Act,3 追撃者 - 2 -

 村の印象は何と言うものでもない。ただ森を少し開拓して村人達の必要最低限の食糧を供給してくれる田畑があり、水源となる小さな泉があるばかり。家畜も僅かにしかいない。

 この村が彼女の出身地であり、またこちらに矢を撃ってきたのは彼女の実の弟セイロンであったのだと知らされたのは姉弟の再会とは思えない丁々発止の応酬の後の事であった。


「娘が大変迷惑をおかけしまして……」


 そうして一向はどういうわけか現在そのクレリアの生家で食事をご馳走されていた。


「いやぁ、そんな迷惑だなんて! 彼女のおかげで楽しい旅ができましたよ」


 こういう時にも口数の減らない男は、しかし久しぶりのまともな食事にがっつきながら本人爽やかなつもりなのであろう、にっこりクレリアの母親に向かって笑みを投げかける。


「……だけど姉貴って「盗賊で荒稼ぎだ」とか何とか言ってこの村飛び出していったんだぜ? 迷惑かけてない出会い方だったとは到底思えないんだけど」


 セイロンの鋭い突っ込み。しかしルアードは全く顔色も変えずに、それでもしっかり出されたパンをほお張りながら、


「いやいやいやたしかにちょーっと被害を被ったかもしれないがそれはそれ、可愛らしいレディのした事さ。男は笑って流さないと」


 と、右手でそれとなく前髪を掻き上げてはいるものの、左手にパンを持っている時点でかなり間抜けな構図でもあるにも拘らずポーズを決めている。多分気付いていないのだろう。


「この人っていっつもこんなんなのか?」

「まあね」


 同じように食事をしながら姉弟がその様子をどこか遠い目で眺めていた。


「本当にごめんなさいね。最近山賊も多いし、他のこういった辺境にある村がよく『魔』に襲われてたりするからって村の警備を厳重にしているんです。旦那もまだ見回りから帰ってきてなくて……て言うよりも」


 母親がやはりものを食べようとはしないフィーの前にじゃあスープだけでも、と言って持ってきていた皿を彼女の前に置き、空になったお盆を持ち替え。

 ばこん、とそれをそのままフィーの隣の席に腰掛けていたクレリアの頭に振り下ろした。


「……」


 一同唖然としている中、しかしこの家庭では日常茶飯事らしい、セイロンは全くもって平常心を保っている。


「なにすんのよ!」

「なにすんのもなにもありますか!」


 どうにも年季の入っているらしい木製のそれで頭をはたいてくれた母親に、よほど痛かったのだろう、娘は涙目になって猛反発した。

 しかし母親も黙ってはいない。


「勝手に盗賊になるとか言って飛び出して! どれだけ心配したのかわかってるの!?」

「仕方がないでしょこの村貧乏なんだから! 誰かが大金かせいで少しでも豊かにしなきゃ魔物や山賊に全滅させられるよりも先に自然消滅するじゃないの!」

「あんたまだそんな事言ってるの!? 今の生活に満足できない――」

「満足したらそれまでで向上心も何もない――」

「――!」

「――!」


 ……どうやらその口達者なのは姉弟に限ったことではないらしく、その血脈は代々受け継がれているらしい。


「あの……止めなくていいんですか……?」


 フィーがその尋常ならざる光景を目の当たりにしてスプーンを持った手を止めている。

 ……自分はと言うと口出しするのも馬鹿らしいので観戦しながら食事を堪能する。


「いやまあ、お互いの言う事は間違っちゃないからなぁ」


 フォークで大皿に乗った肉を取り口に運びながら、セイロンは関心もなさげに答えた。


「しょうがないんだ。この村は見た通り貧しいし姉貴はそれをどうにかしたいと思ってる。だから一人で旅に出たんだ。母さんは姉貴の方向音痴の酷さを知ってるから旅に出したくないし、このまま何も変わらず穏やかな日々が続けばいいと思ってる。……まあお互いの意見があれだけ正面きって言えるんだから、特に心配する事ないさ。言えるだけ上等だよ」


 ……確かに正面切って物が言えるというのは素晴らしい事なのかもしれないが、手や足が出る以上そんなのほほんと言えるほど大層な物とは思えない。


「……いいねぇ、こういうアットホームで退廃的なの」


 フィーがおろおろとしている中、ルアードは実に楽しそうに言った。退廃的? セイロンが途端に理解に苦しむといった顔になる。

 しかし彼は全くそれを無視して、


「なぁアーネスト、この村ならいいんじゃねーの?」


 それまで一言も口にしていなかったこちらの長い髪を軽く引っ張りながら――これは彼が自分を呼ぶ時の癖なのだが、ルアードはもぐもぐと口の中にあるものを飲み込みながら話題を振る。

 行儀が悪い、とその手を払いながら。


「……何が?」


 その問いにルアードはしばらくきょとんとして、


「何だよもー、忘れたのかよ」


 ばんばんとこちらの肩を叩いた。


「ほら当初の目的! フィーちゃんを安全な村に送り届けるってやつ。忘れたとは言わせないぞ?」


 痛い、と持っていたナイフを彼に向かって投げかけていた手をぴたりと止め、向かいに座っている、彼女の隣のクレリアと母の攻防戦を止めようとして上手くいってない様に目をやった。


「……忘れてなどいない」


 ぞんざいに言い捨て。

 ふいと視線をそらすと、食事を再開する。


「うん、ここならいいんじゃない? クレリアちゃん賑やかで楽しいし、何より面が割れてるし。俺もここになら安心して――」

「おいおい、勝手に話を進めないでくれよ」


 セイロンのストップが入った。母子娘は――今の会話が耳に入ったとも思えない。


「確かにあんた達にはいいかもしれないけど、俺達の事も考えてくれよな。さっきも言ったけどこの村は貧しいんだ。人が増えるとその分負担が増えて……」


 セイロンの声。

 途端に他人のように、酷く冷淡に聞こえた。

 この村は貧しい。今の生活でいっぱいなのだ。他人の面倒など見ていられない。

 彼の言わんとする事は解る。そして、それが少しも間違っていないという事も。


 ――この子供を、我らが集落に?


 思い出したくもない言葉が脳裏に浮かび上がる。聞いたのはもうずっと昔の事なのに、まるでついさっき耳にしたかのように頭の中に木霊する。


 ――誰が世話をするのだ。外の子供など。


 思い出したくない言葉。嫌いな奴からの言葉。どうしようもないほどの――痛い言葉。

 がたんっと音を立てて立ち上がると、一斉に視線がアーネストに向いた。母子の戦いも、一時休戦となる。


「……アーネストさん……?」


 不思議そうにこちらを見つめるフィーの腕をいきなり掴んで、有無をも言わせぬままその場を後にした。

 ……残されたのは親子三人と、彼らと旅をしていた青年一人。


「あの……俺……」

「ああいや、気にしなくていいよ」


 セイロンが追いかけようと立ち上がりかけたのをルアードは制した。


「……うん、ちょっと色々あってね。迷惑掛けてごめんなさい、お料理おいしかったです」


 にこやかに笑い、アーネストが放り出したままになっている荷物を手に足早にルアードは彼らを追いかける。

 と、ドアから出かけたところで振り返り、


「ああ、クレリアちゃん? その補助魔法はかけた本人にしか解除できないから、また機会があったら会おうね」


 そう言い残して彼はドアを閉めた。

 しばらくしてルアードが退出した家から悲鳴が聞こえてきたのは――言うまでもない。


 ※


 ずんずんと、アーネストは歩き続きける。

 その背中を見つめながら小走りで歩くしかフィーには出来ないでいた。彼はまだこちらの腕をつかんで放さない。無言のまま村を出、やがて森の中へと入る。


 怒ってるの……?


 握られた腕ははっきり言って痛い。かなり強い力だ。歩く速さも結構早い。


 怒っている……でも、何に?


 解らない。

 少し前かがみになりながら必死に転ばないように小走りで付いて行く。声をかけようにも、そんな事出来る様な雰囲気ではない。


「おいこら待たんかアーネスト!」


 泣きそうになっていたところ、アーネストに比べ幾分高い声が呼び止めた。それと共に、ぴたりと彼の歩みが止まる。


「さっさと行くなよなぁもう、見ろよフィーちゃん困ってるだろ?」


 結構な荷物を一人で持っていたルアードは、走って来たのか少し息を荒げていた。

「大体あんな出て行き方は失礼にあた……」

「こいつは連れて行く」


 ルアードの言葉を途中で遮って、アーネストは握ったままになっていたこちらの腕を払いながら言った。


「え……?」


 振り返りもせずに彼はまたずんずんと森の中へと突き進んでゆく。


「……あいつ、子供の頃に村の人たちを『赤の神』に全員殺されたんだってさ。今旅してるのも仇が討ちたいからなんだって」


 わけが解らないでいるこちらに、ルアードがそっと教えてくれた。


「大怪我で瀕死だったあいつを連れ帰ったんだけど……うちの集落はよそ者を受け入れない風習とかまあ色々あって……」


 とりあえず追いかけようか、と促しながらルアードは続ける。


「あいつ……たぶんフィーちゃんに自分と同じ思いをさせたくなかったんだろうね。口下手だから上手い事言えないけど……悪気はないんだ、許してやってくれないかな」


 口下手だから。

 それでも、溢れ出す優しさは本物だから。


「はい……」


 知らず、涙がこぼれた。

 そんな様子をルアードは始めぎょっとしていたが、ぽんぽんとこちらの頭を軽く叩いてほら、と前を指差した。


「何をやっている」


 目をやるとさっさと進んでいた彼はしかし立ち止まり、大木の下で腕組みをしたままこちらを待っている。

 そんな彼に向かって。


「ありがとうございます……」


 精一杯の笑顔で、笑った。


「……何の事だ」


 相手はそっけなく言っただけだったけれど、それでも、嬉しかったから。

「何でもないです……これから、よろしくお願いします」


 改めて、ぺこんとお辞儀をした。


 ※


「ねェねェ、妙な三人組がイルんだケド」


 二人の青年と一人の少女の一行を、遠くから眺めるのは二つの影。


「妙……って何が?」

「一人、人間じゃナイのヨ」

「……どういう事?」

「上手く誤魔化してるケド……うん、やっぱりチガウ」

「それはそれは……」


 そう言って、にんまりと笑う。


「面白そうだね」


 がさがさと木の葉の擦れる音がして、やがて消えた。

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