第29話 大胆な娘


「あ、そういえばノネームお兄ちゃんってどこに泊ってるの?」


 ふと思い出したように、ダニカが聞いてくる。


「南の市門の近くにある、グレゴリーの宿屋ってところに部屋を借りてるよ。当分はそこにいるつもりだから、何か用があったらそこにきてくれ。まあ、いないときのほうが多いだろうがね」


 通り名だった剣聖が称号になってしまった今、ある程度の責任は全うすべきだとミルディンは思っていた。


 その責任すら負いたくないなら王の懇願など突っぱねればいい。

 だが、ことダンジョンが関わっているとなればそうはいかない。


 一度でもダンジョンに生きがいを感じた人間には、やはり責任はある。

 異変とやらを探らなければならない。


「ふぅん。宿屋かぁ。でも王の腕に並ぶノネームお兄ちゃんの待遇としてはひどくない? なんで宿屋なの? しかもあそこの宿屋って安さが売りでご飯もでなかったよね」


「待遇なんて気にしてないよ。城の豪奢な部屋よりかは数倍落ち着く。ただ、飯を調達しなきゃいけないってのはめんどうかもしれないな」


 すると、何かいいことを思いついたのか、ダニカが手の平をポンッと叩いた。


「だったらさ、あたしのこの家に泊るってのはどうっ?」


「え? こ、ここにか?」


「うん。見ての通り部屋はいっぱい余ってる。それに広い割には質素で、ノネームお兄ちゃん好みじゃない? それに御飯だって朝と夜は作ってあげる。メレディアほどじゃないけど、あたしだって料理くらいできるんだから」


 前のめりになって、この家での宿泊を推してくるダニカ。


「うぅん。この家に、か……」


 まさかの申し出に戸惑うミルディン。

 とはいえ、悪い提案ではない。

 御飯をダニカが作ってくれるというのが、かなりの高ポイントである。


 先日のメレディアの夕食もそうだが、店ではない手料理はいい。

 ずっとリザリクの手料理を堪能してきたこそ、ミルディンには分かる。

 

 自分だけのために作ってくれた料理には、暖かな感情が宿っているのだ。


「そう、この家にっ」


 とテーブルを飛び越えたかと思うと、ミルディンの膝の上に乗ってくるダニカ。


「お、おいっ、ダニカっ?」


「ダニカっ!? ち、ちょっとあなた何してるのっ?」


 となりのラヴィニスもびっくりの行動のようだ。

 面と向かった状態のダニカが、両手をミルディンの首に回す。

 

「御飯を作るだけじゃないよ。寂しかったら一緒に寝てもいいし、朝だってあたしが起こしてあげるし、疲れた体をマッサージだってしてあげる。ねぇ、どう? 宿屋に一人でいるよりかは断然いいと思うんだけど?」


 まさか、ダニカがこんなにも大胆な行動に出るとは思わなかった。

 こういった甘えるような行為は苦手に思えたのだが。

 人は見かけによらないものである。


 って、この状況を可及的速やかに脱しなければならない。


「き、気持ちは凄い嬉しいよ。ダニカ。でも、ちょっと落ち着かないかな。気も休まらないっていうか」


「大丈夫だよ、すぐ慣れるから。そうそう、湯浴み場で背中だって流してあげる。だからお願い。この家に泊って」


 最もダメな特典がでてきた。

 ダニカの濃厚な香りと相まって、妙な気持ちが発露しそうになる。

 これはだめだ。早く断らなくては。


「ダニカ――」


「わっ?」


 突然、ラヴィニスに手を引かれて、ミルディンは立ち上がらされた。

 膝の上に座っていたダニカが転げ落ちる。


「ノ、ノネームお兄ちゃん。もうそろそろ行かねばなりませんっ。大事な用事があったのを忘れていましたっ」


「大事な用? そんなのがあったのか?」


「ありますっ。剣聖としてのチョー大事な用事があるのですっ。遅れてはまずいので、すぐに行かねばなりませんッ」


 やけに焦り気味のラヴィニス。

 らしくないほどに冷静さを欠いているように見えるが、そんな大事な用事を忘れていたのか。


 それはさておき助かった。

 ダニカの作る御飯は魅力的だが、その他の特典が倫理的にまずい。


 ――倫理的にまずい。

 多分それは、彼女達四人に一一年前の少女だった頃の姿を重ねているからなのかもしれない。

 

「ごめん、ダニカ。そういうことだから、もう行くことにするよ」


「え? ここには泊まらないの?」


「あの宿屋は城が近いからな。俺の今の立場を考えると、グレゴリーの宿屋にいたほうがいいだろう。だからごめん! ダニカ」


 ミルディンは頭を下げる。


「頭なんて下げないでよ、ノネームお兄ちゃん。……でも、泊まれなくても来てはくれる?」


「ああ、もちろんだ。ダニカの手料理を食べなくっちゃだからな」


「やったっ。そのときは腕を振るうね」


「ではダニカ、もう失礼しますね。ノネームお兄ちゃんの大事な用事に付き合わなければいけませので」


「おう。それでその大事な用事ってなんなんだ? もしかしてダンジョン絡みか」


 ダニカの目に好奇が光が宿る。

 

 若干、うろたえるラヴィニスがなにやら逡巡したあと、こう口にした。


「ダニカの言う通りです。ノネームお兄ちゃんには今日、ゴブリン族の根城ダンジョンに潜ってもらうことになっています」


 ゴブリン族の根城ダンジョン。

 その名の通り、ゴブリンが根城にしているダンジョンであり、モンスターはゴブリンしか発生しない。


 ゴブリンは最弱の部類に入るモンスターで、レベルは70。

 だが、ゴブリン族の根城ダンジョンのクラスはA。

 

 なぜか。

 それはゴブリンの種族全てが発生するからだ。

 もちろんボスもゴブリン族であり、ゴブリン帝王エンペラーの一択となっている。


 レベルは800前後。 

 クラスAとはいえ、ミルディンにとって、取るに足らないダンジョンである。


 それはさておき、


「そんな話、聞いてなかったぞ、ラヴィニス。どこかのダンジョンに潜るとは思っていたが」


「すいません。ダニカと会ったあとで話そうと思っていたので」


「でもなんでゴブリン族の根城ダンジョンなんだ? 何か理由があるんだろ」


「ええ。ボスのゴブリンエンペラーは人の言葉を話すことができます。そのというのが今回のノネームお兄ちゃんの任務なのです」

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