第3話 はずれ姫の魔法

 窓から差し込む月の光が、そっと室内を照らしている。いつもなら、もうとっくに眠っている時間だ。


 窓を開け、冷たい夜の空気を肺一杯に吸い込む。身体は冷えていくのに、胸の熱はいっこうにおさまらない。


「フリッツ様、だったわよね……」


 最後に会ったのは八年前。当時、フリッツは二十歳だった。

 八年も経てば、いろんなものが変わるだろう。でも、彼への恋心は少しも変わっていないのだということを、カトリーヌは今日改めて実感した。


「フリッツ様は、王都にいるんだわ」


 フリッツは、ロレーユを痛めつける警備隊を攻撃していた。彼が引き連れていた者たちは、少年と同じロレーユだったのかもしれない。

 けれど、フリッツの耳はカトリーヌと同じ、普通の耳だ。


 どうして、フリッツ様はロレーユを助けたのかしら?

 八年前ここから急にいなくなったことと、それは関係しているの?


 考えたところで、答えが出るはずもない。


 ロレーユは、被差別者階級だ。昔より扱いはよくなったと聞くが、ロレーユではつけない職や地位がある。

 今日みたいに、ロレーユというだけで乱暴に扱われることだって珍しくない。

 そして、その制度を作ったのは今の王家だ。


「……フリッツ様は、王家を……わたくしを、恨んでいるのかしら」


 窓を閉じ、カトリーヌは大きく深呼吸を繰り返した。部屋の中でうじうじと悩んでいたところで、答えが出るはずもない。


「行かなきゃ、わたくし、フリッツ様のところへ」


 やっとフリッツを見つけることができたのだ。このまま、今まで通りに過ごすなんてできない。

 昼間と同じマントを羽織り、邪魔にならないように長い髪をまとめる。念のため、部屋にある金を全て革袋へ詰めた。





 外へ出ると、冷たい風に身体を包まれた。昼間はまだ温かいけれど、夜になるとかなり冷え込む。

 生えっぱなしの雑草が揺れるだけで、今は不気味に見えてしまう。


 この時間はもう、全ての門が閉鎖されている。昼間のように、通行証を見せれば門の外に出られるわけじゃない。

 しかし、外に出る方法はある。守衛が持っている鍵を使って、裏口を開けるのだ。裏口は、裏門の近くにある小さな扉で、緊急用に作られたものである。


「……いたわ」


 木陰に隠れながら、守衛の近くまでやってきた。夜勤の守衛は二人で、いつも眠たそうにしている。

 二人のうちどちらかが、必ず鍵を持っているはずだ。


 わたくしがとれる方法は、二つ。

 一つ目は、守衛に頼み込んで鍵を貸してもらう方法。

 二つ目は、守衛から強引に鍵を奪う方法。


 所持金を全て渡せば、鍵を貸してもらえるだろうか。いや、それは怪しい。もしそのことが上にバレれば、彼らは減給では済まないだろうから。


「やるしかないわね」


 幸いなことに、離れ付近の地面は舗装されておらず、土がむき出しになっている。

 ここでなら、カトリーヌも魔法を使えるのだ。


 カトリーヌは、土の魔法を使うことができる。しかし魔法といっても、万能ではない。自分が属する系統のものを操作できるだけだ。

 無から有は生み出せない。要するにカトリーヌにできる魔法は、土を操ることだけ。土がないところでは、魔法は一切使えない。


「……それに、最近は魔法なんて全然使ってないから、どのくらいできるかは分からないけれど」


 魔法が使えると発覚してすぐ、国王の命によってカトリーヌは魔法の使用を禁じられた。それからはほとんど、魔法は使っていない。

 そもそも、最近は、魔法の出番なんて儀式の時だけなのだ。


 しゃがみ込んで、そっと地面に触れる。土の感触をしっかりと意識し、目を閉じて手のひらに力を込める。


 お願い、どうか……!


 だんだんと、手のひらが熱を帯びてきた。いけた、と確信した瞬間、瞳を開ける。カトリーヌの手のひらは淡く輝き、地面から土が浮かび上がっていた。


 頭の中で強く想像する。

 土の塊が、守衛二人の意識を奪うところを。


 浮かび上がった土が空中で集まり、大きな二つの塊になっていく。そして、守衛めがけて勢いよく飛んでいった。

 ガンッ! と鈍い音が響いた後、守衛二人がゆっくりと地面に倒れていく。


「……やったわ」


 立ち上がった瞬間、カトリーヌは倒れかけた。とっさに近くの木に手を伸ばし、なんとか身体のバランスを保つ。

 しかし、全身に上手く力が入らない。


 魔法を使ったからだわ。久しぶりだし、魔法って、すごく体力を使うんだもの。


 けれど、ここで倒れてはせっかく守衛の意識を奪った意味がない。

 カトリーヌは足を引きずるようにして守衛たちに近寄り、鍵を持っていないかを確認した。


 あったわ!


 年上の方の胸元に、裏口専用の鍵が入っていた。それを奪い、ふらふらとした足どりで裏口へ向かう。

 彼らが意識を取り戻す前に、ここから立ち去らなくては。


 しばらくすれば、土の塊は崩れ、地面に戻っていく。そうすれば、守衛を攻撃したのが誰か分からなくなるはずだ。

 それに二人も、不祥事はなるべく隠そうとするに違いない。


 このまま姿を見られずにここを出られれば、なんとかなるはず。


「開いた……!」


 裏口の扉を開け、外へ足を踏み出す。

 真っ直ぐ行けば、街へたどり着く。


 しかし、そこから先はどうすればいいのだろう。王宮の敷地から出ることに必死で、先のことを考えていなかった。

 フリッツは王都にいる。しかし、王都のどこにいるのだろう?


「……とりあえず、行かなきゃ」


 足を踏み出した瞬間、カトリーヌは転びそうになった。地面に身体がぶつかる、と覚悟して目を閉じたのに、急に腕を引っ張られる。


「カトリーヌ様、ご無事ですか」


 目を開けると、そこには呆れ顔のマリアがいた。


「どうせ、くると思ってました。きてください、馬車を用意しましたから」

「マリア……!」

「乗ってください。中で、昼間の集団……シアンの話をしますから」


 マリアに手を引かれるがまま、カトリーヌは馬車に乗り込んだ。どっと疲れが押し寄せてくるが、まだ眠気とは縁遠い。

 反体制派集団・シアン。名前だけなら、カトリーヌも聞いたことがある。

 王家を憎み、ロレーユたちの権利を主張する団体だ。


「昼間の彼は……」


 すう、とマリアは息を吸い込んだ。


「シアンの幹部。しかも、副代表にして創設者とのことです」

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