第30日 ポッキーゲーム

 今日は十一月十一日。数字にすると11/11。これを菓子に見立ててポッキーの日なんて言うらしい。そしてポッキーゲームという遊戯もあるそうな。

 両端を一人ずつ咥えて食べ進めていき、先に口を離したほうが負けというゲーム。しかしどちらも口を離さないと最終的には接吻が待っている。なんとも恐ろしいゲームだ。ぼくには無縁そうだから何でもいいのだけれど。


「ねえ、ポッキーゲームしよう」

 まさか幼馴染の彼女の口からこの単語が出てくるとは思わなくて、ぼくは飲んでいたお茶を吹き出しそうになった。フラグ回収という言葉が脳裏を駆け巡った。

 ぼくの困惑をよそに彼女は黙ってポッキーの箱を取り出す。その様を無言で眺めることしかできなかったが、不意に彼女は首を傾げた。

「なに、わたしが相手じゃ不服?」

 彼女がポッキーの箱を仕舞いそうになるのでぼくは慌てて言葉を発した。

「不服じゃないです、断じて全く」

 ころころと彼女は軽やかに笑った。まるでぼくの心情なんてお見通しというように。嗚呼、とぼくは天を仰いだ。これは神様の悪戯かもしれない。ぼくは無神論者だけれど。


 ばりっと音を立ててポッキーの箱が開封される。戦いの火蓋が切られたのだ。

 そう、ポッキーゲームは戦いである。いかに沢山食べられるかという戦い。

 ぼくと彼女は幼い頃から良きライバルであった。勝負事には全力で挑む。もう些細なゲームで勝ち負けを気にする年齢ではないのだが、まだ惰性で彼女との勝ち負けにはこだわってしまう。


「はい、口開けて」

 もしやこれは「あーん」というやつか。単純なぼくはわくわくしながら口を開けてポッキーを待ち構える。そして茶色い切っ先がようやくぼくの方に来た――かと思うと、それはくるりと向きを変えて彼女の口に吸い込まれた。残ったのはぼくの間抜けに開かれた口と彼女の悪戯っぽい笑み。

「ごめんね。わたし、チョコ大好きなの」

 ポッキーのチョコレート部分を咥えてご満悦の様子。彼女以外にこれをされたらぼくは腹いせとして残りのポッキーを全部食べていただろうが、不思議と怒りは込み上げてこなかった。

「ほら、きみも逆側咥えて」

 ん、と彼女はぼくにポッキーを差し出してくる。

「うん……」

 ぼくはどぎまぎしながらクラッカー部分を咥えた。彼女の口には今頃チョコの味が広がっているのだろうか。さくりと彼女は一口目を食べ進めた。小さな一口。細っこいポッキーは簡単に折れてしまいそうでぼくは食べ進めることができなかった。ただそっと眼下にいる彼女を見つめるばかり。

 ――睫毛長いな。肌も白いし。ああ、つむじは右巻きなんだ。

 何かが限界突破したぼくの頭は、現実逃避のごとく彼女の実況を始める。変態じみているなと他人事のように思った。

 あんまりにもじっと睫毛を見つめていたせいか、ぱちりと彼女がこちらを向く。自然な上目遣い。自然な上目遣いってなんだよとぼくは自分にツッコみながら、ぼくは理性を保つのに必死だった。彼女の大きな瞳がにこりと弧を描く。それも至近距離で。ぼくの心拍数は上昇し続けるばかり。


 そしてポッキーはおもむろに折れた。クラッカーだけの部分とチョコのかかっている部分の境界線でぼきりと。

 ちょっと、それはないだろう。ぼくはまだチョコレートのかかった部分を食べていないのに。これはもちろん建前。

「やった、私の勝ち」

 彼女はチョコレートのかかった長い方を笑みを浮かべてポッキーを食べている。勝利の美酒、ではなく勝利のポッキーはさぞかし美味しかろう。ぼくはその様をただ静観することしかできなかった。

 そうしてポッキーを食べ終わった彼女はぺろりと舌で唇をなぞらえた。その唇はとんでもなく甘いんだろうなとぼくは思った。チョコよりも甘いのかもしれない。どんな味がするんだろう。

 なんて考えたところで我に返った。既のところで理性が働いて助かった。これみよがしにぼくは残りのポッキーを全て頬張った。彼女が止める隙も与えなかった。

 サクサク。サクサク。

 口の中にショ糖の甘みとカカオの苦味が広がる。クラッカーだけだったさっきとは大違いだ。溢れんばかりのポッキーがぼくの口を蹂躙する。それでいい。頭に浮かんだ煩悩を振り払ってくれ。

 サクサク、サクサク。

 チョコレートとクラッカーの絶妙なハーモニーがぼくの口で溶けていった。そしてポッキーを完全に飲み込むとぼくは口を開いた。

「残念、ぼくの勝ち」

 その時の呆気にとられた彼女の顔といったら。しかし彼女も一筋縄ではいかなかった。

「チョコついてるよ」

 そう言って彼女はぼくの頬に手を伸ばし、すらりとした指先で何かを掬い取った。それだけでどきどきしてしまうのだから結局ぼくの完敗だ。

 

 こうして波乱のポッキーゲームは幕を閉じた。全く心臓に悪いイベントである。

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