くほど、倒された『魔』の屍骸が累々と続いている。それはまるで……まるで、引き寄せられたかのように、集まって倒されたかのように。

 まさか、と言う思いが脳裏をかすめる。

 竜人の血は『魔』を呼ぶらしいと、聞いた事があった。『魔』にとって竜人とは仕えるべき主人であり、彼らは本能的に主が誰なのか知っているのだと。だからこそ、主を取り返そうとして村や街を襲う事があるのだと。なにも空腹だけで人を襲うわけではないのだと。

 だとしたら――?


「あの……」


 不意に、フィーの酷く辛そうな声が上がった。考えに没頭していたせいか、彼女の異変に気が付かなかった。


「フィーちゃん? どうしたの?」

「匂い……」


 返されたのは一言。


「匂い?」


 問い返すと苦しそうに……いや、吐き気を催すのか口元を押さえ青ざめている彼女の姿。


「人の、血の……匂いが……」


 その言葉にアーネストもぴくりと反応した。


「本当だ。風に含まれて……近い」


 ぐっと、彼は剣の柄に手を触れた。

 点々と続く『魔』の屍骸。それとは違う、人間の血の匂いが漂っていた。屍骸から放たれる悪臭で気が付かなかったが、気が付いてしまえばそれは酷く自己を主張していた。


「『魔』に……襲われたのか……?」


 異様な光景に眉を顰めながらさらに進むとそれは――あった。


「や……っ」


 フィーの声なき悲鳴。

 アーネストも口元を押さえ身をよじる。


「これ、は……」


 己の乾いた声。

 ……それは原形を留めていなかった。辺りに散らばる物からそれがかつて人であったのだと判別出来るだけ。飛び散った物は既に赤黒く変色し、白い物は無理矢理折られたのか鋭く尖った先を天に向けその姿を晒していた。


「旅人……だったらしいね」


 イアンの声。酷く酷薄で。

 眼下に広がるのは明らかに『喰われた』後のもの。

 そこにはサルキの実がたわわに実っていた。

 これは単なる偶然か? それとも――?

 答えはまだ、出ない。

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