Act,1 来訪者 - 3 -

 燃え盛る炎。

 ひっそりとした人の気配の無い小さな集落。

 太陽がまるで断末魔のように真紅の輝きを放っていたのはもう随分と前の事。今はしっとりとした、けれどどこか纏わり付いてくる様な闇が辺りを包み込んでいた。


 闇を引き裂くような、赤い、炎。


 ぼんやりとそれを見ながら、アーネストはさっきまで酷使していた己の剣の手入れをしていた。本来の使い道から大きくそれた方法を取ってしまったそれは、少なからず刃こぼれしている。

 やれやれとため息を付きながら、ふと手を止めて傍にいるルアードと少女に目をやった。火を囲んで二人とも粗末な毛布に包まって眠っている。


 よろよろとした手つきで少女がこの村の者達を埋葬し終えたのは、日が暮れてずいぶんと経った後のこと。自分もルアードも手伝いはしたものの、朦朧としていて焦点の定まっていない少女に付き合っていては日も暮れようというもの。


 ……壊れたか。


 さして興味もなさそうに、アーネストは壊れてしまった少女のその行動を思い返す。

 泣いていた。

 ただ一人生き残ったという妙な罪悪感からなのか、骸を埋める間中、ごめんなさい、ごめんなさいとずっと謝っていた。

 泣きながら、けれど表情は変わらぬまま。まるで無意識にその雫を流しているかのようなその姿。


 別に、俺には関係の無いことだ。


 胸中で呟く。

 炎に彩られる、少女の寝顔。

 まだ幼さの残る、可愛らしい顔立ち。

 それをぼんやりと眺めながら。


「……」


 脳裏に蘇る、忌まわしい記憶。

 凄惨な光景。

 この身に刻み込まれた、耐え難いもの。


 ――何を考えているのだか。


 ふるりとかぶりを振って。

 まるでこちらを飲み込んでいくかのような濃い闇の中。生物の気配すらしない、死んでしまった集落の外れで、アーネストは己の剣を再び研ぎ始めた。


   ※


 朝は神の出現にも似ている。

 まるで己の存在を忘れる事を許さぬような強烈な光は、夜という悪魔をいとも容易く切り裂いてゆく。


 神様ってのはホントにいるのかなぁ……


 そんな事を、考えずにはいられなくなる。

 目覚めと共に目を刺すようなその光に、ある意味嫌悪すら抱きながらも「こんなものを創れるんだから、やっぱり神様ってのは偉大なんだなぁ……」とか何とか考えながら。


「……」


 はっきり言って、ルアードは困っていた。

 非常に困って……いや、途方に暮れていた。

 何が、と言われれば、この状態が、である。


 つまり。


 まったくもって、会話が無いのだ。

 だからいくら現実逃避した遠い目をしていようが、誰もツッコんではくれないというわけである。

 別に朝目覚めてから相棒と会話が無いというのは今に始まった事ではないのだが、何というのか……とにかく気まずい事この上ない。


「えーと……なーんでそんなに怒ってるのかなー?」


 付き合いが長い故に、機嫌の悪い時の彼が何をするかわかりきっているので――刃物に訴えるとか、いきなり殴られるとか、まあそんなところだ――びくびくしながらとりあえず訊いてみたが。


「別に怒ってなどいない」


 ……思った通りの答えだった。だが携帯食をがっついている様は、不機嫌だと自ら主張しているのと同じではなかろうか。


 全くこいつは……


 変なところで子供っぽい彼は本当に成人近いのかと、たまに疑いたくなる。

 わざと大仰にため息をつき、ぼりぼりと頭をかきながらとりあえず腹も減っているので自分も携帯食へと手を伸ばした――と。


「……あれ? 君は食べないの?」


 自分よりも先に起きていた少女は、しかし何も口にはしていなかった。


「食べたくないそうだ。せっかく人が食い物まで取ってきてやったというのに……」


 どうやら近くに水源でもあったのだろう、泥だらけ血だらけの衣服を着替えたらしい少女の前にはいくらかの果実が並べられていた。


 ああ、それで機嫌が悪いのか。


 彼のその主張に妙に納得してしまった。

 アーネストにとって、朝早くに起きて少女のために果物を取って来るという事は、彼なりの精一杯の慰めなのだろう。だが、それを断られてへそを曲げているのだ。

 う~ん、やっぱりコイツってはまだまだ子供だなぁ。


「今余計なこと考えなかったか?」


 気が付けば首下に彼の研ぎ澄まされた剣が突きつけられていた。


「な、なんでもないってばっ!」


 慌てて降参といわんばかりに両手を掲げ、何とかその冷たく光るものを収めてもらう。ふーっと、大仰なまでに息を吐く。毎回の事ながら本気で命の危険性を感じたルアードが顔を上げると、少女と視線がかち合った。

 感情が見えない、その瞳。

 虚ろにこちらのやり取りを見つめている……いや、視線だけこちらに向け、実際は何も見ていないのかもしれない。

 たぶんアーネストが促したからであろう、全身も綺麗に清められ、昨日もあった、なかなか高価そうな首飾りが胸元で細かな音を立てているが――


「……おい、アーネスト」


 未だ機嫌の悪い彼の黒髪を、さっきの仕返しだといわんばかりに――とは言っても戯れ程度である――引っ張る。


「なんだ」


 ぎろっと、その空の色を吸い込んだかのような瞳が鋭い光を宿したように見えたが……とりあえず言う事だけ言っとこう。たとえここで殺されたとしてもそうしておけば成仏できる……かもしれない。


「お前はまたくだらん事を……」


 寒気を起こさせるような低い声を発してくれる相手を前に、何で自分はこんな奴の相棒なんかやってんのかと今更思う。


「そっそうじゃなくて! 俺が言いたいのはだなっ!」


 慌ててこのどうにも人の心を見透かしてくれる彼に話の主導権を握らせないようにし、ぐいとアーネストを引っ張り小声で彼だけに伝わるように。


「お前の気持ちもわからんでもないが、ほら、彼女目の前で肉親やら友達やら殺され……いや、喰われたんだぞ? やっぱショックだろうし、しばらく物は食いたくないだろうよ」


 まるで生ける屍の様な少女の事について、どうにも対応の冷たい彼に囁くが。


「……俺の知った事か」


 こちらが小声で言っているというのに、アーネストは声を潜めるどころか立ち上がりながら声を荒げる。


「人間食わなけりゃ死ぬんだ、死にたいのなら勝手に死ねばいい」

「そういう言い方はないだろ」


 そのあまりな言い方に、その場から離れようとする彼の腕を乱暴に掴んだ。


「お前だってあの時しばらくはこの子みたいに……」


 ばしっと、その言葉と共に彼の腕を掴んだ手を払われた。

 驚いて目を見張ると、普段滅多な事では感情を顔に出さない彼の瞳に、明らかな炎が。


「その話を二度とするな……ッ」


 背筋も凍るようなその怒気に圧倒され、去って行く彼の背を自分は見送るしかなく。


「……やっぱりあの時の事引きずってんじゃん」


 彼のその冷たい態度などもう慣れてしまったルアードは、やれやれとため息をつきながら蚊帳の外にいた少女に向き直る。


「――そういや、まだ名前も教えてもらってなかったね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る