第9話 作戦成功

 茂みに隠れ、正門の様子を窺う。宮殿に招かれた商人たちは、ここを通って中へ入るはずだ。

 カトリーヌはもう、何年も正門なんて利用していない。正門を利用できるのは、正式に出入りが認められた者だけだからだ。


「そろそろかしら?」

「はい。昼過ぎにくる、と言っていたので」


 マリアも緊張した面持ちで、真っ直ぐに正門を見つめている。二人で茂みに隠れてから、かれこれ一時間近く経過した。


「……あっ」


 マリアが小さく声を上げる。そして、そっと正門を指差した。

 守衛によって門がゆっくりと開かれ、数名の男性が入ってくる。いずれも徒歩なのは、馬車で敷地へ入ることを許されていないから。

 馬車のまま敷地に入れるのは王族と、一部の貴族のみなのだ。


 入ってきた商人は六人だった。競い合うように、全員が派手な衣類を身にまとっている。


 似顔絵の人はいるのかしら……?


 懐から似顔絵を取り出し、六人の顔と照らし合わせていく。


 いたわ!


 マリアの肩を叩き、六人のうち、真ん中を歩いている男を指差す。

 身長は平均的だが、かなり恰幅がいい。そのくせ頬は少しこけている。似顔絵の特徴と完全に一致している男だ。


 マリアと目を見合わせ、互いに頷く。あれが似顔絵の男だとすれば、少なくとも第二王子は塩の密売を行う商人と親しくしていることになる。

 それだけでも、国民からの反感は買うだろう。


 しかし、それだけではまだ弱い。なんとかして、第二王子自身が密売に関わっている証拠を見つけなくてはならないのだ。





 商人たちは全員そろって、第二王子の部屋へ入っていった。そうすると、もう中を覗くことはできない。


「もどかしいですね、カトリーヌ様」

「ええ、すごく」


 中庭の茂みから、第二王子の部屋の様子を窺う。ガラス張りの廊下のおかげで、部屋の扉が外からも見える。

 そのため出入りがあれば分かるが、中の会話は全く聞こえない。


「二人きりになるんでしょうか?」

「……そこよね」


 部屋には現在、六人の商人が全員入っている。他人の目がある時に、秘密の話なんてできないはずだ。


「まさか他の五人も協力者とか、ないですよね?」

「さすがにないと思うわ。あの中には、かなり大きな商家の人もいたもの」


 とにかく今は、じっと観察を続けるしかない。





 夕陽が庭を照らし始めた頃、ようやく第二王子の部屋の扉が開いた。出てきたのは、六人の商人たちだ。

 彼らは皆、王家の紋章が入った茶筒を持っている。中身は、ヴェルモントお気に入りの茶葉だ。


「全員、出てきちゃったわね」


 出てきたのが残りの五人なら、中で密談をしていると判断できたのに。


「追ってみましょう。どこかで落ち合うかもしれませんし……いや」


 マリアは一瞬、目を大きく見開いた。そして、カトリーヌの腕を強く掴む。


「あの中に入っているのって、本当に全部、ただの茶葉なんでしょうか?」

「え?」

「本当に、全員に同じ物を、第二王子は渡しているんでしょうか?」

「確かに……!」


 直接二人で話さなくても、やりとりをする方法はある。

 似顔絵の商人に渡した茶筒の中だけ、他の物が入っているのかもしれない。


「あの茶筒、すりかえられないかしら……?」


 紋章入りの茶筒自体は、いくつも厨房に保管されているはずだ。


「……茶筒を厨房からとってくること自体は、不可能なことではないと思います。でも……」

「誰にも見られずにやるのは、難しい?」

「はい。この時間、夕食の準備で厨房はかなり混んでいるでしょうし」


 茶筒が入れ替わっていれば、おそらく商人も、第二王子もすぐに気づくだろう。そして、茶筒を持っている人間に疑いを向けるはずだ。

 そんな中、タイミングよく厨房から茶筒を持ち出したことがバレてしまったら、確実に疑いの目はマリアへ、そして主人であるカトリーヌへ向けられてしまう。


「それは避けたいわね」

「はい」

「……どうしよう。きっと、フリッツ様たちに伝えても間に合わないわ」


 ここを出れば、帰りの馬車ですぐに商人は茶筒の中身を確認し、証拠を消してしまうかもしれない。

 彼が茶筒を開けるよりも先に、中を見なければいけないのだ


「いっそ、気絶させて奪う? いや、それこそ怪しいわよね。でも……」


 背に腹は代えられない、と思いきって行動するべきだろうか。

 でも、十分な証拠が掴めなかったら?


「カトリーヌ様、あまり時間がないかもしれません」


 カトリーヌたちが話している間にも、商人たちは正門へ向かって歩いていく。急がなければ、彼らはこのまま敷地の外へ行ってしまうだろう。


 どうしよう。わたくし、どうしたらいいの!?


 カトリーヌが頭を抱えた時、足元に茶筒が転がってきた。

 慌てて茶筒を拾い上げる。すると、先日の少年が立っていた。ハープを持っていた、色気のある少年である。


「使うといい」


 歌うような、滑らかな声。声をかけるより先に、少年は去っていった。


「……カトリーヌ様、とりあえず」

「ええ。使わない手は、ないわよね」


 彼が何者なのかは分からない。カトリーヌたちの味方とは限らないのだ。

 けれどこのチャンスを逃すわけにはいかない。

 茶筒を拾い、覚悟を決めて息を吸い込む。後はこれを、似顔絵の商人が持っている茶筒とすりかえるだけだ。


「わたくしが注意を逸らすから、その隙にお願いできるかしら?」

「はい、やってみせます」


 どくん、どくんと心臓がうるさい。でも、不安をときめきが上回っているのを感じる。


 わたくしにだって……はずれ姫にだって、できることがあるんだわ。





 商人たちはまとまったまま、正門へ向かっている。おそらくもう、似顔絵の男が一人になることはないだろう。


「……だったら、今しかないわ」



 目を閉じて、手のひらに意識を集中させる。しゃがみ込んで、そっと地面に触れた。


 大きな、強い力はいらない。魔法だとバレてもいけない。


 けれど、あそこにいる六人の意識を奪う必要がある。


 お願い、どうか……!


 頭の中で描いたイメージが実現するよう、強く祈る。


「うわっ!」


 悲鳴が聞こえた。慌てて顔を上げると、六人の男たちが一斉に転んでいる。

 彼らが立っていた地面が、一瞬だけ泥濘に変わったのだ。


 視界の端で、素早くマリアが茶筒を入れ替えたのが見えた。転んだ拍子に男の茶筒が転がり、マリアが潜んでいた茂みの近くまでいってしまったのだ。


「な、なんだったんだ……?」


 不思議そうな表情を浮かべながら、男たちは立ち上がる。既に地面は元通りになっているから、何が起きたのかなんて分からないだろう。


 普通の人にとって、魔法は縁遠いものだもの。

 魔法を使っただなんて、きっと想像もできないわ。


 似顔絵の男が慌てて茶筒を拾った。そして、安心したように息を吐く。


 残念ね。それ、偽物よ。


 心の中で、カトリーヌはそう言い放った。

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