Act,3 宿望者 - 1 -

 銀嶺都市セル。世界の中心であり世界で最も栄えのある王都――別名、夜の来ぬ街。

 太陽がその姿を消そうとも王都セルに明かりが耐える事はない。人通りはさすがに少なくはなるが、それでも城を中心に、東西南北に十字に走る大通りは燭光赤々と、昼間同様様々な店がそれなりに仕事に従事している。


「ぎゃん!」


 それぞれ関所に繋がっている大通りの一つの真ん中で、少女――クレリアは豪快にすっ転んだ。足元が暗い。どうやら大通りに敷き詰められている舗装用の石の出っ張りに躓いたらしい。


「どこが「夜の来ぬ街」、よ! メインロードに人っ子一人、明かりの一つもないなんて!」


 これもセイロンが迷子になるからだわ!

 座り込んだまま、クレリアはぶちぶちとかけられた補助魔法を解除するための旅についてきた弟の悪態をつく。母を何とか説き伏せ、セイロンと一緒に行くと言う条件付で許可をもらい、折よくセルまで行くと言う行商人と出会って馬車に乗せてもらい。


「まったく……すぐいなくなるんだから」


 彼女を知る者が聞いたなら盛大なツッコミが返ってくるであろう事を彼女は知らない。

 ひゅう、と夜風が吹いた。

 太陽はとうにその姿を隠し、現在は蒼然たる月光が深閑とした街を照らしている。


「……昨日はあんなに賑やかだったのに」


 急に恐くなってぽつりとこぼす。

 その声すら響き渡りそう。

 本当に誰もいない。店は閉められ、明かりも無い。建物の中には誰かいるような気配はするものの、外に出ている者はいない。明かりが漏れないよう、各家々の窓に鎧戸が下ろされているらしかった。

 何かが起こっているらしい事は解った。けれど何が起こっているのか解らない。


 脅えている――? でも何に?


 さっきも巡回中の警備兵を見かけた。職業上あまりお近付きになりたくない相手なのでとっさに隠れたのだが――遠目に見ても酷く物々しい武装をしていた。常に二人組みで、何かを警戒しているのか数が多い。

 その前に広場で何かあったみたいで――

 ぞくりと、悪寒が走った。

 一人では耐えられない様な。一人でいるのは危険だと、何かが必死に伝えてくる。

 それが何であるのか確かめる事無く、クレリアは駆け出していた。


  ※


「漸く見つけた……っ シュラインの血を引く者……!」


 彼は笑っていた。逃げを打つこちらを、その瞳だけで縫い止めるかのように。何の「力」も使っていないと言うのに、この、威圧感。


「……ぅして、お母様の名前……」


 笑えるほど自分の声は掠れていた。思うように体が動かない。空腹のせいだけではない。


「どうして?」


 くっと喉の奥で笑うと、彼は目を細めた。


「まだ少し幼い、か……もう少し成長すれば瓜二つでしょうね。ああ、それにしてもよく似ている。まるで生き写しだ……」


 男は震えるこちらの頬にそっと手を這わす。その様子はうっとりと、まるで長年探し続けていたものに触れるかのように。

 そうして、ぐい、と何を思ったか男はこちらの髪を少し引っ張った。彼の表情から歓喜の色は消え失せ、途端に無表情となる。


「邪魔な色ですね……あの男の色を受け継いだのですか。探しても見つからないわけだ、あんな穢れた血が貴女の中に流れているなど考えただけでもおぞましい」


 猜忌の念。

 心底嫌うと、解るほどの、深く濃い。


「貴方は……誰……? どうして……そんな事……!」


 どうして――父の事を、知っているのか。

 思いが表面に出たのだろう、彼はくすりと極上の笑みを浮かべ、こちらの腕を握る手を緩める。籠められていた力を抜いて、けれど恐怖で動けない自分の耳にそっと囁いた。


「……こう言えば解りますか? シュラインの娘、神竜族最後の王よ。私は貴女を迎えに来たのです」


 神竜族。

 人が使わぬ、『銀の神』の、竜人の間でのみ使われる名。


「私の名はゼフュロス。火竜族の長であり、貴女の母君に仕えていた者」


 彼の言葉は、まるで硝子の破片の様で――





「……いつまでそうしているつもりだ?」


 同じ部屋にいた黒髪の女性がこちらに問うて来、柔らかく大きな寝台の上で膝を抱えていたフィーはびくりと身体を強張らせた。

 連れて来られたのは街の中のある宿だった。一般の旅人が泊る様なものではない、豪華な造りの部屋。広さもかなりある。現在その部屋には二人きりしかいなかった。見張りなのか、二人部屋の中で彼女は付かず離れず、常に傍にいる。


「あの人間の許に帰りたいとでも?」


 シルヴァールと名乗った彼女は、少し乱暴な言葉遣いで話す。


「……」


 帰りたい。

 それは本心だ。けれど帰れない事も自分は知っている。あの暖かだった空間に自分の居場所は最早ないから。人ではないから。

 さらさらと、シーツの上を己の銀の髪が擦れて音を立てる。その端をきゅっと握った。空腹は相変わらず我が身を苛んで――いや、そうではない。それだけではない。

 全てがもうどうでもよくなっていた。何も考えられない。虚無感ばかりが自身を襲う。

 その様子を見ながら小さく息を付き、シルヴァールは呟いた。


「人間のどこがいいんだ? あんな、愚かしくも残酷な奴らの」


 心底嫌うと、誰が聞いてもわかるような声。

 それが何故か、酷く滑稽に聞こえて。


「……貴女も、人間でしょう?」


 呟くように。聞かせるつもりは無かったが、恐ろしく静まり返った街の中では十分相手に伝わったらしい。微かに相手の頬が引き攣る。

 彼らの言う「封印」が解けたせいなのか、今は自分にも力があるとわかった。だからこそ、彼女に流れる血が純粋な竜人のものでないという事にも気付く。


「完全な竜人じゃない。寧ろ人の血の方が濃いわ。それなのに……」

「――ッ黙れ!」


 怒声。自分に向けられたのだと、しばらく気付かなかった。既に思考は麻痺しかけてる。本能が別の所に意識を向けている。


「お前だって半分人間のクセに……人間しか喰えないクセに! 人を喰わなきゃ生きられないクセに知った風な口を利くな! 今までどれだけ人間を喰って生きてきたんだよ!」


 一気にまくし立てられた言葉。ぜぇぜぇと、シルヴァールは息を荒げていた。――彼女の暴言とも言える言葉は、綺麗過ぎて。ぼんやりと霞む心にまるで針金の様に突き刺さる。


「……あたしは捨てられたんだよ、姉と共にな。あたしが力を初めて使って、姉の持つの「色」が変わって……あっという間さ。気が付けば悪臭放つ路地裏へ放り込まれてた」


 シルヴァールはこちらに向かって叫んだままの体勢で、その手をぎゅうっと握り込んだ。怒りを、憎しみを。身体から溢れ出す思いを、押さえつけるかのように。


「ただ竜人の血を引くというだけで迫害される。力が無かろうと、人を喰わなかろうと関係ない。「色」さえ違えばそれは異端だ。たったそれだけで、生まれたばかりの赤ん坊だろうが容赦なく斬り殺す」


 吐き捨てるように言い放つと、ぎり、と唇を噛み締め彼女はさらにきつく拳を握った。視線が宙を彷徨い、俯いて。


「だからあたしは、あの方について行くと決めたんだ。あの方があたし達を救ってくださる。導いてくださる。竜人が再び愚かな人間どもを支配する世界を創ってくださる」


 だから。

 再び彼女はこちらを見つめた。

 だからお前が必要なのだ。向けられた瞳は、言葉よりもこちらに響く。


「……お前だって、ずっと似たような思いをしてきたんだろう? 悔しいと思わないか? 自分よりもずっと劣る奴らに見下され、虐げられて見返してやりたいと思わないか?」


 ぎしりと、彼女がこちらの座る寝台の上に乗りかかってきた。覗き込んでくるシルヴァールの瞳には先刻の激しさは無くなっている。柔らかく潤む瞳と言えば聞こえはいいが、そこにはどこか縋って来るような光があって。


「私は……そうは、思いません……」


 それだけがやっと、言葉になった。

 階下からは濃密な血の匂いが漂ってくる。人にはそれほどではないかもしれないが、それを糧とする者には十分すぎるほどの。

 ゼフュロスと言う、あの男。

 姿の見えない彼がやったのは明白だった。


 ――お前だって、ずっと似たような思いをしてきたんだろう?


 どくんと、飛び跳ねる心臓を、胸元の首飾りごと握る事によって戒めた。


 ――忘れていた記憶。消し去った想い。


 笑っていた優しい時間。何も知らなかったあの頃。大好きだった人。向けられた瞳。投げかけられた言葉。止められなかった自分。ぬめる両手。失われてゆく体温。崩壊する心。

 心の奥底にしまっておいた、気付きたくない感情。


「私は……」

「きゃああぁぁっ!」


 不意に上がった悲鳴に掻き消される言葉。

 考えるよりも先に体が動いた。階下から上がったそれに反応するかのように、自分は部屋を飛び出し、シルヴァールの静止の声など耳に入らなくて。


 ――私は、あの時。


 何と言いたかったのだろう?

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