伝えたかった言葉

走っていったゼアを追いかけていたら思いのほか早くゼアは見つかった。

海を眺めるゼアの後ろ姿しか見えず、何時声をかけるか迷っているとき、私の気配にとっくに気が付いていたゼアが振り向かずに私に話しかけてきた。


「ハンナは海を見た事がある? 」


その言葉に返事をする前にゼアはまた話し始めた。


「私は当然見た事が無い。ううん、エヴィエニスの領地から出る事が少ないから、もしかしたら私が死ぬまでここに来ることは無かったかもしれない。」


彼女は尊き立場であることをきちんと理解している。理解しているからこそ自分に与えられる選択肢が少ないことも分かっているのだ。


(まだ、8歳の子供なのに)


皇后様を深く愛しておられた陛下は次の妃も置かないと決められ、その時からゼアはたった一人の陛下の後継者となってしまった。

陛下の下した決断がゼアにとって幸せだったのか不幸だったのかは私には分からないけど、立場のある人は何かを自分で選ぶことすら誰かの人生の自由を奪ってしまうのかもしれない。


もしかしたら、ゼアはその体験をしたからこそ早くにその立場を理解してしまったのかもしれない。


「そう思えば思う程、此処に居たいと思ってしまった。私達はやらなければならないことがある。でも、もう少しだけなら許されるんじゃないかって思ってここに来てからハンナに沢山の言い訳をして。」


ゼアがようやっとこちらを向いた。その顔はさっきの私みたいにボロボロと涙をこぼしながら。


「私は初めて食べたいものやしたいことで我儘を言った。それに付き合ってくれる時のハンナの顔が優しくて温かく感じたんだ。-----終わって欲しくないと願ってしまうほど。」


大人びた言葉を使う目の前の女の子の願いは年相応の純粋さをもっていた。

私にゼアの全てが分かるなんて思っていないけど、ゼアはきっと全ての終わりに恐怖を感じてしまったのかも知れない。


この旅が終わってしまうことが私と一緒に死ぬことになるよりも怖いと感じてしまう程に。


(だからこそ私の言葉を伝えなきゃ)


私の建前の無い本当の気持ちを。


「私だって終わって欲しくないよ。だって、ゼアの笑顔を見ると嬉しくなって胸が温かい気持ちになるるの。大切に思うから……私がどうなってしまってもゼアは死んで欲しくないって思ってしまうんだよ。」


ゼアのほんの少し感情に触れただけで、私はゼアの死ぬ場面なんて見れないなと思ってしまった。そんな日が来てしまったら私はきっと耐えられない。


「ゼアが死ななくていいのなら幾らでも建前も言い訳も作るよ。まぁ、今回はアクアリオに言ってもらわなきゃ私自身が気がつかなかったけど。」


「あれはハンナの本当の気持ちじゃなかったの?」


縋るようにゼアは私を見つめていた。違うと一言言えば終わる話なのかもしれないけどきちんと伝えるって決めたから。


「あの言葉は嘘じゃない。ゼアが生き残る為の最善の策だと思ったし、ゼアがエヴィエニスを繁栄させて欲しいと思った。」


だからこそ、この言葉も本当であると伝えたかった。やっぱりゼアは悲しそうな顔をしてから俯いてしまった。


それでも聞いて欲しい、私の本当に思った感情を。


「建前は自国の姫だからって事。姫殿下だから大切にして守っているんだと思っていたの。」


アクアリオに言われるまでずっと本音だと思っていた。ゼアを守る事が私の使命とすら感じていたのにゼアの悲しい表情を見て、アクアリオの言葉を聞いて感じたのは単純なものだった。


「私はゼアに生きて幸せになって欲しい。立場から逃れられないなら私を利用してでもゼアが傷つかない国を作って欲しい。」


最初は義務感と使命感からだった。


それが義務感が情に変わっていくのに時間は要らなかった。それくらいゼアには人の心を動かすだけの力があるのを実感した。


(きっと、これから沢山の人の心を動かしていく)


歳を重ねてもっと言葉の重みも増すのだろう。もしかしたら人の心を動かして国を動かしていく言動の片鱗を私は見ているのかもしれない。


「まだ全然ゼアと過ごした時間は少ないけど、優しい子だって分かるから。幸せに……ううん、違うな。ゼアの思いが報われてほしいと思うんだ。」


「報われる? どういう意味? 」


その言葉を聞いて私はゼアの年齢を思い出した。普通に会話が成立しているから、ついついゼアが8歳の子供であることを忘れてしまう。


「ゼアが頑張った分だけ願いが叶って欲しいって事だよ。」


そう言うとゼアは少し寂しそうな笑顔を見せた。


「報われるってそういう意味なんだ。言われたことがないから分からなかったよ。」


ゼアの立場上そういう言葉をかけられる人は多くは無いと思う。私も今のような現状だから言えているだけだって事は私が一番理解している。


「皆、立場があるからね。言いたくても言えなかった人だって沢山いると私は思うよ。」


「でも、行動してくれたのはハンナだけだった。」


「それはどういう……。」


思い当たる節が無くて聞こうとしたけど、ただ静かに微笑むゼアに応えてくれないんだろうなと予感して聞くのを止めて、言いたかったことを全部伝えることにした。


「ゼア、一緒に砂漠を超えよう。」


生存確率が上がったわけじゃないし、行くために沢山の準備が必要になる。その準備すら意味がなくなってしまうかもしれないけど2人で旅を続けるとしたらこの道しか残っていないのも確かだった。


「きっとゼアの想像以上の過酷な旅になると思うし……生きてアウルムに着ける確率の方がずっと低い。」


ヒュドールへ行くときも疲労が大きかったゼアに砂漠越えが耐えられるか怪しいし、ただでさえ生還者がいないのだから死を覚悟しなくてはいけない。

改めて死を仄めかす言葉をゼアに言ってみたけれど私を真っすぐと見つめる瞳はブレることなく、意志の強さを示していた。


「私はハンナが側に居てくれたらなんだって良いんだ。辛くない、苦しくなんかない。ハンナを失う苦しみに比べたら。」


まるで、プロポーズでも受けた感覚になってしまって顔が赤くなった。

顔が赤くなっているのを誤魔化すように咳ばらいをしてからゼアに話しかけた。


「そういうのは簡単に言っちゃダメだよ。」


勘違いをしてしてしまうからと言うとゼアはきょとんとした表情をしていた。


「勘違いも何も事実だよ。私はハンナに嘘はつかないって決めているから。」


(この人たらし!!)


嘘ではないのは分かっているつもりだけど、直接言われるとむずがゆい気持ちになってしまうのは仕方ないと思う。


そんな私を見てゼアはいたずらっ子の様に笑って手を差し出した。


「戻ろう、あの家に。」


ゼアはあの家に『帰ろう』とは言わなかった。それがゼアの答えであることが分かった。


「うん。帰ったら作戦会議だね。」


ゼアに応えるように私はその手を取って2人で歩き出した。



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