第15話 二人目のあの日の少女


 このは――……。


 ぼんやりとかすみの掛かった映像が、徐々に輪郭を描きだす。

 灰色のシルエットが動き出し、最初に鮮明になったのは少女だった頃のラヴィニス。


 一転して、次に現れた二人の少女は灰色のままで分からない。

 ただ、最後に現れた黒髪の少女はラヴィニス同様に温かみのある色が乗っていて――。


 ノネームお兄ちゃん。私、精霊そーじゅつ師になるね。


 そうだ。

 あの少女の名前は確か――……。


「アイーシャ」


 目の前の聡明そうな美女の目が、小さく見開かれる。


「そうです。アイーシャですっ。ああ、嬉しい。名前も憶えていてくださったなんて」


 両手を合わせて、片足をチョンと上げるアイーシャ。

 なかなか可愛らしい仕草である。

 とりあえず、病んでいる感じではないのでほっとした。


 それにしても、アイーシャと気づくことができて良かった。

 同時に、顔を見ても名前を聞いても気づくことのできなかったラヴィニスに罪悪感を抱いてしまう。

 

 事前情報が全くなかったからという逃げ道はあるが。


「ああ。ただ、記憶の引き出しの奥底からなんとか見つけたって感じだが」


「それでも嬉しいです。だってわたくし達が一緒にいたのは一一年も前の、たった五日間だけだったのですから。でもわたくしにとっては違いますよ。ノネームお兄ちゃんはあの日からずっとここにいました」


 右手を胸に持っていくアイーシャ。

 年齢と共に立派に成長したそこからミルディンは目を逸らすと、


「そうか。なんかすまなかったな。ラヴィニスに聞いたよ。その……俺に会いたがっているって。いや、でも会いにきてやっただなんてそんな尊大な気持ちは一切ないからな」


「そんなことは分かっています。ノネームお兄ちゃん……」


 アイーシャがゆっくりと近づいてくる。

 その、やや潤った瞳にミルディンを映したまま。

 もうそろそろ止まるだろうと思ったが、彼女は三十センメード(※センチメートル)のところまで迫ってきた。


 近すぎだろ。


 ふと、鼻先をかすめる甘い香り。

 

 これはアイーシャが付けている香料か。

 あるいは湯浴みの際に使っている石鹸の匂いか。

 それとも、アイーシャ本人から漂う魅惑の香だろうか。


 ミルディンは、自分の体臭がアイーシャに不快感を与えていないことを祈りながら、彼女の次の言葉を待つ。


 アイーシャがミルディンの手を取り、自分の胸の方へ寄せていく。

 

 少し触れてしまったが、俺の意思じゃないからね。


「一一年前のあの日、わたくしを、わたくし達を助けていただきありがとうございました。おかげで今の自分がいます。精霊操術師となったわたくしが。そして今、感謝の言葉を伝えると共に約束も果たすことができました」


 約束?

 約束……。

 やばい。すっかり忘れてる。


「えっと、悪いっ。その約束ってなんだっけ?」


 ミルディンは自然な形で手を下ろした。


「わたくしが精霊操術師になったらノネームお兄ちゃんが力量を図ってくれるっていう約束です。ちなみに姿を隠したままで挑んだのは、わたくしであることをノネームお兄ちゃんが知ったら、手心を加えると思ったからです。――どうでしたか? わたくしの精霊操術は」


 そう言われて、記憶の断片が蘇ってくる。

 あの日、虫や花に話しかけていたアイーシャをミルディンは何度か見ていた。

 精霊との対話に通じるものを感じ取ったミルディンは、彼女に精霊の知識をたくさん与えた。


 それがきっかけだったのだろう。

 アイーシャは、ダンジョンから生きて出られたら精霊操術師になりたいと言った。

 その流れで確かに彼女は口にしていたのだ。


「すごかったよ。一人で十数体の人外兵を操るなんて生半可な鍛錬ではできない。がんばったんだな、あれから」


「はい。鍛錬はたくさんしました。一日の半分を精霊との対話に費やしていましたから。ただ、〝ギフト封解ふうかい〟によるものも大きいと思います。そのおかげで精霊さんとはより一層仲良しになれて、召喚もスムーズに行えるようになりましたから」


「確かにな。火の精霊、序列二位のイフリートをいとも簡単に召喚したから驚いたのなんのって。……聞きたいんだが、業火の咆哮をもし俺が打ち消せなかったらどうしていたんだ?」


「打ち消せないわけがないですよ。だってノネームお兄ちゃんなのですから。だから全力でいかせていただきました。わたくしの完敗です」


 全力というのは多分、違うだろう。

 全能神ゾショネルから贈られたギフトの封解。

 それは本来、数十パーセントは埋もれたままである潜在能力を、全て引き出せることを意味する。


 どうやらアイーシャはとんでもない精霊操術師に育ったようだ。

 もしも今度戦ったとき、手加減しようものなら死ぬのはこっちかもしれない。

 

 というより、さっきの戦いだって下手したらこの体はこの世にはない。

 ある意味、力量を図られていたのはミルディンだったわけだ。


 ミルディンはそっとアイーシャから距離を取る。


「精霊操術師ってことは、師団に属しているんだよな。そこでもう一度聞くが、デネブはまだ師団長をやっているのか?」


「ええ、やってますよ。……あの、さっきも聞いてましたが、ノネームお兄ちゃんはデネブ師団長とはお知り合いなのですか?」


「まあ、そんな感じだな」


 実際のところは、ミルディンが子供の頃の〝悪い友達〟であったのだが。


「そうなのですか。もしかしてノネームお兄ちゃんは王都ノルンが生まれなのでしょうか?」


 そのとき、劇場横の植栽の裏側から馬の蹄の音が聞こえた。

 間違いない。

 ミルディンのいる、ここに向かっている。


「誰か来たようだな」


「王腕騎士隊かもしれません。ノネームお兄ちゃんを出迎えにいったものの、誰もいなくて探し回っているのでしょう。これって間違いなくわたくしのせいですね。わたくしとしたことが、早くノネームお兄ちゃんに会いたくてとんでもないことをしてしまいました。ちゃんと説明したほうがいいですね」


 アイーシャの面持ちから緊張が見てとれた。


 王腕騎士隊、か。


「いや、アイーシャはここから去ってくれ。もしかしたら、ちょっとめんどうくさいことになるかもしれん」


「で、でも、わたくしが悪いのですから……。それに壊れた人外兵もそこら中にありますし……」


「大丈夫だ。うまく説明する。だから行ってくれ」


「……わかりました。ありがとうございます。あの、また会えますよね?」


「ああ。もう勝手にいなくなったりはしないよ」


「はいっ。もしも次、何も言わずにいなくなったら今度こそ燃やしますからね」


「お、おう」


 ちょっぴり怖い顔をしたアイーシャが宙に浮かび上がったかと思うと、鳥になって空を飛んでいった。

 

 あやかしの精霊って便利だな、とミルディンは思った。

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