Act,2 襲撃者 - 3 -

「んもー何も殴ることないじゃないのっ しかも女の子の頭を剣の柄で突くなんて非常識極まりないわ!」

「俺は静寂を尊んだだけだ」


 仕方がないので今日はもうここから動かないことにし、なんとか宥めすかしたアーネストとクレリアとのやり取りを、未だ忠実に痛みを訴え続けてくれる頭をさすりながらルアードは見やる。


 ……別に、もういいけどね。


 何故かこうもにぎやかになってしまった状況を眺めながらぼんやりと思う。

 彼がこうも攻撃的なのは長年の付き合いからもう重々承知している。それでもとりあえず抵抗をするのは、そうでもしないと彼の容赦ない力はだんだんと加算されていくからだ。


「静寂……って人を音量拡張機みたいに言わないでちょうだいっ! ねぇあんたもなんか言ってやって……って」


 また騒いでる。

 特に耳を傾けるわけでもなく、ぼーっとしながらそんな事を思った。目の前では顔を真っ赤にして大声を張り上げていたクレリアが、フィーを覗き込んだ。


「……そーいやあんたの名前まだ聞いてなかったね。なんてーの?」

「あの……私、フィーと……」

「フィーかー、可愛い名前だね。あ、さっきはごめんねーほらアタシ一応盗賊だし? 金になりそうな物は手に入れないと」


 ……どうやら話題が逸れたらしい。最後の方のクレリアの発言に何か不穏なものを感じたが、まあ可愛いから許すかとか何とか考えていると。


 ぼがっ


「…………」

「何にやけてる。暇なら食い物を取ってこい」


 そこにいたのは、先ほどこちらの頭をやはり情け容赦なく殴った鞘のままの剣を手にした髪の長い男――


 ……一応、俺の方が年上なんだけどね。


 口にしても仕方がないだろう事を胸中で思う存分吐いてから。

 ルアードは食料を探すため、大人しく森の中へと足を踏み入れた。


    ※


 目覚めると、古ぼけた家の窓から明るい光が差し込んでいた。どうやら朝らしい、決して大きいとは言えない村に、活気ある賑やかな声が響いている。

 窓を少し開けてみる。

 変化のない村の人々。退屈だと言う人もいるが、平和な村だ。花々も咲き乱れ、村の外れにある自分の家の前まで子供達が遊びに来ている。ここは森の近くだと言うこともあって、絶好の遊び場になっているのだ。


 ……ああ、やっぱり夢だったんだ。


 ほっと胸をなでおろし、とりあえず窓を一旦閉めて着替えを済ませる。

 親はいない。父はずいぶんと前に亡くなり、母も前にいた村で息を引き取った。

 けれど寂しいとは思わなかった。村には優しいおじさん達や色んな世話を焼いてくれるおばさん達、友達もいたから。裕福ではなかったけれど、不自由だと思った事もなかった。

 着替え終わると、長い髪をブラシでとかしながら今日の予定を思い返す。


 ――今日はエリス達と森へ出かける約束があったはず。遅れるわけにはいかないわ。


 そこまでして、視界がぶれた。

 何か、抜け落ちてしまったかのような。

 そして?

 そしてそれから自分は……何をした? 何を見た?

 仕度を済ませてからドアを開けて――?

 ――赤。

 全てが、真っ赤に染まる。

 悲鳴。

 逃げ惑う人々。

 そして光。綺麗な、銀色。


「銀色の……そ、ら……?」


 ごろりと転がる子供達の真っ赤な体。

 手と足がばらばら。

 体が原形を留めていない。

 無理矢理引きちぎられたような腕。首。

 まるで獣に食われたかのように体の中身がぐちゃぐちゃになっている。

 ……いつの間に掴んだのだろうか。まだ温もりの残る、かろうじて腕であったとわかる程度にしか肉の付いていない、白い骨を覗かせるものが腕の中にあった。

 それには、よく見知ったエリスの腕輪が引っかかるようにして付いていて――


「いや……っ」


 あかい。あかい。

 真っ赤な炎が上がる。


「いやぁ……!」


 悲鳴と耳にこびりつくような絶叫。断末魔。

 自分の手も炎のように真っ赤だった。手だけではない。全身真紅に濡れている。

 転がる友人の首。

 虚ろな瞳に何を映す? 何を語る?







「――ッ!」


 声にならない己の内なる悲鳴で目が覚めた。全身びっしょりと汗をかいている。

 息が荒い。

 動悸が収まらない。

 そのくせ体は指の先まで凍ってしまったかのように冷たい。

 のそりと起き上がった。

 あれは、夢。

 必死に言い聞かせる自分がいる。

 でも、あれは現実。

 否定しきれない自分もいる。

 今はまだ夜中。傍で寝ていたクレリアを起こさないようにそっと別け合っていた毛布から抜け出た。

 ――もう一度、眠れそうにはなかった。

 瞼を閉じるたび凄惨な光景がまざまざと思い浮かぶ。耳から離れない悲鳴も、あのむせ返るほどの夥しい血の匂いも、闇の中へ引きずり込まれてゆく感覚も。

 何度も夢に見たリアルな光景。何度同じ夢を見ても襲ってくる恐怖は消えない。

 きつく己の肩を抱いて、思い出したかのようにぽつりと口にする。


「……私が、殺した……」


 誰も助けられなかった。自分だけが生き残った。誰も彼も、死んでいい人ではなかった。あんな無残な死に方をしなければならない程悪い人たちであるはずがなかった。

 なのに――一人だけ、こうして生きている。


「私が……」

「うるさい」


 いきなり声が上がり、息が詰まるほど驚いた。顔を上げると案の定――寝ているとばかり思っていた長い黒髪の青年が、剣を抱く格好で胡坐をかいて木に凭れ掛かっていた。


「自虐的なセリフは聞き飽きた。寝られなくても横になってろ、足手纏いになられてはこちらが困る」

「ご、ごめんなさい……」


 反射的に謝っていた。

 自分はお荷物でしかないのだ。それにこの人は最後まで自分と旅する事を嫌がっていた。

 少し窪んだ地面。その真ん中に火を焚きそれを囲むかのようにして皆で眠っている。


「……謝るくらいなら寝てろ」


 それまで目を閉じたまま言葉を投げかけてきていた彼がふっと頭を上げた。

 蒼い瞳。

 炎に色取られて、本来の色よりも随分と優しく見えた。


「で、でも……」


 眠られそうには、ない。

 怖い。

 襲い掛かってくる闇。

 どこまでも鮮明に思い出される血の匂い。


「……私……頭冷やして……」


 そう言ってふらっと森の方へと足を向けたとたん。

 いきなり、強い力で引き寄せられた。


「え……?」


 何が起こっているのか理解できず、ただ目を見開いているとばっと目の前に何かが散っていった。

 それは闇の中で炎を反射し、赤く輝く。

 赤。

 血の色。

 悲鳴と炎に色取られた村。

 時間がゆっくりと流れていくように赤く輝くものが視界を掠め、そしてドシャッと何か重たいモノが地に落ちる音が続く。


「馬鹿か! そんなに死にたいのか!?」


 ――我に帰ったのは、その罵声が自分のすぐ傍で聞こえたからだった。


「夜は『魔』の支配下にあるようなものなんだぞ!? 火の元から離れるな!」


 そこまで言われて始めて目の前に倒れたものが『魔』である事、黒髪の青年が自分を助けてくれたという事がわかった。

 刀身に、どす黒い『魔』の体液を纏わせて。

 顔を上げると驚くほど近くに顔があった。深い二筋の傷がはっきりと目に入る。

 彼はかなり乱暴にこちらを抱き寄せたのだが、けれど痛いとは思わなかった。

 ただ服の上からでもわかるほど筋張った腕や胸板からぬくもり――脈打つ鼓動が伝わってくる。

 ぬくもり。

 生きている何よりの証。

 知らず、己の胸が大きく鳴った。


「あ……の……」


 その変化を知られたくなくて、俯いて顔を隠してからそう呟くと。


「何をしてるんだ俺は……っ」


 彼はばっとこちらから離れ剣をしまった。


「すみません……あの、私……」


 未だどくんどくんと大きく音を立てる胸を押さえながら、やっとそれだけが声となった。


「……ふん。目の前で死なれたら寝覚めが悪いだけだ」


 彼もこちらを見ようとはせず、それだけを口にする。

 昨日は、殺そうとしたのに……?

 変だとは思ったものの、そこまで深くは追求できなかった。彼のその横顔からは何も読み取れず、やはり怖い、冷たい人というイメージは払拭されきれなかったけれど。


「……ありがとうございます」


 驚くほど、自然に出てきた。

 その言葉にしばらく彼は瞠目した後、


「……言っただろう、寝覚めが悪くなるからだと。別にお前が死のうが生きようが俺には関係ない」


 そう、冷たく言い放っただけだった。

 けれど。

 この人は、きっと優しい人。

 この人は村の皆のお墓を作るのを、文句も言わずに手伝ってくれた人。お墓を作るように促してくれた人。言葉は悪いけれど、心はきっと温かい人。

 それがわかったから。


「……いいんです。私が嬉しかっただけですから」


 そう言うが、木の根元に再び座り込んだ彼から返答は求められなかった。

 森は無音によって支配されている。しっとりとした漆黒――けれど、焚き火から離れるとそこには己の伸ばした手すら飲み込まれてしまう深い闇がある。

 ぱちぱちと、火の粉のはぜる音以外には傍で眠るクレリアとルアードの寝息以外は聞こえない。自分の息遣いが酷く大きく、そしてだいぶ収まったものの、平常よりも激しく脈打つ鼓動が思考を邪魔する。


「あの……アーネストさんは眠らないんですか……?」


 瞳を閉じてはいるものの、彼が眠っているようには見えなかった。大体横にもならずにきちんと眠れるとも思えなかったので、ただ背を木に持たれかけている彼に、やはり眠れそうにない自分も彼と向かい合わせになるように大木の根元に座って問う。

 その質問に、彼はいかにも鬱陶しそうに、そして面倒くさそうに答えた。


「……誰かが見張りをしないといけないだろうが。それに――夜の方が、思考が冴える」

「思考……?」


 やはり、返事は返ってこない。彼の言葉はまるで謎かけだ。出会って間もないせいもあるのだろうが、時々呟かれる言葉からは彼の思いは読み取れない。


「あの……一つ訊いてもいいですか?」

「眠れないのか」


 おずおずと切り出したこちらに、すっと彼の瞳が射た。

 ――綺麗な蒼。意志の強い光の宿るそれ。


「……どうした。訊きたい事があったんじゃないのか?」


 その言葉にはっと我に帰る。


「あ、いえ……そのぅ……」


 慌てて言葉を濁すが、しかしそれは意味を成してはいなかった。


「あ、あの、アーネストさんはどうして旅をしているのですか……? 『魔』の者だって多いのに……」


 しどろもどろと口にした「訊きたい事」はひどく小さく、夜風のない、何のざわめきのない森の中に吸い込まれていくようだった。

 数瞬の間。


「お前は、」


 永遠にも近いようにさえ感じたその沈黙は、彼のその言葉によって破られる。


「……お前は、村の者を殺されて悔しくはないのか?」


 真っ直ぐにこちらを射る蒼。その色から目を逸らす事が出来ない。

 光。感情を最もよく表すそこには強い光が宿っていた。あの、何も映さぬ虚ろな瞳とは違う――生きている、命有るものの証拠。

 その蒼に魅せられる。

 鼓動が高まる。


「俺は奴らを許さない。許すものか……っ」


 何も答えられずにいた自分から、黒髪の青年はふ、と視線を逸らした。

 ――火。あの日も上がっていた。何も変わらない、変わる事のない色。鮮血と同じ色。

 真紅に燃える炎を見つめて。


「……『神々天地の開け始まりける時よりこの地にあり』」


 ぽつりと、彼は呟いた。


『その力絶大にして異形のもの使役使し

 生きとし生ける者全て神々に屈するのみ

 神々生けるために人を欲し

 人其から逃れることあたわず

 神々この地に舞い降りし時より幾千年

 ついに神々との戦始まりぬ

 人拠り所無く

 神々制する事あたわず

 されど闇の帳引き裂く者あり

 若きその男

 ただ一人で神々の王滅す

 神々忽然として失せ

 この時より人の世始まりぬ』


 低く紡がれる目の前の青年の言葉は、ひどく冷たかった。


「……これが、アウヴィの口伝承。聞いた事ぐらいはあるだろう? 今はもう絶滅したといわれる、竜人についての伝説だ。俺の村は――あの日――…」


 すらりと、彼は腕の中に抱いていた長剣を抜いた。長く、研ぎ澄まされた剣。鋭く銀の光を放つ。


「竜人は滅んでなどない。生き残りがいるんだ。お前が『銀の神』を見たように――俺の村も、奴らに滅されたのと同じように」


 怨嗟。

 この世は苦しみで満ちている。

 彼の瞳から放たれる強い憎悪と、彼の手にしている剣の光とが重なって見えた。

 刀身に炎が揺らめく。銀色の輝きに真紅が加わり、それはまるで――


「すみません……私……」


 それは、まるで。


「私……っ」


 かたかたと震える体。必死に押さえ込もうと己の肩をきつく抱いても止まらない。

 そう、それはまるで――

 あの日の出来事を、忠実に再現しているようで。

 ――怖い。

 炎。

 銀色。

 血の色と――

 ぬくもり。生きている証。


「もう、寝ますね……」


 それだけ告げると、相手の目を見る事も出来ずそのまま毛布の中にもぐり込んだ。

 黒髪の青年は何か言いたげだったけれど、そうか、とそっけなく言っただけ。

 眠れないのはさっきと同じだったけれど、だけど彼と対峙する方が夢よりも怖かった。隣で眠っているクレリアのその体温までもがひどく自分を落ち着かせなくする。

 眠ってしまえ。

 何度も、頭の中で繰り返す。

 眠ってしまえ。そうすれば怖くなんてなくなる。余計な事を考えずにすむ。

 ただ――繰り返す。



 あの時。

 何を、考えて、いた。


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