第12話 屋敷での暮らし
窓から差し込む朝日で、カトリーヌは目を覚ました。見慣れない茶色の天井を見て、すぐにベッドから飛び降りる。
慌てて、昨晩受け取った服に着替えた。屋敷で暮らすロレーユの一人が用意してくれた、質素な物である。
この屋敷には現在、30名ほどが暮らしているそうだ。中には屋敷の掃除や食事の支度をする使用人もいるが、その全員がロレーユである。
「ここで暮らす以上、わたくしも、ちゃんとみんなの役に立たなきゃ」
姿見を見ながら、くるりと一回転する。麻でできた服はお世辞にも着心地がいいとは言えないが、王宮で見る自分より、ずっといきいきとして見えた。
一人での外出は禁じられており、外へ出かける際は誰かに護衛を依頼することになっている。
そして出かける時はシアンのマントを羽織り、フードで耳を隠すことで、ロレーユの少女として振る舞う。
長い髪を邪魔にならないよう一つに束ね、そのまま部屋を出る。まだ朝早いからか、屋敷は静かだ。
ここで暮らすロレーユたちは、外で働いているわけではない。ただ、ここはロレーユの相談所や避難所としての役割があり、日々発生するトラブルに対処する必要がある。
「まずは、朝食よね。一階の居間でとることになっている、とは聞いたけれど」
特に時間の指定はなく、食事をしたい時は今の隣にある厨房に声をかけるように、とのことだ。
「せっかく、フリッツ様と一緒に食事をするチャンスだもの。フリッツ様が下りてくるまで、居間で待機しなきゃ」
隣に座って一緒に朝食をとる。何気ない日常を共に過ごせることを想像すると、口角が上がって仕方ない。
カトリーヌは鼻歌交じりに居間へと向かった。
◆
「カトリーヌ様、おはようございます」
厨房を覗くと、中にマリアがいた。厨房にはマリアの他に、初老の女性が二人ほどいる。
「どうしてそこにいるの?」
「仕事を手伝わせてほしいと頼んだんです。何もせずここにいるのも申し訳ないですしね」
先を越されたわ……!
わたくしも、何かしなきゃ、とは思っていたのに。
カトリーヌの胸中を察したのか、気にすることありませんよ、とマリアが微笑む。そしてすぐ、残念そうな表情を作った。
「その、実はもう、フリッツ様は朝食を済まされたのです」
「えっ?」
「というか、カトリーヌ様以外の方は皆さま、既に朝食を終えているんです。朝から用事がある方が多いようで……」
「……そんな」
「出かけられた方も多く、フリッツ様も、朝の見回りがあると……」
てっきり、朝早いから屋敷内がまだ静かなのだと思っていた。
「……マリア、わたくしにできることはないかしら?」
「え?いや、カトリーヌ様に手伝っていただくようなことは……」
「わたくしも、なにかしたいの!」
マリアは困惑した表情を浮かべた。
そりゃあ、そうよね。離れにいる頃は、何かをしようなんて、全然言わなかったんだもの。
はずれ姫といっても、マリアが侍女として身の回りのことはしてくれたし、質素ながらも食事は宮殿の厨房で用意されていた。
生活するために自分がなにかをするなんて発想は、カトリーヌにはなかったのだ。
「そうですね。では、私と一緒にお菓子でも作りましょうか」
「お菓子?」
「はい。それなら後で、フリッツ様にも食べていただけると思いますよ」
マリア、わたくしに気を遣いつつ、他の使用人にもちゃんと気を遣ってくれたんだわ。
もしカトリーヌが食事や掃除を手伝えば、失敗した時に他人に迷惑をかけてしまう。しかし菓子であれば、失敗したところで誰も困らない。
「ええ。そうするわ。作り方を教えてくれるかしら?」
「はい、ぜひ。ではとりあえず、カトリーヌ様は朝食を済ませてきてください」
マリアが、朝食がのったトレイを手に持った。テーブルまで運んでくれそうになったのを、慌てて受け取る。
「大丈夫よ、それくらい」
少しだけ躊躇ったような表情を見せたが、マリアはすぐに仕事に戻った。
普通の人は食事の用意も自分でするし、食器だって自分で運ぶのよね。
わたくし、世間知らずだったのだわ。ロレーユのことだけじゃなくて、きっとわたくしは、市井の人の暮らしを全く知らないのね。
大義を掲げ、民衆からの支持を得ようとしているのに、それではよくない。
「やるべきことは、たくさんあるわ」
呟いて、カトリーヌは焼き立てのパンにかぶりついた。
◆
「えっと……なんとか、できましたね?」
焼き上がったクッキーを見て、マリアは引きつった顔で手を叩いた。
「……クッキーって、こんな色かしら」
「……特徴的で、印象に残るかと」
「無理によく言わないでいいわよ」
簡単に作れますから、と言われ、カトリーヌはクッキーを作ることにしたのだ。
途中までは一緒に作業をしていたのだが、途中でマリアが他の使用人に頼まれ、掃除の手伝いへ行ったのである。
「レシピを見て作ったのだけれど……」
その際、マリアはクッキーの作り方を簡単にメモに書き残してくれた。
それを見つつ、カトリーヌが一人でクッキーを作ったわけだが……。
「焼く時間も、ちゃんとレシピ通りにしましたか?」
「……ちょっとだけ長かったかもしれないわ。でも、レシピ通りの時間焼いてみたら、生焼けだったのよ。だから、もう少しと思って……」
「焼きすぎちゃった、ってことですよね」
生焼けだと思った時に、すぐマリアに聞けばよかったんだわ。
あともう少し焼けばいいだけだ、なんて一人で判断した結果がこれなんだもの。
「とてもフリッツ様に出せるようなものじゃないわね」
美味しいよ、と言ってもらえることを期待していたけれど、これが美味しいはずがない。
それに、健康に悪そうなものを出すわけにもいかない。
「大丈夫ですよ。今回は焼く時間をちょっと間違えてしまっただけです。次は、私がつきっきりで見てますから」
「マリア……」
「これは残念ですが、私が処分しておきますので」
マリアがそう言ってクッキーに手を伸ばしかけた、その時。
「食べ物を捨てるなんて、どうかと思うよ」
「フリッツ様……!?」
いつの間にか、厨房の入り口にフリッツが立っていた。
「喉が渇いたから、水をもらおうと思ったんだけど」
「水でしたら、すぐにわたくしが……!」
水をコップに注ぐくらいなら、カトリーヌにもできる。
慌てて水を用意し終わった時、フリッツの手には黒焦げのクッキーがあった。
「私のために作ってくれたんだね」
「……それは、そう、ですけれど……」
頷くと、フリッツは何の迷いもなくクッキーを口へ運んだ。
「えっ、フリッツ様、そんなもの……!」
フリッツは表情を変えずにクッキーを飲み込んだ。
そして、微笑んでカトリーヌを見つめる。
「ちゃんと、気持ちは伝わったから」
胸の奥が急激に熱くなって、上手く呼吸ができなくなる。
カトリーヌの瞳から、静かに涙が零れ落ちた。
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