〇第48日 虹のふもとには
――虹のふもとには宝がある。
この国でもまことしやかに囁かれているこの言い伝え。遥か彼方の欧州でも同じような言い伝えがあるらしい。なんでも虹のふもとには金のカップが埋まっていて、そのカップを手にしたものは一生幸運に恵まれるそうな。
「わあっ、きれいな虹」
ぼくの隣で幼馴染の彼女が感嘆の声を洩らした。今のぼくは彼女と背丈が丁度同じくらいまで追いついてきた。ずっとぼくの方が背が低かったからなんとなく悔しかったのだ。ようやく成長期がやってきたのかもしれない。
「そうだね」
ぼくの目には七色の虹がきれいに映っていた。きっと隣にいる彼女も同じように見えているのだろう。外国では虹は七色ではないらしいが、そんなのはどうでもいい。とてもうつくしいからそれでいいのだ。
おもむろに彼女は口を開いた。
「ねえ、知ってる? 虹のふもとには宝物があるんだって」
「たからもの」
ぼくはぼんやりと復唱する。宝物ってなんだろう。あまりにも抽象的すぎやしないか。何が宝で何が塵かは人によって価値観が違うだろうし。でもきっと、夢のあるものなのだろう。なんたって、美しい虹のふもとにあるものなのだから。希望とか夢とかいう言葉が似合う。現実味の薄い話だ。
「そう、宝物よ。だからね、今から虹のふもとまで歩いてみない?」
彼女は虹の先っぽを指さして言った。
「い、今から?」
「そう、今から」
満面の笑みで自信満々に彼女が言うのだから、ぼくはそれが正解なんだと思った。こういう時の彼女について行って損をしたことは今までなかった。きっとこれからもないのだろう。
「わかったよ」
「ありがと、行きましょう」
そうしてぼくらは虹のふもとを目指して歩き出した。目指せ、宝物。
♢
もうどれくらい歩いただろう。小一時間は歩いているはずだ。なのに、虹はまだまだずっと遠くにある。
「ねえ、虹のふもとってあとどれくらいあるのかな……」
さすがに不安になってきてぼくは彼女に問うた。彼女はあっけらかんとして端的に答えた。
「永遠よ」
「えいえん」
ぼくは口の中で単語を転がした。しかしいくら吟味してもその意味はわからなかった。
「あのね、虹のふもとには永遠に辿り着くことができないのよ」
それから彼女は科学の知識を使ってそれを証明し出した。半分くらいしかぼくは理解できなかったが、とかく虹のふもとには行けないことがわかった。ぼくは思わず脱力した。
思わず引き返そうと提案しようとしたが、彼女が言葉を紡ぐ方が早かった。
「ねえ、虹とそっくりなものがあるって知っている?」
少し考えてもわからなかった。新手のなぞなぞか? ぼくは早々に降参した。
「……ううん、わからないや」
彼女は落胆も失望もしていないという口調で答えた。
「それはね、明日よ」
なるほどとぼくは思った。
明日は簡単に手に入りそうだと思うが、実は永遠に手に入らないものなのだ。今日からみて明日という日は、日付を跨いだら今日という日になってしまうから。明日は永遠に手の届かない存在であり続ける。
だから虹とそっくり。歩いても歩いても永遠に辿り着くことのできない虹のふもとと同じなののだ。
「……確かにそうかもね。でもさ、明日は勝手にやってくるんだよ」
そう。ぼくがぼんやりと生きていても、忙しない日々に忙殺されていたとしても、明日は平等にやってくる。生きている人間には等しくやってくるのだ。望もうが望ままいが。
ぼくがそう言うと、彼女は「何を当たり前のことを」みたいな顔をした。
「そうね。でも、勝手に与えられる明日よりも、追いかけて掴んだ明日の方がいいと思わない?」
ぼくは感嘆の溜息を洩らした。
「うん。望んで掴んだ方が楽しい」
たとえそれが綺麗事だったとしても、幸せに生きられるならそれでいい。
「でしょう?」
彼女は満足気に笑った。その笑顔が隣にあるだけでぼくは幸せな気持ちになれた。明日を掴むために歩いているのだ。
あれ、確か今は虹のふもとを目指して歩いているんだったっけ。そうだ。もとはといえば、虹のふもとの宝物を手に入れようと歩き始めたのだ。
「……ねえ、どこまで歩き続けるの?」
虹のふもとには永遠に辿りつけない。それが科学的に証明された今、ぼくらが歩き続けている理由がわからなくなってしまった。
歩きながら彼女は微笑んだ。同じくらいの高さにあるきれいな瞳がぼくをまっすぐ貫く。
「そうね……虹の光が消えるまでか、」
眉を下げて彼女は微笑んだ。
「これ以上歩けなくなるまでよ」
ああ、これが人生かとぼくは思った。まだ足取りは軽く、陽の光は明るい。
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