黒手苗さんと子猫と僕と
清水裕
黒手苗さんと僕と子猫
今、帰宅帰りだった僕の目の前には段ボールがあった。
開けられた段ボールに近づき中を見る。……空じゃなかった。
何も敷かれていないザラザラとした段ボールの中にはもぞもぞと動いているなにか。
『『『みぃ……、みゃー……』』』
耳をすませて聞こえたのは、猫のような小さい鳴き声。いや、猫の鳴き声だ。
そこでようやく段ボールの中に居るのは3匹の子猫だと理解する。
しかも、多分だけど……産まれたばかりの子猫だ。
理由は白だと思う毛並みをした子猫に透明な赤色の液体がベタッとついてて若干ピンクのようにか、それとも血がついているように見えるからだ。
そんな見た目を僕はばっちいと感じてしまったと同時に、捨てた人がいないかと思いつつ周囲を見渡す。
でも周囲には捨てた人物と思われる人の姿なんて見えない。きっと僕がここに来るタッチの差で居なくなったに違いない。
「どうしたらいいんだよ……」
猫なんて一度も飼ったこともない。というか、生物なんて祭りの金魚すくいで手に入れた赤色の金魚を1週間ほど飼ったぐらいだ。……ちなみに3年間ほど。
それに捨て猫を拾う度胸もないし、世話をするイメージもまったく浮かんでこない。
けど、段ボールの中を見てしまったから、このまま見なかったことにして立ち去るなんてことが出来ない。
そんな自分にヤキモキしつつ空を見上げると、徐々に茜色の空に移り替わろうとする空の奥に灰がかった雲が視界の先に見えた。
これは……あと少ししたら雨が降ると思う。
見えた灰色の雲にそんな可能性を抱きながら、もう一度段ボールの中にいる子猫を見る。
『『『みゃ……、にぃ……』』』
ピンク色、黒色、黒色とピンク色の子猫が弱弱しく鳴きながら、もぞもぞと温もりを求めているのか他の2匹に重なるように体を動かしている。
そして産まれながらの本能からか僕が居るのを感じているみたいで、周囲を見るように顔を動かしているけれど子猫の目はまだ開いておらず閉じられていた。
「このまま、放っておいたら死ぬ……よね?」
見つけてしまった小さな命を無視することなんてできない。だけど、心配だからって家に連れ帰ることなんて出来ない。
だから、どうせ死ぬんだし放っておいて家に帰ろう。そんな誘惑が聞こえた気がした。
それでも放っておくことなんて出来ない。
そんな葛藤を抱いてると……隣から声がした。
「飼うの?」
「え?」
隣を向くと艶やかな長い黒髪をした美少女が表情を一切変えずに立っており、ジッと紫がかった瞳で僕を見ていたけど……視線に気づいたと理解したのか段ボールへと首を動かした。
僕は彼女のことを……知っている。というよりも、学校で知らない人のほうが少ない。
「く、黒手苗さん……?」
「子猫、飼うの? 飼わないの?」
彼女は僕が通っている学校ではトップクラスの有名人だ。
誰もが振り向くほどの整った顔立ちに、スレンダーで凛とした佇まいをした和風美人。
それだけでなく、定期的に行われる学力テストではいつもトップの成績を維持しており、部活動の大会では助っ人に入って勝利を収めているというとんでもない万能というまさに文武両道を人間という器に押し込めたような完璧すぎる美少女だった。
けれど、そんな彼女にも欠点はある。
それはまったくと言って良いほどに変化の乏しいどころか、変化がまったくない無表情であることと感情がないのではないかと感じてしまうような淡々とした喋りかた。
そして頼まれれば手伝いはするけれど、周りと同じように白熱するどころか……手伝っていることにもまったく興味を示さない性格。
初めは大会で好成績を取ったり、チームを勝利に導いた彼女に周囲は感謝したけれど、そんな態度だったために心から感謝されるということは無くなってしまっていた。
だけどそんな周囲の態度にも興味を示さない。
結果、彼女についた呼び名は『心なき日本人形』というものだった。
そんな彼女が今、僕の隣に立っている。
「え、な……」
「子猫、飼うの? 飼わないの?」
「それ、は……」
もう一度、彼女は訊ねてきた。
視線をもう一度子猫じゃなくて、僕に向けて。
紫色に見える黒い瞳が……まるで僕がこの場から逃げるというのを、わかっているとでも言うように鋭く見つめ、僕は言葉が出ない。
『『『……みぃ、……にぃ』』』
さっきよりも何だか弱弱しい子猫の鳴き声が耳に届き、少し遠くからはゴロゴロと雷のような音。
きっともうすぐ雨が降って、明日になったらこの子猫たちは……死んでいるに違いない。
いや、もしかしたら僕たちがここから離れたら……すぐにカラスやトンビがやってきて、エサにするかも知れない。
「子猫……飼うの? 飼わないの?」
もう一度、黒手苗さんが問いかけてきた。
けど、そのとき、僕は気づいた。黒手苗さんの瞳が不安そうに揺れていることに。
――彼女にも、感情って……あったんだ。
そんな風にちょっとだけ驚きつつ、その言葉に煽てられるように家で飼えるなんて……軽々しく言えないけど言ってしまった。
「飼うかどうか、わかんない……。け、けど、今日は連れ帰って保護……してみる」
「……わかった。いっしょに行く」
「え、えぇ!? な、なんでっ!?」
「子猫たちが、心配だから」
子猫が入った段ボールごと持ちあげ、黒手苗さんに言うと彼女は僕を見ながら淡々と返事をした。
彼女いない歴=年齢の僕は突然の言葉に戸惑ったけれど、黒手苗さんは帰る気がないようだ。
このまま追い返すとか無理だろうし、連れて行くしかない。そんな風に思いながら僕は黒手苗さんを家に連れて行くことにした。
……こうして、僕と黒手苗さんとの関係ははじまった。
●
子猫たちを拾ってから、少し時間が流れた。
保護してみると言った手前、僕は3匹の子猫の世話を行うことにしたのだが、これがまた難しかった。
だけど黒手苗さんに言った手前、簡単に諦めることなんて出来ず……ネットの情報を頼りに四苦八苦しながらも、なんとか3匹を動物病院に連れて行ったり、安心して住める環境を整えたりと世話をしたお陰で弱弱しかった姿が嘘のように元気になってくれた。
そして、今日も3匹は……。
『みゃあ』
「にゃあ」
『にゃー』
「みゃあ」
『なぁ』
「にゃ」
部屋のベッドに白子猫のハクが自分のにおいを擦り付けるようにゴロゴロと伸ばした体をグルグル転がし、黒子猫のコクがそんなハクに構ってくれというように腕を伸ばして猫じゃらしのような尻尾を攻撃している。
2匹の兄弟を離れた位置から見ながら、呆れたように白黒子猫のブチが鳴く。
そんな子猫たちの様子をベッドの縁に肘をかけながらジッと見つつ、時折相槌を打っている膝立ちの黒手苗さん。
「えっと、黒手苗さん……楽しい?」
「すごく、たのしい」
「そ、そうなんだ。よかったね」
表情も変えずにジッと子猫たちを見ている黒手苗さんに尋ねると、視線を変えないまますぐに返事が来た。
そんな彼女の後姿を見ながら、黒手苗さんが部屋にいる理由を思い返す。
「子猫たちが元気になるのを、一緒に見たい」
そう言って家に連れて行った3匹の子猫のことが心配だったのか、彼女は半ば強引に僕の家にほぼ毎日来るようになった。
学校では周囲に興味がないからか、まったく誰とも声をかけて来ない彼女だけど……学校から帰って夕方ごろになると何時ものように家にやってきて夜になるまで、何もしないままジッと部屋で子猫たちを見ている。
楽しいのか分からないけど……、彼女は楽しいみたいだから何も言えない。
「というか、その、黒手苗さん、ずっと男の部屋に入り浸ってるけど……ご両親は何も言ってこない? それに、黒手苗さんはイヤじゃないの?」
「別に嫌じゃない。両親のことは気にしないで」
「で、でも、今も言ったけど、僕だって男なんだよ? く、黒手苗さんって美人だし、万が一のこととか、その……襲ったりなんかされたら――「君は、私を襲う?」――し、しません」
「だったら問題ない」
子猫たちから視線を変え、こっちを振り返った彼女はジッと僕を見つめてきて、何も言えなかった。
というかもしかして黒手苗さんって、危機管理能力……低い? それとも僕が男って認識されていない?
『ふしゃー!!』
『にゃ、にゃあ!?』
「にゃあ、にゃあ、ダメだよケンカしちゃ。ハクは落ち着いて、コクは謝って」
男としての自信が何となく失いかけていたとき、いつまでも尻尾を攻撃されていたハクがついに怒ってしまい、コクと喧嘩を始めた。
子猫同士の喧嘩だけど、危ないものは危ない。
そんな2匹を宥めるべく、黒手苗さんがベッドで絡み合う2匹へと体を伸ばす。
「っっ!!」
瞬間、僕は慌てて顔を別方向に曲げた。……だって、黒手苗さんが体を伸ばしたときにスカートも動き、その隙間からパンツがちらっと見えた。
きっと指摘したら見られていても構わないとか、言うかも知れないけど……僕のほうが恥ずかしかった。
だというのに頭の中からチラリと見えた白色が離れない。
「にゃあ、にゃぁ。なでなで、どうかした?」
「あ、う、うぅん、その……な、何でもない。な、なんでも……」
「そう? ハクも、コクも、仲良し。ブチも来る?」
『にゃ~ん』
楽しそうなブチの鳴き声が聞こえ、チラリと振り返ってベッドを見ると黒手苗さんがベッドに座って、子猫たちを膝の上に乗せていた。
黒手苗さんの膝の上は心地よいのか、安心しきった様子で3匹は暴れることなく丸まっていて、黒手苗さんは子猫たちをジッと見ていた。
……けど、その表情は何時もと同じ無表情のはずなのに、僕には黒手苗さんが子猫たちを見ながら、優しく微笑んでるように見えた。
その晩、ベッドに寝るとちょっとだけ甘い匂いがしたけど、3匹のにおい……だよな?
それとも、黒手苗さんのにおい……?
●
それからまた時間が経ち、季節が数回ほど変わり僕も黒手苗さんも進級した。
3匹の子猫は病気になることもなく立派な成猫となり、僕の部屋だけでなく家の中を優雅に歩き回るようになっていた。
しかも、ハクもコクもブチも猫にしては行儀がよくて、家の中を駆け回ることや調理中に近づいてくるような危険な行動もしないため両親にも好かれて、立派な家猫になっていた。
そして……ほぼ毎日やって来る黒手苗さんのことも、気づけば両親は迎え入れていた。
というか母さんなんて彼女が居ないときには「もっと積極的にアピールしなさい」とか行ってくる始末だ。
そんな黒手苗さんはいつものように今日も僕の家に訪れ、部屋に来ていた。
『にゃ~』
「ブチ、今日もいい毛並み。なでなで」
『にゃあん』
『うにゃぁん』
「ハクもコクも撫でてほしい? 待ってて」
黒手苗さん専用のクッションに座った彼女の膝上で撫でられているブチは気持ちよさそうにゴロゴロ喉を鳴らし、自分たちも撫でろと催促するようにハクとコクも黒手苗さんに体を擦り付ける。
ある程度ブチを撫でると今度はハク、そしてコクを膝の上に乗せて撫でるのを移していく。
それを見ながら僕は最近の話題を口にする。
「そういえば、そろそろ進路を決めないといけないけど黒手苗さんはどうするの? 進学? それとも就職? 黒手苗さんは猫が好きみたいだし、獣医さんとか目指す?」
「無理。卒業したら、私は結婚させられる」
「え?」
何の気なしに聞いた質問。予想外の返事に僕は固まる。
え、けっこ、ん? え? え?
頭のなかで黒手苗さんが言った言葉がグルグルと駆けめぐる。
けっこん、血痕、ケッコン、けつ……け、っこん。
「結婚!?」
『『『ふしゃーーっ!!』』』
頭が黒手苗さんの言った言葉をようやく認識し、驚いて叫ぶとまったりしていた3匹が尻尾をピンと立てながら怒る。
そんな3匹に謝っていると、黒手苗さんが話しはじめた。
「すこし前から決まってた。私は父が選んだ婚約者と結婚するって」
「それって、どういう……あ、いや、話したくなかったら良いんだけど」
「別にいい。聞いて。……君には聞いてほしい」
そう言って黒手苗さんが今まで聞くことがなかった彼女の家のことを話しはじめた。
彼女の父親はこの地方で有名な会社の上役で、家は裕福らしい。
けれど裕福であるけれど、両親は互いに愛情なんて持っていない……利害が一致して子供を産んだだけの冷めきった関係だということ。
父親は黒手苗さんに愛情なんてものを向けず、ただただ自分の出世のための道具として利用しているということ。
そのために本当に幼い頃から彼女に優秀な家庭教師をつけて勉強をさせ続けたのだそうだ。
「父は100点しか認めない。ひとつでも間違えたら、夜中まで勉強。スポーツも同じ」
「お、おかあさんは……?」
「母は私に関心なんて無いから、見ていない。見る気もない。だからこうして夜遅くまでここに居ても、何も言われない」
誰もが黒手苗さんが優秀だと言ってたけど、それは彼女の努力の結果だった。
しかも自分から進んで行った努力じゃなくて、父親に押し付けられた半ば強制的にさせられた努力。
その結果、勉強もスポーツも出来るようになった黒手苗さんだけど、代償として色んな感情も表情も奪われた。
けれどそんな父親の押し付けた努力の甲斐があって去年、彼女の父親が勤めている会社の社長の耳に黒手苗さんの噂が届いたらしい。
社長から話しかけられて待っていましたと言わんばかりに彼女の父親は意気揚々と娘の優秀さと、社長の息子の素晴らしさをよいしょよいしょしたという。
結果、気を良くした社長が息子の嫁として自分の家に嫁がせる提案をすると、彼女の父親は黒手苗さんの同意なく勝手に婚約者としたのだそうだ。
そこだけならまだ昔ながらの政略結婚とか思うだろうけど、最悪なことに社長の息子は見た目は良いのだが……、性格にかなり難ありだった。
少し前のことを思い出すように遠くを見ながら黒手苗さんが言う。
「父に連れられて初めてその人に会ったときに彼は「写真で見た通り、顔だけは綺麗だな」と言っていたわ。しかも、親が離れて2人でいるときには「俺って他に気に入ってる子がいっぱい居るから、あんたはお飾りの妻になるけど良いよな?」ってニヤニヤ笑いながら言ったわ。それ以降は用事があるとか、何らかの理由をつけて向こうから私に会うのを断ってきていたわ」
「そのこと、お父さんには……」
「もちろん言ったわ。けど、あの人は私なんて見ていない。自分の地位に興味があるだけ。
だから、父は冷たく「お飾りでも良いだろ。お前の結婚で私は社長と身内になれる。そうすれば会社内での地位が確立できるのだから、お前の都合など知ったことか」って言われたわ」
「なんだよそれ……。黒手苗さんの意思なんて、無視ってこと?」
「ええ、あの人たちにとって私は高価で価値のあるお人形だもの。決して捨てられることがない、ショーケースに飾られただけの高価な人形」
何時ものように淡々と語り表情を変えない黒手苗さんだけど本当は悲しいし、愛してくれない相手となんて結婚したくないと思う。
けど、けど、僕に何か言えるのか? これは黒手苗さんの家の問題だから、ただの友達である僕には何も言えない。
でも、それでも……。
「父にそう言われた次の日、少し家に帰りたくないと思ってた。そうしたら帰り道に見つけた」
「え」
何を。そう言おうとしたら、彼女はジッと僕を見てきた。
その眼差しに、あのとき段ボールを見ていたときを思い出す。
「段ボールに捨てられていた子猫たち。なんだか自分に似てる気がした」
『にゃあ』『うにゃ~』『ゴロゴロゴロ……』
黒手苗さんに撫でられた3匹が心地よさそうに声を漏らす。
捨てられた子猫たち。それを彼女は自分に当てはめたのだ。
だからあのとき、彼女は何度も僕に子猫を飼うのかと訊ねてきたんだ。
「この子たちが見捨てられたら、私はすべてを諦めて人形のように残りの人生を過ごすつもりだった。
父の言うとおりに好きでもない相手と結婚して、愛のない家庭でたまに帰ってくる夫を待ちながら孤独に過ごす。そんな寂しい人生。でも……」
ひと呼吸おいて、彼女は僕を見る。
「押し付けるみたいだったのに、君は
彼女の言葉に顔が熱くなるのを感じた。
何時も猫たちに夢中だったから、ほぼ毎日来るのは猫に会いに来るためだと思っていた。
だけど、そうじゃなかった。
驚く僕を他所に、黒手苗さんは自身の胸に手を当てる。
「君に会うたびに、私の心はドキドキしたし、もっと会いたいって思った。それに君のことが頭から離れない……けど、この気持ちが何なのかはわからない。この気持ちはこの子たちと私の心を救ってくれた君への【感謝】?」
多分、違う。
けど、もしも彼女の抱いている感情が僕と同じ【恋心】だと言ったら、彼女はそれを信じてしまうに違いない。でも……それを僕が言うのは違う。
僕自身は彼女とずっと一緒に居たいと思っているけれど、この状況を利用するのはイヤだ。
……黒手苗さんは美人だ。
そして基本的にその整った顔立ちが創る表情は変わらない。けれど、感情の機微がある。
猫たちと戯れる彼女は楽しそうだし、たまに一緒の食卓に着いたときは母さんの料理を食べて美味しそうにしている。
ハクとコクが喧嘩をして体から血を流したときは心配そうにしていたし、動物病院に連れて行って治療してもらった後には懇々と説教をしていたけどまったく聞いていない様子の2匹にむくれていたりもした。
表情に乏しい彼女だけれど、僕はすごく可愛いと感じている。
だから……彼女の口から婚約者と結婚と聞いたときは本当に驚いた。
出来るなら彼女に結婚しないで欲しいと言いたいし、手放したくない。
けど、彼女には彼女の事情がある。家族でもない僕が口出し出来ることじゃない……。
「そんな顔しないでほしい。私は君にそんな顔をしてほしくて、こんなことを言ったわけじゃない」
「あ……ごめん、黒手苗さん」
そんな悩んでいる僕を見ながら、心配そうな雰囲気の黒手苗さんはこっちを見る。
彼女に心配させてしまった。それを理解し、僕は頭を下げた。
「気にしないで。……私も、この子たちみたいに猫だったら、もっと自由になれたのかな?」
何とも言えない時間が流れる……。
そんな中、撫でられて心地良さそうに喉を鳴らす猫たちを見ながら、黒手苗さんが呟く。
彼女の言葉に僕は返事を返す。
「もしもそうだったら、僕は猫の黒手苗さんの頭を撫でたいな……」
「別に撫でてもいいけど、私を飼ってくれる? それとも、飼わない?」
「あのときと同じ言葉だね。けど、飼うか飼わないかって聞かれたら、あのときみたいに保護なんて言わずに……飼いたい、かな。それで思いっきり甘やかして、愛してるよって愛情をたっぷり注いであげるんだ――って、何言ってるんだろ僕は」
猫の黒手苗さんの姿を想像しながら返した言葉。
それを失言と少し思いながら黒手苗さんを見ると、彼女は見たこともない様子で僕を見ていた。
「…………あい、じょう」
「く、黒手苗さん? 大丈夫? 何処か具合でも」「……今の言葉、忘れないで」――え?」
「今日はもう帰る。あと、やりたいことが出来たから、しばらく来れない……またね」
「あ、うん、また……」
『『『にゃあ~』』』
唐突に立ち上がった黒手苗さんは淡々と僕に言うと、猫たちに見送られながら帰っていった。
何かマズいことでも言ってしまったか?
そんな不安を抱きながら出ていった黒手苗さんを見ていた僕だけど、それからしばらくして彼女が何を行っていたかを知ることとなった。
●
「え」
朝ごはんを食べながらテレビニュースを見ていた僕の耳にこの地方で有名な会社の名前が脱税と横領を行っていたとして逮捕されたと聞こえたと同時に、協力していた幹部の中に聞き慣れた名字も聞こえた。
テレビには数名の警察官に連れられて車へと向かって歩いて行く数名の壮年の男性の姿が映っており、それを僕はポカンとした表情で見ていた。
いっしょにごはんを食べていた両親も同じくポカンとした様子だった。
そして衝撃的なニュースはそれだけじゃなかったようで、別のニュース内容が始まるとより呆気にとられてしまった。
「え、この名字って、さっきの?」
放送されたニュースは某有名大学内の趣味のサークルで行われている飲み会の席でこっそりと女性に睡眠薬を混入させてから、集団で性的暴行を何度も行っていたということが明らかとなりサークルの幹部たちが逮捕されたという内容だった。
その逮捕されたサークル主催者の名前が、さっき逮捕されたこの地方で有名な会社の社長と同じものだった。……どう見ても、この2人って親子だよね?
「って……いやいや、待って待って。何でいきなり連続で逮捕劇が起きてるの? しかも、これって親子だよね?」
いくらなんでも突然すぎると思う。これって何か裏があるんじゃない?
こう、誰かが裏で手を引いていたとか……って、推理ドラマの見すぎかな?
「けど美弥子ちゃん大丈夫かしら。お父さんが逮捕されたなんて、今頃マスコミが詰めかけているんじゃないかしら」
「っ!」
母さんの言葉に黒手苗さんのことをようやく思い出し、母さんが言うように黒手苗さんも心配しているんじゃないのかと考えた。
だって、愛情が無かったとしても肉親が逮捕されたんだ。気が気じゃないに違いない。
そう思い、急いで立ち上がるとリビングを出るためにドアに向かう。
「父さん母さん、ちょっと黒手苗さんの家に行ってくる!」
「えっ! ちょっと待ちなさい!」
後ろから母さんが止める声が聞こえたけど、止まる気はない。
急いで靴を履き、玄関を開けようとしたところで足元にハク、コク、ブチが居るのに気づいた。
「もしかして、黒手苗さんのところにいっしょに行きたいの?」
『『『にゃ~!』』』
「わかった。じゃあ、3匹ともいっしょに行こう!」
言葉が通じているかわからない。けど、3匹とも黒手苗さんのことが好きだから、僕が心配している気配を感じたんだ。
そう思いながら玄関扉を開けると……、
「にゃあ」
「ぁ、え? く、黒手苗さん……?」
頭に黒い猫耳をつけた黒手苗さんが家の前に立っていた。
突然すぎて頭が回らない。そんな僕を他所に、3匹の猫たちは黒手苗さんの足もとに体を擦り付け始める。
『『『にゃあ~♪』』』
「ハク、コク、ブチ、元気にしてた?」
『『『ごろごろごろ……』』』
黒手苗さんがしゃがみ、3匹の体を撫ではじめると3匹は気持ちよさそうに喉を鳴らす。
「え、黒手苗さん……?」
「やりたいこと、終わってきた。私は自由な猫。にゃあ」
しゃがんだまま下から覗き込むように黒手苗さんが僕を見る。
――って、そうじゃなくて!
「黒手苗さん、君のお父さんが、その……」
「知ってる。今頃は勤めていた会社も大惨事だろうし、私の家も大惨事。いぇい」
心配そうに尋ねると黒手苗さんは気にしないどころか関心がないように言って、ピースサインを作った。
ただし表情は無表情……あ、いや、何かやり遂げた感を感じる?
「え、何その反応!? 心配じゃ、ないの?」
「しない。父も、あの会社の社長たちも悪いことをした。調べたらたっぷり悪事が出た」
「んんん?」
「初めは婚約破棄だけを考えた。でも、自由になるなら父をあのままにしておけない。だから、社長と一緒に逮捕してもらった」
「あ、あの、黒手苗さん?」
「母もこの騒動で夜逃げするように逃げるはず。だから私は自由になる。人形じゃなくて、野良猫。にゃあ」
……どうやら、この逮捕劇の裏には黒手苗さんが居たらしい。
というか、何でさっきから猫耳つけて、自分を猫だって…………あ。
ようやく僕は彼女がこんなことをしている理由に思い至る。
「えっと、黒手苗さんは住む場所がなくなった……で良いの?」
「自由な野良猫だけど、飼いたいって人がいたら飼ってもらう。……野良猫、飼うの? 飼わないの?」
変わらない表情。だけど不安そうに尋ねる彼女に、僕は言う。
「まずは父さんと母さんの説得をしないといけないけど……黒手苗さん、僕と一緒に居てください」
「にゃあ。いいよ……」
満足そうに彼女は頷く。そんな彼女に僕はさらに告げる。
「……僕は、貴女のことが好きです。大好きだから、黒手苗さん……美弥子さんのことをずっと愛してみせます。だから、僕と結婚を前提に……って、それはまだはや――美弥子さん?」
「好き……。私も、君が好き。愛情をいっぱいちょうだい。私も、君に好きを……いっぱいあげたい。好き、好き」
「み、美弥子さんっ!?」
今まで変わることがなかった表情。
まるで雪が解けるように彼女の頬に赤みが差し、すごく幸せそうだと誰が見ても分かるくらいに嬉しそうに微笑んでいた。
きっとこれが初めて美弥子さんが表に出した表情。
この微笑みを護りたい。そう思いながら僕は美弥子さんに手を伸ばす。
「まずは、父さんたちを説得しないとね」
「ええ、お願い。私の
『『『ぅにゃあ~~!』』』
猫と美弥子さんの声援を聞きながら、僕らは家の中に戻る。
これから先、色んなことがあると思うけど……美弥子さんといっしょなら楽しいに違いない。
そう思いながら、僕はリビングの扉を開けるのだった。
<終>
黒手苗さんと子猫と僕と 清水裕 @Yutaka_Shimizu
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