第80日 分類されていた国 (3/3)

 ――わたしは知ってしまったの。どうして意識世界にグレードという単語が現れないか。

 ――今それを司っているのはわたしなのよ。


 ♢

 

 ぼくの目の前にはすっかり冷めたコーヒー。そしてうつくしい女性、幼馴染の彼女だ。

 彼女は言葉を紡ぐ。ただ事実を述べるが如く淡々と。

「わたしはグレート十に移ってから、主席で学校を卒業したの。もちろんそこには社会的価値があるわ。その肩書だけで信頼が得られる。妙な話よね、成績が良かっただけで社会的信頼を得られるなんて」

 そこで彼女はミルクティーを一口含んだ。昔から彼女はミルクティーが好きだったことを思いだした。変わってしまった人の変わっていないところを見ると安心するというのは、どうしようもない人間のさがなのだろうか。


「そして、わたしはできるだけこの国のかなめとなる役職に就いたわ。この国について知るために。

 でも、すぐには核心には迫れなかった。そりゃあそうよね、新しく卒業したばかりの二十歳そこらの若者を簡単に国の真理に近づかせるはずがない。でなきゃ、もうこのシステムは崩壊しているはずよ」


 あまりにも情報過多。ただの平々凡々としたぼくの口はからからに乾いていた。早く話の続きをききたい。それでも問わずにはいられなかった。

「ちょっと待って」

 彼女は言葉を切ってきょとりとぼくを見遣る。思ったよりもあどけない表情。

 しかしその真っすぐな視線だけでぼくはしどろもどろになってしまう。でもこれだけは問わなければ。

「えっと、その……この話をぼくみたいなグレードシックスの人間が聞いていいの?」

 彼女はそっと目を伏せて静かに首を振った。

「そもそも人にグレードなんてないはずなのよ。もちろん貴賤や上下関係は存在してしかるべきだとは思っている。歴史を見るに、この国に社会主義は似合わないのは明白。それに、全員が平等だなんて思想は幻想でしかない。人は皆違うのだから。

 だけれどね、ただ一つのテストで人の偉さが決められるなんてありえない。そうわたしは思うわ」

  

 あまりにも唐突な彼女の言葉にぼくはびっくりしてしまった。それはグレード五以下の国民が言うはずの言葉だろうに。

 否、そう思うことこそ、ぼくが自分以下のグレードを下に見ているという証拠でしかない。

 無意識の偏見。全国民の根底に流れている、グレードに対する凝り固まった先入観。普段現実世界で意見を交わさなくなったからこそ、同じような偏見が侵蝕していたのだ。


「どうして、きみは……」

「ふふ、だってずっと昔言ったでしょう? この制度は不思議だって。それにね、大人たちは皆、グレードが同じ人とは話の波長が合いやすいなんて言っていた。なのに、グレードが違うはずのわたしたちは、今こうやって会話を楽しめている。じゃあ一体グレードってなんだろうね」

 そう言って屈託ない笑みを浮かべる。年相応の表情。なのに、言っている内容は物騒に近い。まさに検閲対象。

 彼女が卓上に置いた、ぼくらの声を周囲に聞こえなくする機械がなければこんな発言は許されないのだ。

 つくづくつまらない世界だ。


 言葉とは裏腹に、彼女はにこにこしたまま続ける。

「それでね、わたしが知ったことっていうのはね、」

「――どうして意識世界にグレードの単語が現れないか」

 ぼくが間髪入れずに言うと、彼女はただでさえ大きな目を丸くした。心底不思議そうに口を開いた。

「どうしてわかったの?」

「きみがさっき言ったから。それに、これはぼくも不思議に思っていたんだ。何故グレードに関する意見がないのか。

 だからあの発言を意識世界でしたんだ。『グレード世界って不思議』と。てっきり消されると思っていたんだけど、こうしてきみと会えたんだから本当に不思議だな」

 ――今見たらあの発言は消えているのだろうか。

 そんな詮無き思考は軽やかに笑う彼女の声にかき消された。

「ふふ、きみも鋭いのね」

「だってきみに感化されちゃっているから。十年前から」

 ぱちくりと彼女は目を瞬かせた。すぐに悪戯っぽく笑って、

「きみって面白いね」

 なかなかに気恥ずかしいことを言ったような気がする。じわじわと羞恥が湧き上がってきてぼくは話を元に戻すことにした。

「それで、きみが知ったことって?」


 そうそれよ、と彼女は語り始めた。

「わたしはあれから検閲機関に就職したの。グレード十にだけ存在する、全ての文書、電子データを検閲する機関。わたしはその中でも意識世界の検閲を担当していたわ」

 あれ、と思った。彼女は意識世界を好んでいなかったのでは。

 ぼくの思惑を察したのか彼女は苦笑した。

「……確かにわたしは意識世界のことがそこまで好いてはいないわ。でも、人の意見がごろごろ転がっているという点では心底面白いと思っているのよ。誰もが匿名にかこつけて楽しんでいるのを見るのは面白い。

 それでね、わたしの意識世界での仕事が『グレード』に関する発言を消去すること。片っ端から検索をかけて、見つけ次第消去。意外と言葉って含みがあったりするから、難しいのよ。まだ機械化できていない仕事の一つなの」

 おもしろいよね、と彼女は自嘲するようにせせら笑った。

「だってさ、グレードに違和感を持ってそのために勉強してきたのに、グレードに関する意見を削除する仕事なんて。

 でもね、面白いこともあるのよ。みんな意外とグレード制度について疑問を持っていることがわかるわ。毎日消しても消しても現れるから」

「……」

 ぼくは何と声を掛けたらいいかわからなくて押し黙ることしかできなかった。だってあまりに世界が違いすぎる。所詮グレード十の国民に踊らされて生きるのかと思ってしまう。

 賢い人間が上に立つという仕組みは遥か昔から当たり前のことだったはずなのに、いざそれを眼前に突き付けられると少しかなしい。 

 ぼくの前に座る彼女が近くて遠い気がする。

 

「だから、きみの発言に出会うことができたのよ」

 そういって彼女はゆるりと微笑んだ。それは十年前と変わらない微笑みだった。そのギャップにぼくは混乱しそうになる。やっぱり近くて遠い。


「……だからきみはぼくの発言だってわかっていたの? だからぼくをここに誘った?」

 言ってから言葉に棘がなかったか心配になった。思ったより冷えた声が出て驚いた。彼女を突き放すつもりなんてなかったから。

 彼女は哀しそうに目を伏せて言った。

「実はね、匿名の発言が誰かはわたしの権限ではわからないの。嘘くさいかもしれないけれど、これは本当よ。きみに会うまできみだという確証は何もなかったの」

「じゃあ、」

 ――今ここにいるのはぼくじゃなくてよかったのか。

 そう言いかけてぼくは口を噤んだ。なんて幼稚な言葉。なんて被害妄想。

「違うの、聞いて。わたしはね、きみだと思って声をかけたのよ。矛盾しているけれど」

 彼女はぼくの手を握った。ひやりと冷たい手だった。

「だって『グレードって不思議』という言葉が、きみの言葉なような気がしたの。不思議よね、こんな匿名の意見が溢れかえっている中で、毎日飽きるほどの意見を見ているなかで、どうしてかきみの発言かなと思ったの。こんなこと滅多にないわ。そうじゃなきゃわたしはここには来ない」

 真摯な瞳にぼくの方がたじろいでしまう。

「……弁明しておくけれど、わたしはオカルトとか科学で説明できないことは信じない主義よ。なのに、これを逃したらいけない。そんな気がして」

 ――気が付いたらメッセージを送っていたのよ。

「……」

 彼女の瞳にぽかんとしたぼくの顔が映っている。

「わたしの話を信じなくてもいい。でも、わたしは今きみに会えてよかったと思っている。それだけは信じてほしい」

 ぼんやりとしたままぼくはかくりと頷いた。そして、自分の幼稚さを恥じた。もう二十歳にもなって、何やっているんだろう。


「……きみはすごいや。だからきみに惚れたのかな」

 ぼくは思わずそうぽつりと漏らしてしまった。はっとした時にはもう遅い。目の前で彼女は頬を赤く染めていた。

「……今、なんて?」

 ああ、そこを問い返してきたか。十年前のあの日、去り行く彼女に言えなかった言葉を渡すときが来たのかもしれない。

「だから、きみに惚れていたんだって。ぼくは十年前からきみが好きだったよ」


 彼女の唇が静かにわなないた。それから緩やかに弧を描いた。

「よかった。わたしの一方的な感情だと思っていたから……」

 その安堵の微笑みに、どうしてもっと早く言わなかったんだろうとぼくは激しく後悔した。でも遅すぎることはない。今から言えばいい。

「きみが好きだよ。ずっと前から。そして、これからも」

 彼女はとても幸せそうに笑った。とても柔らかい笑み。

 それからぼくの耳元で短く囁いた。十年前と同じように。

「ねえ、グレード、壊そうか」

 それは名案だと思った。きっと頭のいい彼女がこう言うのだ、何か案はあるのだろう。


 仮にしくじって死んでしまってもいい。そもそもここに来たのはそこまで大きな未練がなかったからだ。それより、意味の分からないグレードとやらの所為で彼女と生き別れになるのは耐えられなかった。


「うん。きみとならできる気がする。いや、しよう」

「ふふ、ありがとう」


 ♢

 

 そしてあれから一年。

 ぼくらの作戦は成功して、この国から『グレード』は撤廃された。彼女曰く、元からこの制度には限界が来ていたらしい。

 このグレード制度を導入して早百数年、年々人間の脳が萎縮する傾向にあることが確認されていたそうな。現実世界で意見を交流しなくなったことが一因と元グレードテンの専門家は述べている。

 それから狂暴化する意識世界での発言。かつてはメリットしかなかった意識世界だが、現実世界にも徐々に悪影響が出ているらしい。導入して初めの数年は犯罪も減ったらしいが、ここ数十年は増加傾向にあったそうだ。


 国民の暴動が起こる前にグレード制度が撤廃できてよかった。

 これがぼくらの見解である。それが偏った意見なのかはわからない。

 習慣というのは恐ろしく、まだ意見を交流するという文化はない。又、グレードによる偏見、差別もすぐには取り除かれない。

 でもここまでは予想通りだった。歴史を見ると思想に関わる部分はなかなか変えられないのだから。


 しかし、すぐに変えられることもある。

 国民の居住地域、及び関わる人の制約がなくなったのだ。


 聞くと、彼女はあの時全てを捨ててグレードシックスまで来ていたらしい。世界に飽き飽きしていた、そんな時にぼくの発言を見て決意を固めたそうな。


 グレード制度崩壊まであと一歩というところで彼女はこう零した。

「もしきみじゃなければ、或いはグレードについて意見を持たない人間だったら……わたしは一人でグレード制度を崩壊させるつもりだったの」

 なんて物騒なことを言うんだと思った。彼女は恐ろしく優秀だけれど、一人でできることには限界がある。こんなグレード制度ごときに彼女が人生を捨てるなんて……何と言うか、勿体無い。

「……気概は素晴らしいけど、きみはもっと自分を大切にしなよ」

「ふふ、わかったわ。きみは心配性ね。でも大丈夫、きみがここまでついてきてくれたから」

 ――ありがとう。

 彼女の決意秘めたる顔は、何よりもうつくしかった。


 そうして、グレード制度はぼくらの手によって見事に崩壊した。


 無論ぼくらだって後先考えずに制度を崩壊させたわけではない。再建に向けてあれやこれや策を練った上での行動。もちろん策を練ったのは彼女だけれど。


 大きな制度がなくなったこの国は、早くも再建が始まっていた。


 ♢


 新たなスタートを切った、『分類されていた国』。今は何と呼べばいいのだろうか。


 かつてグレードシックスだった場所で、ぼくらは立っていた。あの駅前の喫茶店の前だ。今は色んな階級だった人が利用していて賑わっている。


 不意に、ぼくの隣で幼馴染の彼女はくすくすと笑みを洩らした。

「どうしたの?」

「ふふ、だって面白いなと思って。この国が変わった元凶って、わたしがきみを好きだったということから始まったのだから」

 確かにそうだ。端的に言うと、ぼくらが一緒にいたかったという、ただそれだけの理由だけで国が変わったのだ。まるで御伽話みたいだ。ばかみたい。

「ははっ、本当に面白いね。でも一つ訂正がある」

「なあに?」

「ぼくもきみを好いていたということ」 

 でなきゃ、国なんて動かない。

 彼女はころころと笑った。

「まあ嬉しい」

 どちらからともなく彼女と抱擁を交わす。ぼくが彼女を普通に愛せるこの世界が愛おしかった。


 

 ♢


 この国はかつて国民をグレードで分類していた。グレードで全てが決まる世界。でも、蓋を開ければ何一つ確かなことなんてなかった。

 でも、それも過去の話。

 

 一つ確かなのは、今、ぼくらは幸せということだ。





(分類の国、完)

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