第4話 反体制派集団・シアン

 がたん、ごとんと馬車が揺れる。舗装されていない道を進んでいるのだろうか。外は暗く、身を乗り出してみても分からなかった。


「カトリーヌ様も、シアンのことは知っていますよね」

「ええ。ロレーユたちの権利を主張する団体だってことくらいは」


 近年、シアンという名を聞くことは増えてきた。

 ロレーユたちの権利を主張し、ロレーユたちに対する不当な扱いに異を唱える集団だ。


「そうです。私もあまり詳しくなかったので、あの後、王都に戻って、聞き込み調査をしてみたんです」

「マリア……!」

「カトリーヌ様ならこうするだろうって、分かっていましたので」


 澄ました顔でマリアはそっぽを向いてしまう。カトリーヌは彼女の気持ちが嬉しくて、ぎゅう、と思いきり抱き締めた。

 痛いですよ、なんて言うマリアは子供みたいだけれど、彼女が頼もしいことをカトリーヌは知っている。


「聞くところによると、最近、シアンの活動は前より活発になっているみたいです」

「……昼間のように?」

「はい。警備隊がやられたことも、一度や二度ではないと」


 昼間の状況を思い出すと、シアンが悪い、とはカトリーヌには言えなかった。盗みを犯した罪人とはいえ、警備隊は幼い子を痛めつけていたのだから。


「当たり前ですが、シアンの構成員は大半がロレーユです。商人として成功した者もいて、そうした者から活動費をもらっているとか」

「なるほどね」


 ロレーユは、公的な仕事につくことは認められていない。そして、ロレーユというだけで彼らを雇わない雇用主も山ほどいる。

 その結果として、自ら商いをしている者も一定数いるのだ。


「でも、フリッツ様はロレーユじゃないわ」


 彼の耳の形は、カトリーヌと同じ何の特徴もないものだった。


「……なんらかの事情があるのだとは思いますが、そこまでは。申し訳ありません」

「謝らないで。調べてくれただけでありがたいもの。それで、わたくしたちは今、どこへ向かっているのかしら?」


 話している間にも、馬車はどんどん荒れた道を進んでいく。


「シアンのアジトと噂されている場所です」

「えっ? 分かるの?」

「ええ。ロレーユたちの避難所にもなっているようで。ただ……」

「ただ?」

「貧民街の奥にあるんです、アジトは」


 ごくり、と無意識のうちにカトリーヌは唾を飲み込んだ。

 貧民街に足を踏み入れたことは、今まで一度もない。しかし、いろいろな噂は聞いたことがある。

 様々な事件にあふれ、警備隊も取り締まりを放棄している場所だ。


 大丈夫かしら?


 カトリーヌが不安に思った瞬間、ガタッ! と馬車が大きな音を立てて止まった。その直後、馬が大きく叫び、馬車が止まってしまう。


 そして、馬車を覆っていた布が刃物で切り裂かれた。


「……わっ!」


 ぼろ布を纏った男の集団だ。人数は五人ほど。耳は普通の形をしているから、ロレーユではない。

 彼らは左手に松明を持ち、右手に木の棒を握っている。


「こんなところを馬車で通るだなんて、襲ってくれと言っているようなもんだぜ」


 男は下卑た笑みを浮かべた。あっという間に馬車の周りを囲まれてしまう。御者は既に地面に落とされ、肩には大きな傷がある。


 しまったわ。

 馬車に乗るような金は、貧民街の者にはない。ここを馬車で通るなんて、金を持っていると宣言するようなものだったのだ。


「申し訳ありません……」


 マリアの声は震えている。慌てて彼女の顔を見ると、血の気が引いて真っ青になっていた。


「貴女は悪くないわ」


 貧民街を馬車で通るのは危なかった。しかし、歩いて通っていても、それはそれで危なかったはずだ。

 真夜中に、年若い少女二人だけで安全に歩けるような場所ではないのだから。


「金、出してもらおうか。そうすりゃあ、殺しはしねえぜ。殺しは、な」


 ははっ、と男たちが笑う。その目には低俗な欲が滲んでいて、カトリーヌは吐きそうになった。


 マリアは悪くない。

 カトリーヌがどうしてもフリッツに会いたがるだろうと予測して、彼女ができる限りの準備を整えてくれたのだ。


「……どうしよう……」


 ガタッ、と音がして、振り向くとマリアが座り込んでいた。おそらく、腰が抜けてしまったのだろう。

 恐怖に染まりきったマリアを見て、男たちはさらに楽しそうに笑う。


 マリアはテロに巻き込まれて……襲われて、両親を亡くしている。そしてその時、酷い火傷を負わされた。

 その時の記憶はきっと、今も彼女の頭に色濃く残っている。


 わたくしが、なんとかしなきゃ!


 どうするべきかしら? 魔法を使えば……でも、先程守衛相手にもう魔法は使ってしまったわ。ここにいる五人全員を倒せるのかしら?

 もし魔力が尽きて倒れてしまったら……?


「早く金を出さないと、どうなるか教えてやろうか」


 主犯格らしき男が、馬車に入ってこようとする。とっさに両手を広げ、マリアの前に立った、ちょうどその時。


 暗闇から突如現れた刃に、男の首が貫かれた。

 鮮やかな赤い血が飛び散る。


「……っ!?」


 声も出せないでいるうちに、残りの男たちは足音を立てて立ち去っていく。


「こんな時間に、こんなところへくるからだ」


 聞こえてきたのは、聞き覚えのある声。

 不意に雲間から月が現れて、その人を照らした。


「フリッツ様……?」


 間違いない。フリッツだ。


 わたくしのことを、助けてくれたんだわ!


 月に照らされた顔は冷ややかで、彼の手には鋭い剣がある。穏やかに微笑んで詩集を読み聞かせてくれた頃の面影はない。

 けれど、フリッツは今、カトリーヌを危機から救ってくれた。


「早く、ここから立ち去れ」

「待ってください! わたくし、カトリーヌですわ! フリッツ様、わたくし、もう一度貴女様にお会いしたくて……!」

「話すことなんてない」


 フリッツの声は、決して大きくはなかった。しかし、カトリーヌの頭の中で何度もこだまする。


 だめよ。このまま、帰るわけにはいかないわ。どうにかして、話を聞いてもらわないと……!


「知り合いか?」


 いきなり、耳に残る低い声が響いた。

 声のした方へ視線を向けると、暗闇に突然、火の玉が浮かび上がる。


 今、何もないところから、火が現れた……?

 そんなことができるのは、いえ、できたのは、百年以上前の王族だけのはず……。


 しかし火に照らされた男は何も持っていない。何も使わずに、火を生み出したとしか思えなかった。


「客人なら、我が家へ招待しようか」


 男の顔を見て、カトリーヌは息を呑んだ。


 青い左目と赤い右目。燃え盛るように赤い髪。人形のように美しく、獣のように鋭い眼差し。

 そして、左右の耳は鋭く尖っていた。


「安心してくれ。兄の知り合いに、野蛮な真似はしない」

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