第4話 名前が知りたくて


 ところでなぜ、覆面なのだろうか。


 さらに言えば、この覆面の男は防具の類を一切、身に着けていない。

 上下共に灰色の服で、まるで寝具のようだ。

 靴に至っては草履であり、とてもダンジョンに潜るような恰好には見えなかった。


 背中には剣の収められた鞘。

 色褪せた感じから年代物と思いきや、なんの変哲もない片手剣のようだ。


 一見して、強そうには見えない。

 しかしこの覆面の男が、現世に受肉した串刺し王ヒュラ・ドの首を刎ねて倒したのは事実なのだ。

 

 一体、この覆面の男は何者なのだ?

 覆面といえば覆面の剣聖が真っ先に出てくるが――。


「でもこいつ、このダンジョンのボスだったっけな? もっとクラスが上のダンジョンだったような気がしたが。ま、いっか……ところで」


 覆面の男がラヴィニスに見向く。


「あんたは誰だ?」


 こちらが聞きたいっ。


 どこの馬の骨かも分からぬ者に名を名乗りたくはない。

 ――が、窮地を救ってもらったのは事実。

 自分から素性を明かすのが礼儀というものだろう。そして感謝の言葉も。

 

「わ、私は銀狼騎士団で団長を務めているラヴィニス・ハミルトンと言います。さきほどは危ないところを助けていただいて感謝いたします」


 ラヴィニスは頭を下げる。


「ラヴィニス?」


「はい。そうですが、何か……?」


「どこかで……いや、なんでもない。ほう、あの銀狼騎士団の団長さんねぇ。そういば銀狼騎士団は女性しか団長になれなかったか。にしたって団長だ。強いんだろうね」


 ――強い。

 言葉通り受け取れるわけもない。

 この覆面の男が難なく倒したヒュラ・ドに、手も足もでなかったのだから。


 ラヴィニスは一つ咳払いをしたのち、


「つきましては後日、銀狼騎士団からの最大限の感謝の印として、あなたを王都ノルンのサンジュメール城にお招きして――」


「あー、いいっていいって。そういう煩わしいの。あんたが感謝の言葉を述べて頭を下げた。それでいい」


 ぶんぶんと手を振って、全力で拒否する覆面の男。

 本当に嫌そうだ。

 

 社交的な人間ではないのかもしれない。

 だから覆面で顔まで隠しているのだろうか。


「で、その銀狼騎士団の団長さんがこんなところで何を? って、あれか。鍛錬。騎士団の団長さんだもんなぁ。常日頃からモンスターと戦って己を磨き、昨日の自分を超えていく。いいねぇ、そういう姿勢。うんうん、素晴らしい」


 勘違いしている覆面の男。

 訂正しても良かったが、止めておいた。

 そんなことより聞きたいことがあったから。


 ところで何か忘れているような気がする。


 それが何か思い出しそうなラヴィニスだったが、覆面の男が壁のほうに歩いていくので、一旦思考を中断する。


「あ、あのっ、名前を、名前を聞いておりません。命の恩人の名前を知らぬなどあってはならぬこと。だから教えていただきたい。あなたの名前を」


「な、名前かぁ。名前、名前……う~ん」


 頭をポリポリ掻いて、何やら逡巡している覆面の男。

 すると覆面の男は悩んだあげくにこう言った。


「俺の名前はフックメンだ」


 絶対ウソだと思った。


「ウソですよね? 覆面付けてるからフックメンとか安易過ぎだと思います」


「ウ、ウソじゃないってっ。本当に俺の名前はフクメーンなんだ」


「フクメーン? さきはフックメンと仰ってましたが?」


「あ、あれ、そうだっけ。まあ、どっちでもいいや。好きなほうを選んでくれ。それが俺の名前だ」


 ラヴィニスが選んだほうが覆面の男の名前となる。

 そんな適当な話があるだろうか。


 ただ、名前を教えたくないということは分かった。

 無理に聞くのも失礼にあたるだろう。

 覆面といい偽名といい、どうやら相当、個人情報の漏洩に気を使っているようだ。

 

 もしかして何か大罪を犯した犯罪者なのだろうか。

 若干の警戒心を抱きながら、ラヴィニスはフックメンさん(に決めた)に聞く。


「フックメンさんは、ここへは何をしに来たのですか? 私のように映像配――鍛錬といった感じではないですが」


「ああ、俺は料理に使うメタリナの花を摘みに来たんだよ。記憶が確かなら、このダンジョンのボスの領域にあった気がしたんだが――お、あった、あった」


 と嬉しそうに、壁際に咲いている赤い色の花を摘んでいくフックメンさん。


「あの、気を悪くしたら申し訳ないのですが、メタリナの花でしたらダンジョンの入口脇にも咲いてらっしゃいましたよ」


「なにぃぃぃっ!? 本当かっ?」


「ええ。それもたくさん」


「マジかよ。俺は一体、何をしにこんなところまで……。ま、いっか。あんたを助けることもできたしな。さてと、これくらいでいいかな。じゃ、お先に」


 フックメンさんが大量のメタリナの花を持ってダンジョンから出ようとする。


「ち、ちょっと待ってください。私も一緒に行きますっ」


「動くなっ」


 突然、フックメンさんの怒号がラヴィニスに飛んでくる。

 一緒に行くのが、そんなにも彼の堪忍袋を刺激したのだろうか。


 ……いや、違う。


 境界の門にはまだ魔法障壁があった。

 転移門もどこにもない。

 

 つまり、


 こちらを見ているフックメンさんの視界には、ヒュラ・ドが立っているのが視認できているに違いない。

 

 体が勝手に震えはじめる。

 思い出してしまったのだ。

 あの、無力な自分を引きずりこむような絶望の大波を。


 だめだ。

 震えが止まらない。


「おい――っ」


 立っていられなくなったラヴィニスは、その場にしゃがみ込む。

 

 刹那、フックメンさんが動いたのが見えた。

 ラヴィニスの視界が激しくぶれる。

 

 地面を転がっていると気づいた。

 フックメンさんが自分の体を抱きしめていることも。


「ぁ……」


 彼はすぐに立ち上がると、背中を向けた。

 鞘から剣を抜き、ラヴィニスの目の前に降ろす。


 その剣はやはり普通の剣だ。

 武器屋で誰でも買える、両手、片手持ち両用のバスタードソード。


 だが、その普通を覆す光景がその剣には纏わりついていた。


 金色の火が剣そのものから湯気のように発生していたのだ。

 

 なんだ、この剣は?


「ちょいと荒々しい助け方をしてしまったが、悪いな」


「え? いえ……」


 助けた?

 私がしゃがみこんだとき、攻撃をされたのだろうか。

 それをフックメンさんが、走ってきて助けてくれた――。


 ラヴィニスは、さきまで自分がいた場所を見る。

 地面が抉れていて、それは壁まで続いていた。

 串刺し王ヒュラ・ドがやったのだ。

 

 その災厄レベルのモンスターは今、フックメンさんと対峙するように立ってる。

 いつの間にか、なくなっていた首が元の場所に鎮座していた。

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