知る者知らざる者

Act,1 同伴者- 1 -

 アウヴィの口伝承。神々の伝説。

 『銀の神』を頂点とした、赤、青、黄、緑の神々。自由を勝ち取るため、捕食されるだけの立場から逃れるため、人々は神々に戦いを挑んだ。

 生態系の頂点。

 数こそ少ないものの絶大な力を持つ神々。

 劣悪な戦況の中、人間を勝利に導いたのは一人の青年であった。

 後に英雄とも、勇者とも呼ばれる彼の名はイーグル。竜人の頂点に立つ『銀の神』の王を、たった一人で倒したという。

 王を失った神々の統率は崩れ、この戦い――後に聖戦と呼ばれる戦いは人間側の勝利で幕を閉じた。

 その時から人間の支配する世界が始まるのだが、しかし王として迎えられるはずであったイーグルはついに帰ってこなかった。

 きっと神々と相打ちになったのだろう。

 人々はそう囁きあい、やがて彼の名は忘れられていった。

 ただ英雄が旅立ったという、アウヴィが発祥の地だといわれている口伝承でのみ、彼の姿は語られるのである。


 ※


「だあ~疲れたぁ~」


 ルアードのかなり間抜けな声が森の中に木霊する。周りにはつい先ほど散々切り倒したばかりの『魔』が転がっていた。


「……うるさい」


 アーネストはぶんっと手にしていた大剣を大きく振り回し、付着した『魔』の体液を払ってそのまま剣の柄でだらだらと文句ばかり言う奴の頭をついた。


「あだー!」


 反動がついたぶん余計力が加わったのだろう、ルアードはいつもより激しく悶絶する。


「……おい、大丈夫か」


 しかしアーネストはそんな光景などまるで目に入らないといわんばかりに、非戦闘員である連れに声をかけた。


「あ、はい……大丈夫です」


 突然の『魔』の襲撃に驚いてびくついていたフィーであったが、今はもう柔らかな笑みに変わっている。

 クレリアの村から出てしばらく、この森の中は『魔』が多いのか幾度となく襲撃にあう。村の警護が厳しかったのも納得できるな、と考えながら倒したばかりの『魔』を見やる。

 長い触手を持った、植物系の『魔』であった。巨大な食虫植物のような、毒々しい赤い本体と蠢く触手――倒す方としても、あまり関わりになりたくない形容をしている。


「アーネストさんって、強いんですね」


 フィーとしてもあまり見たいものではないらしい、足元を見ないようにして言った。それもそのはず、切り刻まれた姿だけでもかなりグロテスクである上そこから溢れ出す『魔』の体液はまるで猛毒のような緑色――悪臭まで放たれては救いようもない。


「あの……私、こういうのはちょっと……」


 言われなくとも誰だって嫌に決まっている。先刻の言葉といい、とにかく早くこの場を去りたいのは彼女も同じなのだろう。


「……おいそこの抜け作、いつまで拗ねているつもりだ」


 しかし頭を抱え悶絶していたルアードはそのまま座り込みぶちぶちと文句を垂れていた。


「ちぇーなんだよ俺だってこうぱぱっと敵を倒す事だって出来るのにー」


 『魔』に射た矢を抜き、回収しながらルアードは動かない。先程のフィーの発言――強いとかどうとかというやつだ――でショックを受けたらしい。確かにルアードの弓術は明らかにアーネストの補助としか役に立っていなかったのだ。


「……おい、置いてくぞ」


 くるりと背を向け、フィーを促し歩き出した途端。

 ざっと、草木の擦れる音。

 とっさに剣を抜き構えたと共に、足元の草から三人を囲むようにして数十本もの蔓がいきなり突き出した。


「くそッ」


 短く舌打ちをし、こちらに向かってきた意志あるそれを斬り落とし、地に落ちても尚ぐねぐねと動くそれを足で踏みつけながらアーネストはフィーを抱き寄せた。


「逃げるぞ!」


 こちらを絡め取ろうと襲い掛かって来る、何十とも知れぬ数の一見植物の蔓のような物をざくざくと斬って、囲まれてしまったその場から逃れようとしてアーネストは叫んだ。


「あの……戦わないんですか……?」


 殆ど横抱きの状態で抱かれているフィーが、弱々しく尋ねる。


「こいつはオルクだ、罠を張って確実に獲物を喰うッ 再生力も高いから蔓をいくら斬ったところでたいしたダメージにならな……」

「どわぁ!?」


 斬っても斬っても一向に数の減らない蔓から逃れるため円の外に出ようとしながらフィーに解説していた所、珍妙な声が上がった。


「ルアードさん!」


 『目の前で死なれても困る』という理由で脇に抱えたフィーの声と共に振り返ると、そこには果たしてがんじがらめに蔓に囚われたルアードの姿が。しかも足をとられたのか、彼の格好は宙吊りという――かなり情けない姿になっている。


「……間抜けが」


 一言言い放つと、まるで見なかったかのようにざくざくと蔓を斬る作業を再開する。


「このはくじょーもん! いくらお前がフィーちゃんと愛の逃避行したいからって――」

「そんなに死にたいのか」


 ルアードが言い終わる前に、腰にあった小太刀を投げつける。

 ドカッと、それはルアードの顔すれすれをかすめて地に突き刺さった。


「あ、あの……アーネストさん……」


 フィーが、声から察するに顔を青くしているらしいがそれに構っていられるほど余裕がある筈もない。


「ぱぱっと倒せるんだろう?」

「馬鹿言うな! この状況でどうしろってんだよ!」


 先刻のセリフをそっくりそのまま返してやるがルアードは半泣きで反駁してきた。そんな彼に知るか、と返そうとしたが、しかしその言葉は口から出る事はなかった。

 ぐんっと下から後ろに引っ張られる感覚。足をとられたと気付いたと同時に剣を突き立てるが、しかし今度は腕を絡めとられた。


「んー俺も敵さんをぱぱっと倒せるアレやりたいけど腕動かないし? ここはもう大人しく喰われるしか?」


 完全に動きを封じられたこちらに、ルアードは最早諦めたのか――というかそろそろ頭に血がのぼってきたのだろう、かなり投げやり的な事を言う。


「ふざけるな! 大体お前がさっさと動かんからこんな事になるんだろうが!」

「俺のせいかよ!?」


 他にどんな原因がある。

 こんな所で『魔』の腹に収まってやるほど自分はお人好しではない、が――ぎちぎちに蔓に巻きつかれてはぴくりとも動けない。


「な、何……?」


 自分に抱きかかえられた格好で縛り上げられてしまったフィーが、急に脅えたような声を上げた。

 そして、気付く。

 ズズズ、と音を立てて大地が揺れている。

 ボコボコボコッと、地の中から何かが這い出してくる。

 ――それこそが、本体。

 ほぼ周りを囲んでいた蔓の中心から現れたのは巨大な口――凶悪なまでに牙は鋭く、大きく開かれた中は粘液がぬめっていた。

 たぶん顔だろうと思われる、口しかないようにさえ見るそれが。人間など一口で食べられそうなそれが、地の中から短い手を使って這い出してくる。


「一貫の終わり……ってやつ?」


 ルアードの呟きが、やけに遠くで聞こえた。


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