第12話 離れたくない
「ノネームお兄ちゃん、だったのですね」
夢見心地のような感覚のまま、ラヴィニスは呟いた。
戦いの喧噪が去り、静まり返っていた場にその声はやたらと響いた。
覆面を取った剣聖さんがラヴィニスを訝るように見ている。
すると、その瞳がみるみる内に大きくなり、
「ノ、ノネーム、お兄ちゃん……? ……ん? ……えっ? おいおい、うそだろ。も、もしかしてあのとき、えっと、悪鬼羅刹のダンジョンだっけ? で助けた少女、なのか……?」
「はい。――そうです」
ああ、やっぱりこの人はノネームお兄ちゃんだったのだ。
そういえばこんな声をしていた。
覆面を付けていたとはいえ、今更気づいたことに罪悪感すら覚える。
「そ、そうだったのか……。ぜんぜん気づかなかった。俺みたいに顔を隠しているわけでもないのにな。でもまぁ、それもそうだよな。あのときのか弱い少女が騎士団長でしかもこんなに綺麗になっちゃ分かるわけもないか」
ラヴィニスの中に込み上がる感情。
今にも栓が抜けたように暴発しそうだ。
それでもなんとか理性で押さえつけているのは、銀狼騎士団団長という立場ゆえだ。
「ずっと、あなたに会いたかった。会ってあのときのお礼を言いたかった。だから今、言わせてください。ノネームお兄ちゃん。私のことを救っていただき、ありがとうございました」
「お、おう。立派に育ったようでなによりだ」
「はい。あのとき、あなたは時間を見つけては私に剣を教えてくれました。あなたにとっては、気持ちが沈まないためのコミュニケーションの一環だったのかもしれませんが、私にとってはあれが転機でした。あの日以来、剣の道で生きていこうと決め、今に至ります」
あの五日間は正に悪夢だったが、それでも妙な充実感をずっと覚えていた。
普通に生きていては絶対に縁のないことを体験しっぱしだったからだと思う。
ノネームお兄ちゃんに剣を教えてもらったのもその一つだった。
「そうか。あれでラヴィニスの進む道が決まってしまったのか。それはなんというか……恨んでない?」
「まさか。恨むどころか感謝しています。私の進む道を照らしてくれて。そして、絶対に無理ですが、今ではあなたのようになりたいとも思っています。だからノネームお兄ちゃんは人生の師匠です」
ノネームお兄ちゃんがのけぞる。
「師匠とかはよせ。そういうキャラじゃないから。あと、〝お兄ちゃん〟もな。もう俺、三五のおっさんだし」
あのときのノネームお兄ちゃんが二四歳だったことを知るラヴィニス。
当時は若さと活力に溢れるイケメンといった感じだったが、今は大人の色気と渋さを兼ね備えたイケオジといった風体だ。
自分も歳を重ねたからかもしれないが、個人的には今のほうが素敵だと思っている。
このノネームお兄ちゃんを両親に紹介したらなんて言うだろう。
おじさん過ぎると不賛成を示すだろうか。
でもうちの両親だって歳が一〇離れているのだから、文句は言えないはずだ。
例え言われたとしても私は――……
「? おい、どうした?」
「えっ? い、いえ、なんでも……」
私ったら、何を……っ。
「ノ、ノネームお兄ちゃんはノネームお兄ちゃんですし、今更そこを変えることはできませんっ」
「そ、そうなの?」
「はい。それと師匠の件ですが、ほかの三人もそう思っていますから」
「ほかのって……ああ、あの三人かぁ。思い出してきた」
「あなたは、あの三人にも私のように進むべき道を提示してくれました。魔法を教示し、精霊との対話を
「へぇ、そうなのか」
この流れはずるいのだと思う。
しかし、ここでラヴィニスとノネームお兄ちゃんがお互いを認識したのは、とても偶然とは思えなかった。
これは運命なのだ。
ラヴィニスはそう、信じたかった。
「ノネームお兄ちゃん。皆、あなたに会いたがっています。皆、長い間、お礼を言えずに悶々としたものを抱いています。誰か一人くらい病んでいるかもしれません。だから――」
私はまだこの人と一緒にいたい。
「私と一緒に王都に来てくれませんか?」
ノネームお兄ちゃんが眉毛をピクリと動かす。
腕を組み、一つ大きく息を吐くと、
「や、病んでるのか。それはまずいな」
限りなく嘘に近い憶測が功を奏しているようだ。
しかも〝病んでいるかもしれない〟が〝病んでいる〟に変わっている。
罪悪感はあるがこの際、気にしてはいられない。
「お願いします。ノネームお兄ちゃん。彼女達に、あなたに感謝を伝える機会をお与えてください。一一年という長きに及ぶ心の障壁をどうか、取り除いてやってください。でなければ、彼女達は本当の意味で前に進むことができません。だからお願いします」
ラヴィニスは腰を九〇度曲げて、お辞儀をした。
何も大げさなことは言っていない。
事実、ラヴィニスがそうだったのだから。
「うぅん。どうすっかなぁ。そこまで言うなら彼女達のために行ってもいいかなって思ってるんだけど……」
「で、では――」
ラヴィニスは顔を上げた。
ノネームお兄ちゃんが制止するように手を前に出す。
「待て待て、でも行ったら王に会うことになるんだろ? そこがなぁ……」
「失礼ですが、なぜそこまでグラント王とお会いすることに難色を示されるのですか? 王とノネームお兄ちゃんの間には何か過去にその……いえ、なんでもありません」
危なかった。
その過去を知るというのは、グラント王の過去を詮索したのと同義。
ラヴィニスが踏み込んでいい領域ではない。
なら、どうしたらいい?
どうしたらノネームお兄ちゃんは一緒に来てくれるのだろう。
「ふ、覆面の剣聖っ。いや、ノネームおにぃ……いや、違うっ、ノネームとやらっ」
ガストンだ。
後頭部を地面に叩きつけられていたが、どうやら怒鳴り声をあげられるほどには元気なようだ。
「お前が王都に来なければ、ラヴィニス団長は職責を全うしなかった責任を取ることとなる。刑罰もあるかもしれん。過去、お前とラヴィニス団長との間になにがあったか知りたくもないが、それらの刑はお前も望むところではないだろう。だから来い。つべこべ言わずに来いっ。ラヴィニス団長のためにっ!」
「おいおい、それはずるいってもんだろ。……でも、俺が意地張ってラヴィニスが鞭打ちの刑にでもなったら目覚めが悪いどころじゃ済まんしなぁ」
頬をぽりぽりと掻くノネームお兄ちゃん。
「はい。もしかしたら水責め椅子の刑もあるかもしれません」
ガストンの思わぬ支援にラヴィニスは乗る。
もちろん、寛容で慈悲深いグラント王はそのような刑に処することはない。
が、嘘も方便という言葉もある。
さきほどの、限りなく嘘に近い方便同様に問題は……ない。
あとで嘘とばれてノネームお兄ちゃんにお尻を叩かれようとも、一緒に来てくれさえすればそれでいい。
ノネームお兄ちゃんがリザリクという名のエルフを見遣る。
美しきエルフはにこやかに笑うと、
「あなたの人生です。ご随意に」
それが決めてとなった。
「……ふう。分かった。行くよ。ただ、王に会うためではなく、あの子達に会うためだ。これでいいだろ、ラヴィニス」
「はいっ。ノネームお兄ちゃん」
ラヴィニスはやったっ! と内心で快哉を叫んだ。
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