第5話 異父兄弟
「さあ、入ってくれ」
オッドアイの男に案内され、カトリーヌたちは貧民街の奥にある屋敷へ到着した。
フリッツは終始無言で、ここへくるまでの間、カトリーヌがどう声をかけても反応してくれることはなかった。
「戻ったぞ、リカード」
男が扉を開けてそう言うと、室内から長身の男が姿を現した。見上げても目が合いそうにないほど背が高く、褐色の肌に銀髪がよく似合う。
むき出しの耳は、当然のように鋭く尖っていた。
「おかえり、アウリール」
「ああ」
この人……アウリールという名前なのね。
独特な雰囲気を持つ男だ。美しいだけじゃない。左右で色の違う瞳が珍しいだけでもない。
言葉では言い表せないような、特別な何かを感じてしまう。
「そいつらは?」
「兄上の客人だ」
そうか、とリカードはあっさり頷いた。
「ついてこい」
中央にある階段を上り、二階奥にある部屋へ入った。かなり広いが、おいてあるのは大きな丸いテーブルと椅子だけである。
「そろそろ、兄上も何か喋ったらどうだ?」
フリッツは無言のままだ。呆れたようにアウリールが溜息を吐き、カトリーヌの瞳をじっと見つめる。
「カトリーヌ、と名乗っていたな」
「……ええ。わたくし、カトリーヌと申しますわ」
「第二王女か?」
「ええ、そうですわ」
第二王女の存在は世間には隠されている。しかし、フリッツには知られているのだ。今さら、アウリールに隠す意味はない。
「かしこまる必要はない。お前は、俺の妹なんだから」
「えっ!?」
薄く微笑み、アウリールは右手を真っ直ぐに伸ばした。
そして彼の手のひらからいきなり、真っ赤な火の球が生まれる。
「これで分かっただろう。俺も、王家の血を引いている」
アウリールは近くの椅子に座り、見せつけるように長い足を組んだ。
王家の血を引いている? 彼が?
どういうことなの? わたくしの兄は二人だけのはず。もう一人いるなんて、聞いたこともないわ。
しかし、アウリールはたった今、魔法を使ってみせた。
どんなものよりも明確に、王家の血を引くことを示す証拠だ。
「こんな見た目じゃなければ、俺は第三王子と呼ばれていただろうな」
アウリールは、尖った耳に触れた。
「そんな……」
王女なのに魔法を使えるから、カトリーヌは王女として扱われていない。
アウリールが王子として扱われなかったのは、ロレーユとして生まれたからか。
「俺は生まれてすぐ、宮殿を追い出された。母親と共にな。そして、魔法が使えることが判明した時、俺は命を狙われるようになった」
「そんな……」
「こうして生きているのは、そこにいるフリッツ……父親違いの兄のおかげだ」
フリッツの表情がぴくっ、と動いた。
「俺は王家の血を引いているし、魔法も使える。他の王子の誰より強力な魔法だろうな。なのに、ロレーユだからと王子扱いされない。馬鹿げていると思わないか?」
「それは……」
「勘違いするなよ。別に俺は今さら、王子として扱われたいわけじゃない」
上手く言葉が出てこない。いきなりのことに、何を言っていいのか分からないのだ。
「ただ、俺たちロレーユが、自由に生きられる場所が欲しいだけだ。俺は変なことを望んでいるか?」
アウリールは冷ややかに笑った。恐ろしいほど美しい笑みに、背筋が凍る。
彼は立ち上がると、カトリーヌに一歩近寄ってきた。
「俺は今すぐにでも、お前を殺せる」
顔の前に手のひらをかざされる。その瞬間、マリアがカトリーヌの前に立った。足は震えているのに、その場を動こうとしない。
「カトリーヌ様に、野蛮な真似はしないと、そうおっしゃっていましたよね」
マリアの声も震えている。アウリールはくすりと笑うと、あっさり元の椅子に座った。
「殺すつもりはない。むしろ、俺は手を組みたいんだ。王女であるお前と」
「わたくしと……?」
「ああ。俺たちは、この国の制度を変えたい。そのために、王族との繋がりは役に立つ」
アウリールがそう言った瞬間、今までずっと黙っていたフリッツが口を開いた。
「はずれ姫と手を組んだところで、何の意味もない」
無表情のまま告げられた言葉に心臓が冷える。はずれ姫、なんて彼に呼ばれたのは初めてだったから。
フリッツだけはいつも、カトリーヌ様、と優しく名前を呼んでくれたのに。
「会わなかったことにする。それが、一番いい」
「嫌ですわ!」
カトリーヌは反射的に叫んでいた。大きく目を見開いたフリッツと目が合う。こんな状況でさえ、視線が交わっただけで胸が高鳴ってしまう。
「わたくし、ずっとフリッツ様にお会いしたいと、それだけを考えて生きてきたんですもの!」
せっかく再び会えたのだ。会わなかったことになんて、絶対したくない。
「……さっきの話、ちゃんと聞いていただろう?」
「ええ」
「私とアウリールは母親が同じ。つまり、私も半分、ロレーユの血が流れている。耳に特徴が出なかったのは、たまたまに過ぎないんだよ」
「そんなこと、関係ありませんわ!」
フリッツの母親や父親が誰であろうと、彼がロレーユの血を引いていようと、どうだっていい。
カトリーヌはただ、フリッツのことが好きなのだから。
「そんなこと? 私の母は、そんなことで殺されたというのに?」
「……フリッツ様……」
「もう、君と話すことはない」
そう言い残し、フリッツは部屋を出て行ってしまった。
「兄上はああ言っているがな、カトリーヌ。兄上は昔、お前を殺さなかっただろう?」
「え?」
「兄上がお前の家庭教師になったのは、王家へ復讐するため。王を殺す機会が欲しかったからだ」
「そんな……」
「王には近づけなかったが、王女であるお前は殺さなかった。なんでだろうな」
はずれ姫で、ちゃんとした王女として扱われていなかったから?
復讐するほどの価値もないと思われたから?
ううん、きっと違う。わたくしは、覚えているもの。
フリッツの優しい声も、眼差しも、温もりも。全部全部、嘘じゃない。
「カトリーヌ、俺はロレーユとして、ロレーユの自由と尊厳を取り戻すと決めている」
「……ええ」
「そして弟としては、たった一人の兄の幸福を祈ってるんだ」
たった一人、とアウリールは強調した。
父親が同じ兄たちを、彼は兄だと認めていないのだろう。
「力を貸してくれるか?」
わたくしに……はずれ姫に、いったい何ができるのだろう。
分からない。分からないけれど、全力を尽くしたい。
「もちろんですわ!」
わたくしはずっと、フリッツ様との思い出に支えられて生きてきた。
今度はわたくしが、フリッツ様を支えてあげたい。
もう一度、彼の温かな笑顔を見られるなら。
もう一度、柔らかい声で名前を呼んでくれるなら。
わたくし、きっと、なんだってやってみせるわ。
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