あの日のきみと瓶ラムネで乾杯

維櫻京奈

乾杯

彼女はドレッサーの前で、伸びた髪を無造作に後ろで一つに結った。

梅雨入りが宣言された翌日。その日は休日だった。

事務の仕事は楽なようで決してそうではない。

折衝というものに徹するのが彼女の仕事。それの何が楽なものか。

普段の休日の過ごし方を一言でいうとダラダラが一番しっくりくる。

時刻は9時半。

休みの日は昼ごろまでベッドの上で寝転がる。それが彼女にとっての至福であり、休日の過ごし方だった。

唇に丁寧に紅を差し、ファンデーションを薄く塗った。

彼女は、鏡の前にいる自分に向かって「いいじゃないか」と小さくつぶやいた。

部屋の電気を消し、傘を持って家を出た。

途端、じわりとした暑さがじっとりと肌に伝わる。外は小雨がちらついていた。

これくらいなら避けれるな。とか中学時代には思ったがもう無理だろう。

いや、もちろん中学時代にも避けれた試しは一度もないが。

なんてことを思いながら、彼女は傘を差し町へと繰り出した。


別に特別な場所に行くわけではない。彼女が目指したのは、最寄りのスーパーマーケットだ。

今の時代。ネットスーパーで買った方が、安くつく場合も多い。

それでも、彼女はそこで迷いなく瓶ラムネを2本購入した。

316円をレジで支払い、颯爽とスーパーマーケットをあとにする。

彼女は来た道を戻るわけではなく、来た道とは逆の方へと歩いた。

しばらく行くと、住宅街からひらけた場所へと出る。閑散とした田園が広がっている。

ちらほらと、家が建っている。明らかに元は田んぼだった場所に。

彼女にとっては、通学路だったその場所が変わっていくのを肌で感じていた。

もの悲しくなるなぁと彼女は思いながら、かえるの死骸やぺしゃんこになったタニシをかわしながら畦道とも道路ともつかない道を進んだ。

そして、小さな祠の前で足を止めた。

ここも変わった場所の一つ。ある程度立派だった神社も住宅街を一望できる小山ももうどこにもない。

ラムネを買った駄菓子屋も、とうの昔に小綺麗な新居へと姿を変えている。

残ったのは小さな祠一つ。

このくらいの雨なら、と傘を閉じ財布から十円玉を取り出して、祠の前の瓶にそっと入れた。

きれいに腰を折って、その祠を拝んだ。

感傷に浸るとはこれのことだろうかと思考を巡らせるが、そんなものは百万とした。と彼女は自分に言い聞かせる。

先ほど買った瓶ラムネを取り出す。

「あ、お前は炭酸なしね」

瓶ラムネをこれでもかと振ってから瓶の外ラベルを取って、栓替わりになっているビー玉をグッと中へと押し込んだ。

途端、ジュっと炭酸が吹きあがって、宙に向かい弧を描いた。

「おー。これはちょっとおもしろいかも。まぁ、私は炭酸好きだからやらないけどね」

彼女はもう一本の瓶ラムネも開けて、口をつけた。

「また梅雨が来たよ。シズク」

ラムネをぐっと飲みほすと、彼女は再び傘を差して、自宅へと歩き出した。


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あの日のきみと瓶ラムネで乾杯 維櫻京奈 @_isakura_

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