第25話 異変の始まり
転送陣。
それはダンジョンにある転移門と似ているが、行先を選べるという一点において、転移門よりも優れていた。
しかし、
果たして転送陣で転送されたのは、完全なる闇に包まれた屋外だった。
「おい、ビラル。ここがお前の言っていた、俺に見せたいものがある場所か? 真っ暗で何も見えんが」
「ちょっと待ってください。今、魔光石を使いますので」
三秒後、ビラルが姿を現し、周囲十数メードが明かりに照らされた。
目の前には、明らかに人工的に造られたと分かる洞窟。
だというのに、腰まで伸びた雑草や頭上の木々から落ちる葉が積もっていて、全く整備されていない。
その様はまるで、〝あまり公にしたくないものを隠すため〟に慌てて造ったかのようだった。
ヌミトール・ビラルが手に持った魔光石を、洞窟の入口から中に投げる。
すると明るさから逃げるように、数多の黒いヘビのようなものが壁を這い上っていった。
「っ! 今のは〝邪念食い〟か」
「ご名答。って、ダンジョンを知り尽くしたあなたなら知っていて当たり前ですね」
ヌミトール・ビラルは詠唱して松明用の木に火の魔法を掛けると、洞窟の中に足を踏み入れる。
さきほどの魔光石よりも幾分明るい光が周囲を照らす。
頭上に逃げた邪念食いが奥に向かって移動を始めた。
一〇年ぶりに見たが、相変わらず気持ち悪い
だが、おかしい。
邪念食いは美食家だ。
つまりレベル1000以上のモンスターのいる場所に集まる幽世。
ダンジョンではないこの場所に、そのレベル1000以上のモンスターがいるのだろうか。
その疑問をヌミトール・ビラルにぶつけると、
「ええ、いますよ。そいつを今からあなたにお見せしようと思っているんです。あ、大丈夫ですよ。戦って倒してくださいなんて言いませんから」
「そんなことは分かっている。ダンジョンでない場所、しかもこんな張りぼてのような洞窟から出ようともせず、且つ体を保っているってことは、そいつはもう――死んでいる」
◇
「お、おい、こいつは……っ」
ミルディンは久々に驚いた。
多分、こんなに驚いたのはリザリクの作る飯を始めて食べたとき以来だ。
もちろん、旨すぎて、である。
ミルディンはヌミトール・ビラルから奪うように松明を取ると、眼前のモンスター全体を照らした。
奇妙な模様の入った体に腰布を巻いた人型のモンスターが、地面で仰向けになっていた。
人型と言ってもその大きさは人間の比ではなく、成人男性の七、八倍はあろうかという巨体だ。
全身、傷だらけのようだが、戦った相手に切り刻まれたのだろう。
頭にはその頭をすっぽりと覆う、あらゆる箇所が棘だらけのマスク。
唯一の防具、ではなくこのマスクは神罰具であり、神の逆鱗に触れた証。
頭のすぐ近くには巨大な石の車輪が置いてあるが、それはこのモンスターの武器。
生きていたときは、人間相手に炎で燃え盛る石の車輪を振り回していたはずだ。
それがこのモンスターの名前。
レベルは2200。
クラスSSダンジョンのボスの一体だ。
「――あ、やっぱり知っていますよね。兄の妻に手を出し、その兄の逆鱗に触れ、火焔車の刑に処されたと言われる神界の住人。しかし、自分を死に追いやった火焔車を武器として与えられるとは、ダンジョンを生成した誰かさんも趣味がいいやら悪いやら」
本来、ダンジョンのボスとしてボスの間にしか現れない火焔車のイクシオンがこの場所で死んでいる。つまり――。
「こいつはダンジョンの外に出ていたのか。そしてこの洞窟周辺で倒した。わざわざ洞窟まで作って中に置いているのは、焼いて灰にするには惜しい程の調査対象だからか」
「話が早いですね。ちなみに倒したのは王碗騎士隊ですよ」
「だろうな。で、倒したのがお前か? それともあの図体のでかい、ウォッツとかいう男か?」
「いえ、カーム卿です」
ゴデスラス・カーム。
そうだ。
王碗騎士隊にはあの男がいた。
山男のように、口元と顎に髭を蓄えた古参の騎士が。
ゴデスラスは、ミルディンが王の隠し子であることを知る三人のうちの一人。
ミルディンよりも二回りも年上ということもあってか、王とは別に父のような存在でもあった。
同時に剣の師匠であり、今のミルディンがいるのは彼のおかげとも言えた。
ゴデスラスはミルディンを王碗騎士隊に入れたがっていたが、結局ミルディンは自由気ままなダンジョン攻略の道を選んでしまった。
〈がははははっ! そうか、ダンジョンかっ。気にするな。お前の人生だ。楽しんで来いっ〉
そういえば、いつも豪快な笑い声をあげていた。
あれから一二年。
今もゴデスラスは変わらぬままでいるのだろうか。
こうやって王都に戻って来たのだ。
会いに行くのも悪くない。
幸い、土産話は盛りだくさん抱え込んでいるのだから。
「そうか。ゴデスラスのおやじか。あのおやじも、もうけっこうな歳だがまだまだやれるもんだねぇ。ゴデスラスは元気そうか? そういや王覧剣檄では見かけなかったな」
ヌミトール・ビラルの表情に影が差す。
「カーム卿は死にました」
「――っ」
「イクシオンとの一対一の戦いで、相打ちとなって。近くには引き連れていた銀狼騎士団もいたそうなのですが、手を出すなと言ったそうです」
「そうか」
手を出せば、出した銀狼騎士が死ぬ。
それが分かっているからこその一対一。
ゴデスラスは最後まで、ミルディンの尊敬する師匠のままだったようだ。
「カーム卿とは知り合いだったのですか?」
「まあな。あとで墓の場所を教えてくれ。顔を見せておきたいから」
「はい。では戻りましょうか」
「ああ。もう十分だ」
「本当に話が早いですね」
イクシオン以上のモンスターが、これからもダンジョン外に出てくるかもしれない。
そんな状況になったら、確かに隣国との戦争どころではないだろう。
こりゃ、近いうちに潜ったほうがいいかもしれんな。
原因があるなら、それはダンジョンの中。
ミルディンはそう、断言できた。
「あ、ところで帰りは徒歩になりますので。転送陣って片道用ですから」
「なにぃっ! おい、ここから王都までどれくらいだっ?」
「だいたい、八キロメードですかね。馬と一緒に転送陣に入れば良かったですね。ボクとしたことが忘れてました」
うそだろぉぉぉぉっ。
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