Act,3 依頼者 - 4 -

 深紅に燃える夕日はもう残っていなかった。沈んだばかりの太陽の最後の足掻きだといわんばかりに、西の空はまだ少し黄色がかっている。強烈な閃光の変わりに、今は冷たい風が吹いていた。


「もういいよ、ロゼ」


 出ておいでーと、金髪の青年は相方に呼びかける。その声と共に、小さなピクシーは彼の懐からふわりと飛び立った。


《はぁ……毎度のコトだケド、相変わらずスゴイわネ》


 彼女は辺りを見回しながら、感嘆とも呆れともつかない声を発す。

 太陽の沈んだ森は静寂に支配されていた。ただ一人、その中にぽつりと佇む青年に向けられるのは生物――『魔』の殺気。青年の「人の部分」を喰らいたいと渇望する欲望の渦。

 それでも『魔』は彼を襲う事はない。

 何故なら、青年の足元はどす黒い液体が大地を染め上げていたからだ。夥しい数の『魔』の骸が、彼を中心として丸く円を書くようにして転がっている。


「――まあ、いつもの事だから」


 その様子にさしたる感動も覚えず、彼は森に出て来た時にほどいた髪をかきあげる。この惨状を引き起こした当の本人であるにも拘らず、少しも乱れた様子もないそれ。

 彼の左手に握られている槍からは未だぽたぽたと倒したもの達の血液が滴っていた。


《ツクヅク、厄介なモノよネ。竜人の血ってヤツは》


 たまったモノじゃナイワ。

 小さな少女はそうこぼしながら青年の肩にしがみつく。彼といる限りこういった状態に陥るのはどうしても避けられない事とはいえ、やはり斬り刻まれた『魔』の姿などあまり見たいものではないらしい。


「でもまあ、『魔』との遭遇率が高くなるからこそこうして思いっきり運動できるわけなんだしー」


 しかしその事に気が付いているのかいないのか、金色の青年はにこにこと笑うだけ。


《……これを運動と称すのもアンタぐらいネ。行く先々で『魔』に襲われるばかりデ、一向に「探しモノ」が見つからないのもそのセイだってコト、わかってるノ?》


 呆れて言い返すと、わかってるよー、とやはりどこか間の抜けた声が返ってくる。しかしその瞳は酷く冷たく、そこに宿る金色を鋭く光らせていた。


「そうは言っても簡単に見つかるものでもないし――」


 そう言いかけた途端、のそりと動く影。倒したとばかり思っていた『魔』の内の一つが息も絶え絶えに青年の後ろに立っている。最後の足掻きとでも言うのだろうか、ぼろぼろになっているまるで熊のような『魔』はそのまま青年に向かって襲い掛かってきた。

 その様子を、別段慌てる様子もなく青年は見つめ――ふ、と、口元に笑みを馳せ。

 雷火。

 闇夜を劈く紫電。『魔』の体を引き裂くは眩耀の刃。

 指一つ動かす事もなく彼はその巨体を地に沈めさせた。


「とりあえず――使えるものは使う、という事で」

《いい性格してるワ》


 一言の元。


《……ゴハン、探しに来たんデショ?》

「そうだね。まぁ――それだけでも、ないんだけどね」


 くすくすと笑いながら。

 そう言うと、彼らの姿はさらに深い森の中へと消えていった。


   ※


 頭上には既に綺羅星。

 しかし奥深い森の中では深闇ばかりで星辰の光は仰げない。けれど男にとってそれはとても――とても、都合が良かった。


 逃げられないようまず足を狙った。


 絶叫と共に舞い散る赤。鮮度を保つためにすぐ首も刎ねた。

 びくびくと痙攣する彼らの瞳には「異形」に対する恐怖が残ったままで――それが気に入らなかったので、さらに作り出した刃でその顔を切り刻んでやった。びしゃびしゃと、同時に首を刎ねた二人の胴体からはまだ脈打つ心臓と共に鮮血が噴き出し汚らしく辺りを染めていく。

 もったいない。前回女を喰った時と同じ事を考えながら、それでもその血の甘い匂いは男の欲望を掻き立てた。

 男など、筋ばかりで美味くない。

 しかし空腹には耐えられず捻り千切った腕にむしゃぶりついた。実を言うと人間の男を喰うのは彼にとって初めての事。村を襲った時も男は全員殺し女だけを喰い漁った。

 美食だとか、そういうわけではなく単なる食わず嫌いとでも言うべきもの。


 ああ、やはり硬い。


 旅人は動き回るからだろう、大して脂ものっていなかった。

 辺りを真っ赤に染めながらも男は『食事』を続行する。彼の周りに集まって来る『魔』たちは彼の張った結界に阻まれて近付けない。

 男が「そんなに美味くはないが喰えないよりはマシ」といった感想を抱いている中、ふと『魔』ではない、自分に近くまた良く知った者の波動を感じて顔を上げた。

 そこにいたのはしばらく別行動をしていた彼の連れ。ここに来るまでに邪魔だったのか、それとも単なる憂さ晴らしか運動か。連れは『魔』をかなり倒してきたらしくその後ろには死骸が点々と続いていた。

 男は『食事』の手を止め――相手に向かって、ただ微笑んだ。


 ※


 とりあえず左の手首から甲にかけての傷を隠すように包帯を巻いてから下の階に下りると、既に食卓はきちんと整っていた。

 柔らかな光を発するランプに色とりどりの食材を盛り付けた皿。それらが食堂の長机の上に綺麗に並べられている。


「さあさあ座った座った! ルアード様が腕によりをかけて作った夕飯だぞ!」


 アーネストが感心する、というか一緒に旅をしていてよかったと思うのはこういう時だ。器用にもこの男は食事から縫い物まで幅広く何でもこなすのだ。性格的にはただのうるさい奴だが、こういう時は役に立つ。

 促されるままアーネストは席に付こうとして、目の前にいた茶色がかった黒髪の持ち主を前にふと動きを止めた。

 そこにいたのはこの宿の経営者。ちゃっかりと食卓についており、まだか、と言いたげにこちらを見て早く食べたいという雰囲気を纏わり付かせていた。

 ……要領がいいというか……

 呆れとも感心とも言える複雑な心情でアーネストはとりあえず席に座った。後ろから付いてきたフィーもやはりルアードに促されるまま、少し強引に自分の隣に座らされた。


「やーいいねぇ、こう美しい女性達に囲まれて食事をするなんて」


 ……それはもう本当に嬉しそうにルアードは笑っている。こういうのを邪な笑顔というのだろうか。


「……おい、舞い上がるのは勝手だがその手に持っている水差しを貸さんか」


 うっとりとしているルアードはコップに水を注ぐつもりで水差しを持っているらしいが、しかしそれは今現在彼の腕にしっかりと抱え込まれていてその役割は果たされていない。

 ああ悪い悪い、と言いながらもルアードの表情は緩んだままで、半ば引っ手繰るようにしてそれを受け取るとアーネストは己と隣のフィーのコップへと水を注いだ。アルトのは……たぶんルアードの奴が最初に注いだのだろう、既に満たされている。


「……あれ? アーネストピアスなんてしてたっけ」


 どうやら引っ手繰った時に揺れるそれを見つけたらしい、ルアードが不思議そうに覗き込んできた。


「あれれ? フィーちゃんももしかして同じヤツつけてる?」

「……」

「……」


 平静を保っていたはずの頬が、一気に熱を持つのを自分は他人事のように感じていた。

 同じヤツ――つまり、おそろい。一対の物を二人で別けたわけで、お互いに付け合ったのはつい今しがたなわけで。

 自分もフィーも黙りこくってしまったのにルアードは何か思い至ったらしい。見る見る顔色を変えて、


「はっ まさかフィーちゃんオオカミに襲われた!?」


 ……彼が叫んだのと彼の脳天を己が激しく殴りつけたのに要した時間は僅か数瞬だった。


「……誰が狼だ、誰が」


 何をどうしたらそういった結論に達するのか、一度コイツの頭を開いて脳の構造を見てみたいとアーネストはその時本気で思った。


「だって今の反応ってば怪しさ全開だろ!? 何かやっちゃった後の謝罪でピアスをプレゼントとか!」


 ……普段から容赦はしていなかったが、この時は本気で全身全霊の力を込めて、座ったまま相手の顎にこれでもかといわんばかりに拳を叩きつけた。


「あ、あのぅ……」


 その様子を目の当たりにしてフィーが声なき声を上げているが、しかし自分は並べられていたフォークを手に取りぴくぴくと悶絶もせずいる彼を完全に無視して食事を始めた。

 顔を上げるとアルトはもう既に食べ始めている。自分はもういい加減こういった状況に慣れているからともかく、これだけ派手に目の前で暴れていても全く顔色も変えずにもくもくと食べ続ける彼女の神経は……いや、出会った時から変な奴だとは思ってはいたが。


「と、とりあえず……フィーちゃんにはこれ」


 口の中でも切ったのか、だらだらと血を流しながらもなんとか立ち上がったルアードはフィーの前に一つの皿を置く。


「あ、あの……大丈夫……です、か……?」


 よろよろとかなり怪しい足取りの彼にフィーはビクつきながらも声をかける。血を流しながらもルアードは無理に笑っていて……かなり怖い事になっている。


止血薬ティカルならあるぞ。八レグでどうだ」


 その様子を見ていた宿屋の主が、一体どこから出したのか布に包まれた止血薬ティカルの包みをばっと彼の前に突き出した。

 それに少々面食らったらしいルアードは、しかし「大丈夫だから」と言ってタオルで口元を拭う。……アルトが「ダメだったか」とかなり腹黒な事を言いながら小さく舌打ちしたのを、アーネストは聞き逃さなかった。


「とりあえずアーネスト君には後で色々話したい事があるわけなんだが、まあメシ食うのが先だな」

「……俺はお前と話す事なんぞ何もないが」


 妙な光を秘めた瞳で見つめられ、アーネストは悪寒が走るのを感じたが――しかしルアードは凶悪なまでな笑顔なわけで。


 ……面倒な事になったな。


 たぶんこの後しつこく尋問されるのだろうなと考えると気が重い。日常の雑務をやらせるには非常に有能だが、なかなかどうして、女性が絡むと酷くこちらに被害が及ぶ。

 ……その事わかっているのかいないのか、彼はどうやら自信作であるらしい食事をしきりに物を食べようとしない少女に勧めていた。


「少しでいいから、ほらこれ。冷めちゃう前にちょっとだけでもいいから」


 先刻血を流しながらフィーの前に置いたスープ。自分やアルトには配られていないそれは、たぶん少女のためにわざわざ作ったのだろう。それにフィーも気が付いたらしい。


「でも……私……」


 それでもやはり彼女は拒絶する。

 精神的な面から食事を拒むのは仕方がないとは思うが、彼女を連れて旅を始めてからそう日は立っていないとはいえ少女にはかなり辛いはずだ。それなのに殆ど……いや、全く食べ物を口にしていない。さらに言うなら自分達があの廃村で彼女を見つけるまでこの少女が何か食べていたとも考えられなかった。

 現に彼女の頬はどことなく青白く、少しこけていて血色も良くない。時に単なるお節介と化す彼もそういった事は重々承知しているのだろう、今まで勧めてきても一向に良しとしなかったフィーに今日は無理矢理にでも食べさせるつもりらしい。


「これには肉類一切入れてないから大丈夫。さあ! ルアード様特製愛情たっぷり拒食症の貴女に胃に優しく栄養満点のスープ! ずずいと飲んでくれたまえ!」


 ずずいと!


「え、あ、は……い」


 声高に、しかもかなり自信ありげなルアードに気圧されたのかフィーは、観念したかのようにようやくおずおずと手を伸ばし、木製のスプーンを手に取った。そうしてとろりとしたそれを少し掬い、酷くゆっくりとした動作で――躊躇いがちに、口元へと運んだ。

 嚥下されるのを確認してから、どう? とルアードはようやく席につきながら問う。


「……美味しい、です」


 ほんのりと淡く微笑む。

 非常に満足そうにしているルアードを見ながら、またしてもアルトはぴたりと食事の手を止め、


「いいものがある」


 と、やはりどこから出したのか不明な、大きめの黒い瓶をどんとテーブルの上に置いた。


「拒食症の貴女もこれで安心、食欲促進剤。今なら二十レグで……」

「いやもういい。もういいからその怪しげな物をさっさとしまえ」


 見るからに怪しいそれをアーネストが何とか収めさせると、フィーはふと、


「……あの、そういえばイアンさんは一緒じゃないんですか?」


 姿の見えない青年について尋ねてきた。

 金の髪と瞳を持つ、竜人の血を引く青年。

 成り行きで道中を共にしたがどうにも底知れない、得体の知れない人物である。

 ここに来る間も時々行き先も告げずふらっとどこかに行ってしまい、気が付いたら何度かいなくなっていたのだ。


「あいつなら何か外に出たみたいだけど……そんな事よりさ、スープ大丈夫? ホントに美味しい?」


 意図してか、ルアードは会話を変えた。

 まだ一口しか口にしていないスープの感想を、フィーの顔を覗き込むようにして問う。


「えと、はい……すごく美味しいです」

「へへー俺んとこの郷土料理なんだよ」


 美味いだろー、と彼は笑う。その前でフィーはもう一口スープを啜った。

 と、その時。


「わーいいにおいがするー」


 冷たい夜風が柔らかな炎に色取られる食堂に吹き込んできた。そしてそれと共に耳に届くのはどこか気の抜けた声。


「あ、イアンさん……」


 現れたのは金色を纏う青年だった。しかし現在その見事なまでの金髪は布の下に、肉食動物を連想させる金の瞳はロゼのおかげで黒くなっていた。


「……どこ行ってたんだよ」

「んー? 外でゴハン探しにー」


 ルアードが挑発的な言い方をしたにも拘らず、イアンはにこにこ笑って答える。一見邪気のない様に見えるがどうも胡散臭い。


「外?」


 アーネストが訝しげに問うと、こっくりとイアンは頷いた。


「そうー俺外で果物とか探して食べるのが習慣なんだー」


 へにゃへにゃと笑いながら、のらりくらりと彼は相変わらず表情を変えない。

 外で果物などを探して食べるのが習慣――ロゼの事だろう、それは。エルフは肉類をあまり好まないとはいえ人間と同じ雑食である。しかしピクシーは主に果実や花の蜜を主食としている。厳密に言うなら、それしか食べられない。


「ほらほらお土産―」


 彼はそう言いながら手にしていた布を、まだ料理の並ぶテーブルの上に皿を押しのけて広げた。そこからは鮮やかな紫色をした、熟した拳大の果物が。


「サルキの実か」


 一つそれを取り、宿屋の主人は呟く。


「ヘェ、美味そうじゃん」

「……おい、本当にメシはいらないのか?」


 とんとんと上の階に上がりかけた青年に問うてみるが、しかしイアンは、


「悪いけどもうお腹いっぱいなんだー」


 あ、でも朝食はよろしくねー

 そう言い残し、二階へと姿を消した。

 その後ろ姿をしばらく見ていたルアードが、やれやれと一つ息をついて。


「……とりあえず俺達もメシにしよう。サルキの実は明日の朝パイにでもしてやるよ」


 加熱しなければ食べられない果実を再び布で包み、ふと、ルアードは周りを見回した。


「どうかしたか?」


 そう問うと。


「フィーちゃんはどこに行ったんだ?」

「……? さっきまでそこにいたんだが」


 座っていたはずの席に彼女の姿はなかった。


 ※


 食堂の裏口からそっと外に出ると、そこは凍えるとまではいかないまでも冷たい風と無情なまでに暗い闇が支配していた。

 よろり、フィーの手は体を支えるため木製の壁をつく。


 ――忘れようとしても、出来ない物がある。


 突きつけられる事実。湧き上がるモノを止める術は最早ない。

 抵抗するのは理性。

 増幅するのは本能。

 そして。


「ぅ……く、あ……」


 そして、吐瀉。

 鼻に付く独特の臭い。足元を汚す。

 吐く物なんて何もないはずなのに体は凶悪なまでに拒否反応を起こす。

 げほげほと咳き込むが、一向に気分は良くならない。寧ろ、逆。


「私……死ぬのかな……」


 蓄積されるのは澱。攪拌されるのは心。

 呟きは闇に飲み込まれた。

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