第11話 これからのこと
「これが、茶筒の中に入っていたの」
昨日入手したばかりの羊皮紙をアウリールに手渡す。アウリールはじっと紙を見つめた後、兄上、と呼んだ。
「この名簿に、心当たりは?」
フリッツがアウリールの手から羊皮紙を受け取る。フリッツの目線が上下するたびに、カトリーヌの心臓は騒がしくなる。
「これは本当に、第二王子が渡したものなんだね?」
フリッツは紙から顔を上げ、真っ直ぐカトリーヌを見つめた。
「は、はい、そうですわ。わたくし、神に……いえ、フリッツ様に誓って、フリッツ様にだけは嘘をつきませんもの」
そう言ってみても、フリッツは小さく頷くだけだ。
もう少しくらい、反応してくれてもいいのに……。
ううん。フリッツ様は、誠実だからこそこんな反応をしてくれるんだわ。
わたくしを利用するために、優しくすることは簡単だもの。
「アウリール」
フリッツはカトリーヌから目を逸らし、弟の名前を呼んだ。
「これ、顧客リストじゃないかな」
言いながら、フリッツは髪を耳にかけた。何気ない仕草は昔と変わっていなくて安心する。
ふわふわの髪はまとまりが悪くて大変だと、笑いながら話してくれたこともあった。
「たぶん、第二王子があいつに……ドルフィスに、顧客を紹介しているんじゃないのかな。私の予想だけどね。でも、密売を始めるまで、ドルフィスには身分の高い客は多くなかったから」
「じゃあ、名簿にある人を見張っていたら、あの商人と接触する可能性が高い……ということですの?」
カトリーヌの言葉に、フリッツは難しそうな顔をした。
「これが新規のリストなら、その可能性は低いだろうね。向こうは、このリストを誰かに奪われたと気づいているかもしれない。だとすれば、怪しい行動は控えるだろう」
「そんな……じゃあ、これは、証拠にはなりませんの?」
せっかく、フリッツの役に立てると思ったのに。
相手の警戒心を煽っただけになってしまったのだろうか。
「いや、そんなことはないよ」
優しい声に顔を上げると、フリッツと目が合った。彼は一瞬迷ったような表情を浮かべたけれど、すぐにぎこちなく微笑む。
「君のおかげで、助かった」
フリッツ様の笑顔なんて、久しぶりに見たわ。
懐かしくて、胸がぎゅうっと締めつけられる。このために頑張ってきたのだ、と心底思えた。
「これを渡したのが第二王子なのは明らかなんだ。しかもこれは、彼の筆跡だよね?」
「あ、えっと……ごめんなさい。わたくし、筆跡が分かるほど、第二王子とは親しくありませんの」
「大丈夫だよ。彼の筆跡だということにすればいいだけだから」
「え?」
フリッツは真剣な表情になり、羊皮紙をアウリールへ戻した。
「真実は確かに重要だけど、それ以上に、何を真実だと思わせるかが重要なんだ」
「何を真実だと思わせるか……」
「これは顧客リストで、この筆跡は第二王子のもの。民衆がそう信じればいい」
「フリッツ様……」
「もちろん私もそう信じている」
何を真実だと思わせるか。
つまりそれは、時と場合によっては、嘘をつくことも厭わないということだろう。
「それに、この証拠は捏造じゃない。明確な事実が少しでもあれば、俺たちの言葉は説得力を増すはずだ。あとはこれを、どう伝えるかだな」
話を聞いていたアウリールが、立ち上がって近づいてきた。
「俺は集会を開こうと思っている。そこで、話してみないか?」
第二王子の罪を暴くだけじゃない。カトリーヌが王女であること、そして、魔法を使えることを大勢の前で明かすのだ。
想像するだけで緊張してしまう。
「ええ。やりますわ」
でももう今さら、やめるなんて選択肢はない。
「それで、これからはどうするつもり?」
フリッツが一歩、カトリーヌに近づいてきた。
「そうすれば、宮殿内での居場所は今以上になくなる。命を狙われることもあるだろうね」
「それは……」
カトリーヌが答えられずにいると、アウリールが呆れたように溜息を吐いた。
「兄上。そんな言い方をする必要はないだろう」
アウリールの言葉に、フリッツが顔を背ける。拗ねたようなその動作は少しだけ子供っぽくて、新しい一面が見れたような気がした。
そうよね。昔のわたくしは今よりずっと幼かったし、フリッツ様だって、子供としか思っていなかったはずだもの。
「ここはまだ部屋が余っている。行くところがないなら、ここに住むといい」
「えっ!?」
「居場所がバレても、ここには手出ししにくいはずだからな」
アウリールは笑い、ちら、とフリッツを見た。フリッツは黙り込んで、何も言わない。
これからの生活のことなんて、全然考えられていなかったわ。
フリッツ様の役に立ちたくて、目の前のことに必死だったもの。
考えてみれば、彼らとの繋がりを公表した後に、今まで通り王宮で過ごせるはずがない。
「もう戻る必要がないなら、今日からここにいればいい」
マリアと目を合わせ、頷き合う。考えていることは一緒だと、目を見るだけで分かった。
「そうしますわ。わたくし、今日からここで暮らします」
王宮に戻らなければ、さすがに騒ぎになるだろう。しかし、カトリーヌの存在を公にしていない以上、大々的な捜索はできないはずだ。
まさかわたくしが、王宮から抜け出す日がくるなんて……。
「兄上、部屋の案内を頼む」
「……分かった。今までの部屋よりかなり狭くなるから、そこは諦めて」
「どんな部屋でも、大丈夫ですわ!できればフリッツ様のお部屋の近くだと、より嬉しいのですけれど」
にっこりと笑顔を浮かべてみる。なんなら同じ部屋でも……と言おうとしたが、その前にフリッツが溜息を吐いた。
「ずいぶんと、自己主張ができるようになったんだね」
呆れたような物言いと裏腹に、その眼差しは柔らかい。
少なくとも、カトリーヌの言葉を嫌がっていないことは明らかだ。
そういえば、そうだわ。フリッツ様と再会してから、わたくし、どんどん変わっているもの。
もう、はずれ姫として、王宮の隅で静かに暮らすのはやめた。
フリッツのためにできることは全てやる。そして、彼との幸せな未来を掴むのだ。
「これからもどんどん、フリッツ様への気持ちを伝えますわ」
ほどほどにして、と言ったフリッツの瞳はやっぱり優しくて、カトリーヌはなんだか泣きそうになってしまった。
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