Act,1 来訪者 - 2 -

「……死んでんのか?」


 しばしの沈黙後、彼の第一声はそれだった。


「よせ、ルアード。それが何か判ったものじゃない」


 さっそく近寄る彼とは違い、アーネストは少女との間に一定の距離を保ち、何があってもすぐに少女を斬れるように左手で握る剣の柄に力を込める。


「だってこの子女の子だよー?」

「だっても何もあるか。もしかしたらこの村を襲った『魔』かもしれないんだぞ?」


 ぷうっと頬を膨らませた彼に、冷たい言葉を放つ。


「……大丈夫だよ」


 すっくと少女の前に膝をついていた彼はそんなことを言いながら立ち上がる。


「この子は人間だ。間違いない」


 そう言われ、改めてよくよく観察してみる。

 外傷は……特にはない。あるとしてもどれもかすり傷程度だ。ただ、ひどく汚れている。少女のロングスカートの裾からのぞく足はもちろん腕や髪、俯いているせいで今は見えないが、この様子では顔まで汚れているだろう。


「唯一の生存者かねぇ……」

「だろうな」


 そうして、少女の髪に何気なく触れようと手を伸ばしたとたん。


「――ッ!」


 手が触れるか触れないかの所で、少女はばっと顔を上げた。そうしてこちらの姿を認めたとたん小さな体をさらに硬くして、震える。


「誰……!?」


 蚊の鳴くようなか細い声。

 少女の胸元にあった首飾りが、しゃらんと音を立てる。


「あ、いや俺達は決して怪しいもんじゃ……」

「弓を手にした男と腰に剣をぶら下げてる男の二人組みで、怪しくないも何もないな」

「アーネスト!」


 ルアードの窘めが小さな小屋の中に響く。

 だがそんなものなど気にも留めず、未だ震えたままの少女にずいと詰め寄った。


「――この村は『魔』にやられたのか?」


 と、ただ一言。

 そう問うと少女はしばらくの間驚いたように目を見張ったが、やがて今にも泣きそうに顔を歪めると、力なく首を横に振る。


「ちがっ……違う……銀色……銀の光……私……っ」


 そうして、また顔を己の膝の中にうずめた。


「銀色?」


 ぼそぼそと口の中で語られるような、少女のその単語をルアードは反復する。


「『魔』の事かな?」

「……いるだろう、たった一種だけ」


 首をかしげるルアードの脇で、ぎゅっと知らず剣の柄を握り締める。


「『魔』の王に、銀色の奴がいるだろうが」


 いつもより数段低い声だと、自分でも思った。その言葉で思い立ったのだろう。ルアードはしかし呆れた様にふうと息をつく。


「……『銀の神』だとでも言いたいわけ? お前それはいくらなんでも飛びすぎだろ。銀色っつったって剣の反射であるとも考えられるし『魔』の牙かもしれない」


 首をすくめて「何を言い出すのかと思えばそれかよ」的な意味合いを山と盛り込まれたそれを発してくれる彼に、それこそ軽蔑の意を込めた眼差しを贈ってやる。

 奴ら――その昔神と崇められ、人間を支配していたもの。人の姿でありながら人でなく、竜の力を持ちながら竜と異なるもの。互いの能力を授かりしもの。

 古い伝承で語り継がれる、伝説の中の、人間を超越した存在。


「――もしかして、今回のこの状態はその『銀の神』のせいだとでも言うのか?」

「違うとは言い切れないだろう」


 ぎりと唇を噛み締めて。

 そうして、少女と向き直る――そこで初めて、少女の全身にこびりついている物がなんであるのかアーネストは気付いた。

 赤黒く変色した、べったりと少女の肌や服に張り付いているもの――間違えようもなく、それは人間の血液。しかも、かなり量が多い。


「……そいつがどこに行ったか、わかるか?」


 問うてみるが答えは同じ。少女はやはり首を振るのみ。


「……そうか」


 そうしてアーネストはゆっくりと立ち上がると、先ほど鞘に収めたばかりの長剣をすらりと抜いた。


「ちょ、ちょっとアーネスト何すんだよ!?」


 慌てたルアードの声など完全無視してぴたりと刃の先を少女の頭部へと運ぶ。


「……この世の地獄を見た者に生を与えることほど残酷な仕打ちはない。特に女子供はこうして殺してやった方が幸せだ」

「だ――ッ ちょっと待てってばっ!」


 振り上げた右腕を必死になったルアードに押さえつけるかのように掴まれた。それなりに暴れてみるが一向に彼は放そうとはしない。


「……何故止める」

「何でも何もねーだろッ! お前いい加減にしろよッ 廃村で生存者見つけるたんびにそうやって殺そうとするのッ!」

「このまま生きていてもつらいだけだ」

「だからそれはお前の決める事じゃないって何回言えばわかんだよッ!」


 そうして、ルアードはこちらの持っていた剣を叩き落した。がしゃんと、重たい金属音を立てて長剣は床の上に転がる。


「ほら、お前が脅かすもんだから脅えてるじゃないか」


 床の上に転がった剣を拾い上げながら少女を見ると、彼女は顔面蒼白でかたかたと震えていた。

 その様子になんだか殺す気も失せ、ちっと舌打ちして。


「ふん、命拾いしたな」

「アーネスト……それ完全に悪役のセリフ……」


 盛大なため息をつきながら。


「大体出来ない事はするもんじゃないよ」


 ぼそりと、こちらにだけ聞こえるよう言う。

 長年の付き合いゆえかルアードは呆れつつもそれ以上は何も言わなかった。ただ少女の前に座り、とりあえず釈明する。


「ごめんねーこいつこんなんだけど根はいい奴だから」


 少女の前ではころっと態度を変える彼に言ってろ、とアーネストは胸中で呟く。

 大体こいつは女も金も好きだなんてまるっきり欲望の固まりではないか。成人してからずいぶん経つのだから少しは自粛しろ、そもそも相棒だなんだと言って勝手についてきて迷惑な事この上ない。

 ……その辺解っているのかいないのか、ルアードの少女に対する態度は変わらない。

 大体どう見ても目の前の少女は十五・六だ、これでは犯罪ではないか。可愛ければいいってもんじゃないだろが、このロリコンめが……などなど、彼への悪態は尽きる事はない。

 しばらく彼らのやり取りを無視してきたが、代わりばえの無いルアードの口説き文句も、戸惑う少女の様子もいい加減見飽きて。


「……いい加減、出るぞ」

「きゃあっ」


 自分のため息と高く細い悲鳴が上がる。

 少女のその細い腕をつかみ、立ち上がらせ外へと向かったからだ。


「お、おいアーネスト何を……」


 ルアードの声を無視し、少女の細い身体は前に傾いたまま、しかし歩みは止めない。


「や、やだ……」


 一応抵抗しているらしいが、それはあまり意味を成していない。外に出たくない――だからこそ、足掻く。


「いや……放して……っ」

「嫌って言ってんだから……おいアーネスト!」


 その声と共に。

 外に出る事を拒む少女を外へと引っ張り出した。


「……ぁ」


 言葉ではない、悲鳴でもない、中途半端な『声』が、こぼれて宙に浮く。

 眼下に広がる、寂れ果てた廃村。月日は過ぎていたとしても、三ヶ月は経ってはいまい。

 ――『魔』に屠られた、村。

 生き物の気配すら、ない。


「いや……いやぁ……っ」


 突きつけられた現実。夢でも幻でもない、完全な生物の、死。


「……集めろ」


 かくんと両膝を地に付き、顔を両手で覆ってうなだれる少女にそれだけを告げる。


「え……」


 びくりとして、少女は顔を上げる。

 少女の淡い、肩にかかる茶髪と柔らかに潤む黒の瞳がこちらを射た。


「穴掘りは手伝ってやる。集めろ」

「あ、集めるって何を……」

「……埋葬するんだ」

「ちょっとおい、それは酷ってもんじゃ……」


 後を追ってきたルアードが止めようとするが、右腕を彼の前に突き出しそれを止める。


「自分の手でしなければ一生後悔するぞ」

「……」

「お前はこの村に住んでいた。この村の者達と関わりを持っていた。……それで十分だ。早くしろ、日が暮れる」


 それだけ言い放つと、無言のまま行動に移った。

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