Act,3 依頼者 - 3 -
足元を覆い尽くすのは亡骸。
けれど、ソレは人のものではない。
自分はソレの体液にまみれた父親の形見である大剣を抱え、その場に座り込んでいる。
「……そんなに、憎いのか」
いつも傍にいる彼が投げかけた言葉。奴等の流した血でドロドロに汚れた自分は虚ろな瞳で彼を睨み付ける。
「今更聞く事でもないだろう」
憎いから殺す。
理由などそんなものだ。他にない。
「……村を、出るんだってな」
仇を討ちに。
こんな森の奥深くで『魔』をいくら斬ったところで何もなりはしないから。
「……そうだ」
短く答え、立ち上がる。
「俺も付いてくよ」
「……
「それもあるけど――お前を一人にしておけない。お前の性格じゃ一人旅なんて無理だよ」
「……よく言う。お前達にとって重要なのは俺が他の場所でこの里の事を他言するかどうかなんだろう? 俺はここでは単なる居候……いや、厄介者だからな」
くっと、自嘲じみた笑みを浮かべる。
そんなこちらの様子に、目の前の相手はやれやれとため息をついた。
「やっと笑ったかと思ったらそれかよ……」
がりがりと頭を掻く相手に背を向けて歩き出すと、慌てて彼は追いかけてきた。
「とにかく、俺はお前が何と言おうと付いてくからな。お前を絶対、見捨てたりなんかしないからな!」
背後から投げかけられた声。
こんな奴が付いて来たらうるさいだけだと、無感動に思いそのまま歩みを止めなかった。
「……」
深遠から意識が浮上する。
体を包む柔らかな布の上でアーネストは閉じていた瞳を開けた。
どうやら眠っていたらしい。
浅い眠りであったとしてもそうすぐに頭が冴えるわけではない。しばらくぼぉっと傍にあった窓の外を眺める。
窓の外は燃えるような夕焼けであった。
……夕日。夢。あの日もまるで血に染まったかのように空は赤かった。
エルフの集落から旅立つ前日の夢。自分の村が竜人によって滅され、エルフの集落に連れて行かれてから十二年目の事であった。
エルフは人と種族を違える者。独自の文明を持ち、人より優れた技術を持つ。人間である自分を引き取る事すら散々渋った彼らである、集落から旅立とうとするのを許すはずもなかった。
――信じられるものか。
甦る声。
――そんな保障がどこにある。
偉そうに。好きで
この旅だって「監視役」であるルアードを同行させるという条件で成り立っているのだ。
「――くだらない」
軽く頭を振ると、隅に立てかけた大剣が眼に入った。
泊る事となった宿で、割り当てられた二階の個室。寝台と小さなテーブルしかない殺風景な部屋だ。その中で父の形見はいささか異彩を放っている。
「……」
そっと腕を伸ばし、抱き込むような形でそれを取る。すらりと半分までそれを抜くと現れる白銀。刀身に己の姿が映る。
立ち上がり、今度は完全に抜ききった。
昔は、持ち上げる事すら出来なかったのに。
仇を討つ為にと、死ぬ物狂いで剣を握っていた昔が脳裏をかすめていった。
大人が扱う重い剣。幼い自分の手に馴染む筈もなかったが、それでも、そうやって何かに打ち込んでいなければ居ても立ってもいられなかった。恐かった。
……今ではもう、片手でそれを扱えるほどになっていた。それどころか『魔』を倒し、こうして旅までしている。
すっと、手にしていた大剣を右手で持ち上げ、扉に背を向けて窓にその切っ先をかざす。
旅立ちの日、この刃に誓った。この父の形見で、必ずあの『赤の神』を殺すと。竜人を滅し『魔』を一掃するのだと。たとえ力及ばずこの身が果てようとも、生き続けるくらいなら無残に散る方がまだマシだと。
……もう、覚えていない両親の顔。
確か五つになったばかりの頃だった。ただただ深紅が辺りを染め上げ、微笑みながらも真っ赤になっていった朧げな輪郭のみの両親の顔やその光景が、赤い色が鮮やかに脳裏を埋め尽くす。
「……」
エルフ達に連れられ一度だけ、廃墟となった自分の村に戻った事があった。その時に見つけた大剣。今は自分のこの手の中にある。
その腕を下ろそうとした時、不意に扉の外でカタン、と言う物音。
考えるよりも先に、反射的に体が反応した。
「――ッ!」
びたっと、鋭く研ぎ澄まされた刃が突として訪れた来訪者の喉元に突きつけられた形。
かなりぎりぎりの所で止まった動作。
もう半歩踏み込んでいたらその細く色白の首に白金に輝く刃が突き刺さっていただろう、そんな突然の出来事に眼を大きく見開いたまま、扉を開けた状態のまま呆然と立ち尽くすのは一人の少女。そのままぺたんと少女――フィーは声もなく座り込んでしまった。
「す、すまない……大丈夫か」
慌てて剣をしまい、手を差し伸べる。
「は、はい……大丈夫、です……ちょっと、びっくりしただけで……」
そうは言うものの、掴んだ彼女の腕はまだ微かに震えていた。どこが大丈夫なんだと思いはしたが、特には追求せずにそのまま座り込んでいる彼女を立ち上がらせた。
「……」
掴んだ彼女の細い腕は普通よりも温かく感じられた。その飴色の髪は濡れ、心なしか頬も火照っていて……何より、彼女はゆったりとした長袖の白いワンピースに着替えていた。
その胸には母の形見であるという細かな細工を施されたペンダント。高価そうなそれは、彼女が動くたびに相変わらずしゃらしゃらと細かな音を立てている。
「風呂に入ってきたのか」
そう問うと、フィーはふわりと微笑んだ。
「はい。久しぶりのお風呂はやっぱり気持ちがいいですね」
確かに、とアーネストは思う。
泉や河川を見つけるのにも骨を折るが、こう熱い湯に浸かるというのはやはり民家や街ならではのものだろう。
特に女性にとって何日も風呂に入れないというのはやはり嫌らしい、少なくともフィーは風呂に入れた事により機嫌がいいらしくいつもよりも穏やかな表情だった。
「アーネストさんも着替えて……良くお似合いです」
フィーは現在自分の着ている、藍色のやはりゆったりとした長袖の上下を見てから言った。あの濡れたいつもの服は現在洗って外に干してある。
「……金を、取られなかったか」
「え?」
この服を渡されたときの事を思い出し、自分は目の前の少女に問うていた。
「俺はこれを三レグで貸し付けられた」
狡猾な女だ。そう思う。この分だと他の旅人も似たような目に遭っているのだろう。
それを聞いた彼女も、ああだからあの時も、と小さく洩らした。そうして改めてこちらを見ると、フィーはふふ、と笑う。
「どうかしたか?」
「あ、いえ……なんでもないです。私は別にお金は取られませんでした」
くすくすと笑う彼女は、けれどその前に少し拘束されてしまいましたけど、とやはり笑っていた。
「でも、やっぱりなんだか少し不思議な感じです。アーネストさんはいつもきっちりした服を着ていたから……ゆったりしたそれを着ているアーネストさんって、結構貴重なのかなって」
いつも手袋もしているし――そう言いかけて、こちらの手を見た彼女はびくりと肩を震わせた。
全身ずぶ濡れになり、あの時身に付けていた物はすべて洗って外に干してある。その中にはいつも滅多な事では外さない手袋も含まれていた。
「……これ、か」
フィーが何を見て震駭しているのか十分分かっているアーネストは、その左手をゆっくりと持ち上げた。
その甲には、頬にあるのと同じほど深い傷跡――それが長袖の中に入り込んでいた。そのまま腕をまくると、手の甲から肘の関節あたりまでそれは走っている。他にも有り得ないほどの無数の傷跡。
「……昔の傷だ。竜人に……俺の村を襲った『赤の神』につけられた、全身に走っているヤツの一部。……良く生きていると、散々不思議られたがな」
死にかけていたのだと、後から聞いた。それでも五体満足で生き延びられたのは両親が事切れてもなお自分を護るように抱きしめていたからだと、やはり後から聞いた。
「気持ち悪いだろう? だからなるべく肌は見せないようにしているんだが――」
なんとなく目の前の少女と目を合わせずらく、逸らしていた視線を戻すと。
少女のその黒曜石のような瞳から、大粒の涙がぽろぽろとこぼれていた。
「お、おい……!?」
いきなり泣き出してしまったフィーにかなり慌てるが、しかし彼女は首を振りながら何か言おうとしている。
「ごめんなさい……」
そうしてようやく「音」となったのは、謝罪の言葉。
「な、何でお前が、謝る必要がある」
かなりうろたえていると、自分でもわかった。声が少し裏返っている。
少女には刺激が強すぎたのだろうか、やはり見せるべきではなかったのかと自己嫌悪に陥るが、けれど彼女には何故か知っておいて欲しかった。
「……悪い。見せるべきではなかった」
「違……ッ 違うんです……」
否定しながらしかし少女の涙は止まらない。
まくった左腕を元に戻しながらどうする事も出来ないアーネストは、フィーの頬に流れ落ちる涙を時折拭ってやりながら、ただ泣き止むのを待つ事しか残された道はなかった。
「……何か、用件があったんじゃないのか」
ようやく涙が乾きかけてきたところを見計らって、話題を変えなければとその間ずっと考えていた事をそのまま口にする。
「は、はい……ごめんなさい……」
そう言ってフィーはごしごしと涙を手の甲で拭う。そうして何度か深呼吸をしてから、改めてこちらを見つめてきた。
「……あの、私ルアードさんに、もう少しで晩御飯が出来上がるからそろそろ下りてくるようにってアーネストさんに伝えに来て……あの、あの、まだお時間いいですか……?」
すがるように頭一つ分は違うだろうこちらを見上げながら、もともとあまり大きくない声をさらに小さくして。
「……構わないが」
そう言って次に続けられる言葉を待つが、しかしすぐには用件は得られなかった。
「……どうした、用があるんじゃないのか」
「あ、あの、これ……身を護るアミュレットだと聞いて……良かったらつけて欲しいなって、思って……」
……急かしたつもりではなかったのだが、しかし彼女はごそごそと後ろで弄んでいたらしい小さな包みをこちらに差し出した。
何だと思い掌ほどもないその包みを開くと、中には小さな一対のピアスが入っていた。何本か付いた小さな板には細かな文字が彫りこまれている。
「あの、こういうのは嫌いですか……?」
不安げに見つめてくる彼女に、いや、と返して一対のうちの一つを指先でつまみ上げた。
「……細工が細かいなと思って」
カラン、と耳を澄まさなければ聞こえないような音を木切れはぶつかって立てる。
「…………ありがとう」
なんとなく気恥ずかしくて、小さく礼を言う。その言葉に少し驚いたようなフィーは、それでもふわりと笑った。先刻の涙がまだ睫毛に残っていて、どことなく艶めかしい。
そんな彼女を前に、早速そのピアスを付けようと銀色の金具の部分を外した。そのまま左耳につけようとする――が、上手くいかない。しばらく奮闘してみるがやはり出来ない。
「……」
だんだんと表情が硬くなってきたその様子をしばらく見ていたフィーが、くすっと笑って「貸してください」とこちらの手にあったピアスを取った。
「あの、少し屈んでもらえますか?」
彼女の言う通り屈むと、その白く細い腕が伸びて左耳にそっと触れた。
「アーネストさんって、実は不器用だったんですね」
「……悪いか」
憮然として返すといいえ、笑う声。
時折触れてくるその手は心なしか冷たくなっていた。
「少し意外だなって……と、付けられました」
それじゃあ今度は右側も、と言って右側に回ったフィーの腕を自分は取った。
「あの、」
「……こちらはいい」
そう言って彼女の手に握られていたもう片方のピアスを取ると、それを彼女の右側に付けてやった。他人に付けてやるのはそう難しくはない。
「あの、アーネストさん……?」
「お守りなのだろう。フィーも付けてろ」
彼女の頬にかかった柔らかなその飴色の髪を耳にかけてやると、彼女は途端に真っ赤になってしまった。
「何でそんなに赤くなる?」
「え、あ……は、初めて、アーネストさんが名前で呼んでくれて……その、嬉しくて……」
最後は消え入りそうな声であった。
そうして。
「おらーッ メシだぞーッ!」
下で夕食を作っていたルアードの声が届くまで、お互い顔を真っ赤にさせた二人は部屋の前で立ち尽くしていた。
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