第86日 折りたたみが好き
昔は何でも折り畳みだった。とりわけ、電子機器に折り畳みが多かった。携帯電話、ゲーム機、パソコン。そのうち前者二つはもう折り畳みの時代が終わっている。
「うわあ」
幼馴染の彼女と高校からの帰り道、中古買取店の前を通った時にちらと見えたのは古いゲーム機だった。今のスマホみたいなタイプではなくて、折り畳み式のゲーム機。本当に懐かしい。
「そういえば、昔はよくゲーム機で遊んだね。あのぱかぱかするタイプの」
「ぱかぱか」
ぼくの言葉を彼女が復唱する。幼稚な擬音語になんだか気恥ずかしくなってぼくは言葉を付け足す。
「そう、あの折り畳み式ゲーム」
彼女はああ、と納得した様子だった。
「懐かしいね。きみと何度か遊んだっけ」
彼女とは確かRPGゲームをしたはずだ。今でこそオンラインが普通だが、昔は「通信」なんて言ってゲーム機を並べたものだった。
「そうそう。あの頃は若かった」
ぼくがおどけて言うと、彼女は軽く噴き出した。
「まだ若いでしょ」
「はは、そうともいう」
そんな他愛ない下校道。この日々が愛おしかった。
ぽつり。ぽつり。
「あれ、雨?」
そう、雨が降り始めた。けっこう大粒の雨。
今日の天気予報は晴れだったのに。降水確率だってゼロパーセントだったのに。そうぼくは頭の中で文句を呟く。
まあ、絶対なんて何もない。きっと天気予報の確率が百パーセント的中するようになる前に、人間は天候操作の方が先にできるようになっているだろう。それくらい予測の確率とは不確かなものだ。
「最近多いよね、通り雨」
彼女は白い手のひらを掲げて天を仰ぐ。その白い頬に雨粒が着地し、顎を伝って落ちた。彼女は委細構わず、と言った調子で空から降ってくる雨を眺めている。じっと、大きな瞳に雨空が映る。一体どんな感情で雨を見ているのだろう。
ぽたり、ぽたり。
ついぞ彼女が傘を鞄から取り出す気配はなかった。彼女はいつも折り畳み傘を携帯しているはずなのに。
「ほら、風邪ひくよ」
そう言いながら、ぼくはたまたま持っていた黒の折り畳み傘を開いた。そして彼女の頭上へと掲げる。ようやく彼女はゆっくりとぼくの方を見上げた。そう、今はぼくの方が背が高い。
待って、距離が近い。長い睫毛がすぐそこに。
ぼくの困惑に気付かずに彼女はぼんやりと呟いた。
「きみ、傘なんて持ってたんだ」
「たまたまね。昨日整理してたら見つけたんだ」
ぱたぱた。ぱたぱた。
雨粒が傘を叩く音がBGM。やけに近くから聞こえる雨音に、なんだか外界から遮断されたような気持ちになる。黒い傘の下で、彼女と二人きり。
こんなことを言った彼女に笑われてしまいそうだけれど。
「へえ、じゃあ丁度よかったね」
ふわりと彼女が笑うので、ぼくにとっては目の毒だった。如何せん、至近距離なのが悪い。そこでようやく気が付いた。道行く人たちが、ちらちらとぼくたちの方を見ているのだ。なんだ、彼女の美貌に見とれているのか?
「ねえ、もしかしてこれって相合傘?」
彼女が悪戯っぽく笑って言ったので、ぼくははっとした。
そういえば、今この状況は相合傘というやつだ。ああ、なるほど。道行く人たちの視線はそういうこと。
――うわあ、なんてことをしているんだ、ぼく。
「えーっと……きみ、傘は持ってる?」
努めて冷静を貫いてぼくは訊ねた。こういうのは慌てた方が負けだ。
「……ない、かな」
彼女は視線を一瞬逸らした後にこう答えた。あれ、とぼくは思った。
「でも、きみいつも折り畳み傘を持っているって――」
ぼくの唇に彼女の白い指が触れた。冷たい。雨に冷えたのではなかろうか。なんてぼくの脳は現実逃避を始めた。
雨音の中で彼女はゆっくりと言った。
「今日はね、たまたま忘れたの。本当に、たまたま。……ねえ、それでいいでしょう?」
そして妖艶に笑って見せるのでぼくはもうだめだった。
――折り畳み傘でよかった、彼女との距離が近いから。なんてね。
雨音はまだ止まない。
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