第19話 王覧剣檄


〝黒の間〟。

 それは地面全てが真っ黒な土で覆われた闘技場。

 黒い土なのは、戦いによって流れた血が目立たないための配慮だ。

 

 そう。

 この黒の間では血が流れる。

 王覧剣檄けんげきは模擬戦ではく、実践なのだ。


 しかし実践とはいえ、ルールがある。

 それは相手を殺さないこと。

 ゆえに、ほぼ即死である心臓と首から上への攻撃は許されていない。

 黒の間の周囲四方向に立った優秀な魔導士でも、対処不可能だからだ。


 というのが、ミルディンが王都を離れる前までの情報だった。

 が、見る限りどうやら今も全く変わらずのままらしい。


 黒い土も、実践であることも、魔導士の数も、下手すれば死ぬということも――。


 しかし、人が多いね。


 周囲を見渡せば、今日の一戦を目に焼き付けんとばかりに集まってる大勢の人。

 王覧剣檄専用の闘技場で広さもそんなにないのに、おそらく三〇〇人くらいは入っていそうだ。


 身なりのいい者に混じって、王碗騎士隊もいれば銀狼騎士らしき人間もいる。 

 ということはラヴィニスもいるのかと視線を右へ左へと動かすと、小さく手を振っている彼女がいた。


 さすがに手を振って応じるわけにもいかず、ミルディンは軽く頷くに留めた。


「静粛に。静粛に」


 高見で見下ろしていたグラント王が声を出す。

 しかしその声は小さい。

 それでも皆が一斉に黙ったのは、グラント王が立ったからである。


 グラント王の隣には王妃のみ。

 二人の間には哲学者の息子と文章家の娘がいたはずだが、血生臭い物には興味がないのだろう、この場にはいなかった。


「これより、ミ、ごほんっ、ノネームとバールゼフォン・ウォッツによる王覧剣檄を始める。両者、一歩前へ」


 あのじじい、今ミルディンって言いそうになったな。


 王に〝ミルディンという名の隠し子がいる〟。

 ――という事実を知っている人間は実のところ三人いる。

 が、それを他人に吹聴しようなどという輩はいない。もしも言いふらそうものなら、それは王に対する裏切りとなるからだ。


 だからといって大勢の前でその名前を口にすれば、面倒事が向こうからやってくるのは目に見えている。


 王覧剣檄も気乗りしないのに、それ以上の厄介ごとに巻き込まれるのは御免こうむりたいところだ。


「ノネーム殿」


 眼前の男、バールゼフォン・ウォッツが重く太い声でミルディンの名を呼ぶ。


「ん? なんだい?」


 鎧越しでも分かるほどの筋骨隆々な体躯。

 横幅も大木のように太く、身長は優に二メードを超えている。

 壁のごとく圧倒的な威圧感。


 灼熱のような赤い髪を肩ほどまで無造作に伸ばしているが、その厳めしい表情もあってか、まるで怒れる神の化身のようだ。

 並の剣士なら、委縮してこの時点ですでに敗北が決定するだろう。


 しかし、一二年前も王碗騎士隊にいただろうか。

 いや、歳はミルディンと同じくらいのように見える。

 とすれば、一二年前はまだ王碗騎士隊ではなかったほうが自然か。


「お主の剣聖としての武勲は知っている。聞けば最凶のクラスSSSを含めた全てのダンジョンを二年で攻略したとか。しかし解せぬのだよ。一体、誰がそれを確認したのだ? お主が自ら吹聴したのではないのか」


 あ、よく言われたやつ。


「うん。俺もそう思う。でもなぁ、事実だし? それと言い広めたのは同じくダンジョンに潜っていた奴らだよ。自分で言ってしまうほど、歪んだ功名心の持ち主じゃないさ」


「ほう、つまり、正しいと証明できんわけか」


「んー、まあ、そうなるね」


バールゼフォン・ウォッツが背中の大剣を前に掲げる。


「ではせめて、俺とこの獣皇じゅうおうの剣の前で証明してみせよ。お主の強さをな。でなければお主を対等の存在として認めるわけにはいかん。これは王碗騎士隊全員の総意。俺がお主を認めればそれもまた総意となる」


 めんどうくさい――が。


 ミルディンも鞘から剣を抜く。


「やるっきゃないなら、やるしかないね」

 

 バールゼフォン・ウォッツの目が小さく見開いた。


「なんだ、その剣は……?」



 ◇



 見間違いではない。

 うっすらではあるが、ノネームが右手に持つ剣は青い火のようなものが纏わりついていた。


 剣そのものは至って普通のバスタードソードなのに、そこだけはあまりにも異常で異質で、胸がざわめくような不穏。

 

 あれは一体なんなのだ?


 バールゼフォンが言葉に窮していると、


「なんだそれはって感じだな。この〝蒼の焔〟は開花ブルームした俺の能力でね、どんな剣でも聖剣や魔剣クラスにしてしまうんだ。ああ、ちなみにこの剣は、隠遁を始める直前にどこかの武器屋で買った安物の剣さ」


 ブルーム。

 ギフト封解後、一握りの人間に起こりうる更なる奇跡。

 ただその奇跡は、これと決めた目的に一心不乱に突き進むことによって引き寄せることができるとも言われていた。


 そのブルームが起きただと?


 だとしたら、ノネームの偉業は本当なのかもしれない。

 

 ダンジョンを全て攻略するという目的。

 その目的を遂行してやるという一意専心の気持ちがあればあるいは――。


「ふん、ブルームとはな。相手にとって不足なし。最初から全力でいかせてもらう」


「そうこなくっちゃ。さっさと終わりにしよう。どうにもここは居心地が悪くてね」


 やがて訪れる無音。

 

「その胸中、剣で述懐じゅっかいし剣で収めよ――始めッ」


 黒の間に響く王の声。


 刹那、バールゼフォンは大地を蹴ると、渾身の一撃をノネームに叩きつける。

 

 重量のある大剣であってもバールゼフォンにとっては、ライトソードに等しい軽さだ。

 ゆえに、遅いはずだと侮った多くの輩が最初の一撃で両断されていったが、ノネームは違った。


 獣皇の剣が黒の間を抉る、その先に立っているノネーム。

 バックステップで避けたらしい。

 

 獣皇の剣は地面に立てれば、バールゼフォンの胸元まである。

 つまりブレイドだけで一五〇センメード。

 そこに腕の長さを足せば、二五〇センメード。


 だがノネームは、助走もせずにその攻撃範囲リーチから遠ざかるように飛んだ。


 なんという脚力。

 ギフト封解の恩恵と言えども、驚きを禁じ得ないパフォーマンス。


 ふん。

 これは楽しめそうだ。


「お、おい、お前。絶対、今の殺す気だったろ」


 ノネームが指先を向けて、バールゼフォンに声を上げる。


「しかし避けたではないか。お主を殺せる一撃ではなかったということだ」


「知ってるか? それを結果論って言うんだよ」


 グラント王から、ガーランド国と休戦協定を結ぶと聞いたのがつい先日。

 平和が訪れるのであればそれに越したことはないと、喜んだバールゼフォンだった。


 だがどこかで戦士としての血が騒ぎ、戦いを求めていたのも事実。

 戦いの場がダンジョンに移る気配を感じ取って、そのときを待ちわびてもいたのだが、今日。


 その端緒はこの場にあった。


 新たなる激動の予兆。

 

 共に狼煙のろしを上げようではないか――ノネーム。


 バールゼフォンは自分が笑っていることに今、気が付いた。 

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