第2話 はずれ姫、おしのびで王都へ
「カトリーヌ様。私、城外へ買い出しに行こうと思うのですが」
正午を過ぎて少しした頃、マリアが慌ただしく部屋の扉を開けた。いつもの侍女服ではなく、古びた麻の服を着ている。
「わたくしも行くわ」
カトリーヌはすぐに立ち上がり、麻でできたフード付きのマントを羽織った。元々、外で目立つような豪華な衣服は与えられていない。
頷き合って、カトリーヌとマリアは部屋を出た。そのまま、静かに離れから出る。
カトリーヌが暮らす離れは宮殿からかなり距離があり、敷地の端に位置する。すぐ後ろに裏門があって、そこから外へ出ることができるのだ。
もちろん裏門には守衛が配備されているが、正門に比べるとかなりいい加減な警備体制である。
侍女を含む使用人には、通行証が与えられている。それを守衛に見せることで、城の内外を行き来できるのだ。
マリアの通行証を使い、カトリーヌが外へ行くようになったのは、ここ数年のこと。
どうせ夜までに帰ってくれば、バレないもの。
外出者と入出者は管理されていて、閉門時に確認される。宿泊許可届を出していない者が帰ってきていなければ、きちんと調べられるのだ。
しかし、ちゃんと閉門までに帰ってくれば、見つかる心配はない。
「では、行きましょう」
◆
「やっぱり、城外は賑やかね」
城を出て真っ直ぐに歩けば、すぐに賑やかな通りに出る。大通り沿いには多数の店が並び、日中は買い物客でいつも賑やかだ。
「そうですね。今日は何をしましょうか」
微笑みながら、マリアはフードを深くかぶりなおした。役者でもないのに仮面をつけていれば、人混みの中でもさすがに目立ってしまうからだ。
カトリーヌもフードは外さない。国民に顔は知られていないものの、念のためだ。
青い瞳は、お父様から遺伝したものだし。
薄桃色の髪は死んだ母親譲りのものだが、青い瞳は父王譲りのものだ。兄や妹たちもみんな青い瞳をしている。
「そうね。広場でなにか出し物でもやっていないかしら? 屋台でなにかを食べるのもいいわね」
派手に豪遊する資金はなく、城外へきても無料の出し物を見るか、露店で安価な菓子を一つ二つ買うくらいしかできない。
けれど、カトリーヌにとっては大切な時間だ。
いっそ、平民として生まれていたらよかったのに。
働かなくても生きていけるし、生活に必要なものはきちんと支給される。身の回りの世話だって、マリアという侍女にやってもらえる。
平民と比べたら、楽な暮らしをしているのは理解しているつもりだ。
けれど離れに追いやられ、将来に希望もなく、思い出に縋って生きるだけの日々は苦しい。
「とりあえず、少し散歩でもしようかしら」
「はい、カトリーヌ様」
歩きながらきょろきょろと周囲を確認するのは、確率の低い奇跡を願っているからだ。
もしかしたらどこかに、フリッツがいるのではないのかと。
フリッツが王宮から姿を消した後、その理由を調べようとした。
滅多に会うことのできない父王にもなんとか話を聞いたが、理由は分からなかった。
王宮からいなくなったのだから、王都にさえいない可能性の方が、ずっと高いのは分かってるわ。
でも、もし、もう一度だけ、あの人に会えたら……。
「カトリーヌ様」
すっ、と手が伸びてきて、カトリーヌは足を止めた。
「あれ、見てください」
マリアが指差した先に、警備隊の姿があった。
警備隊は王都の治安維持を目的とした組織で、犯罪の調査や犯人の逮捕から、市井のパトロールまで行っている。
「この盗人が!」
制服を着た隊員二人が、地面にうずくまっている一人の少年を警棒で叩きつけていた。少年は頭を守っている分、他が無防備で、背中からは血が流れている。
「なに、あれ……」
少年の衣服はぼろぼろで、薄汚れている。おそらく王都の外れにある、貧民街で暮らしている子だろう。
「窃盗は悪いことよ。でも……」
食べ物に困っている少年を、警備隊があんな風に痛めつけていいはずがない。
「カトリーヌ様。少年の耳を見てください」
「耳?」
マリアに言われ、初めてカトリーヌは少年の耳に注目した。
そして、カトリーヌの耳とは違う形をしていることに気づく。
鋭くとがった耳は、ロレーユと呼ばれる先住民族であることを示す証拠だ。そしてロレーユには、カトリーヌたちと同じ法は適用されない。
「ロレーユです、あの子。だからみんな、何も言わないんですよ」
むしろ、少年が痛めつけられていることが見世物になっているようだ。集まってくる野次馬は笑うばかりで、誰も警備隊を止めようとはしない。
「帰りましょう、カトリーヌ様。警備隊は、カトリーヌ様のお顔を知っているかもしれません」
「……けれど」
マリアに腕を引かれ、仕方なく歩き出す。身体は重いけれど、振り向くことはできなかった。
だって、わたくしに、一体何ができるって言うの?
もし宮殿の敷地外に出たことがバレれば、自由が制限されて、きっともう外には行けなくなる。
そうすれば、フリッツを探すことなんて絶対に不可能だ。
今ですら、彼に再会できる可能性は限りなく低いのに。
その瞬間、鈍い音が周囲に響いた。驚いて振り向くと、警棒を持ったまま、警備隊員が吹っ飛ばされている。
野次馬たちはあっという間に逃げていた。
「あれは……?」
「カトリーヌ様、こちらへ!」
マリアに強く引っ張られ、強制的に走り出す。しかし後ろが気になって、カトリーヌは走りながら背後を確認した。
数人の集団が、警備隊員を囲み、ロレーユの少年を保護している。彼らは揃いの黒いマントを羽織っていて、風が吹くたびに紫の裏地が見えた。
「やれ」
男の声は大きくはない。なのに、風にのってカトリーヌの耳へ届いた。
待って、わたくし、この声をどこかで……。
「カトリーヌ様、立ち止まらないでください!」
焦るマリアに抵抗し、カトリーヌは一瞬だけ立ち止まった。ちょうどその時、風が吹いて、男のフードが外れる。
ふわふわとした柔らかそうな亜麻色の髪に、知性が輝く赤い瞳。
忘れたことなんて、一度もない。
「フリッツ様……?」
「カトリーヌ様、いいから早く!」
「待って、マリア。わたくし……」
「あいつらは、王家を憎む反体制派の集団なんです!」
再びマリアに強く引っ張られた。彼女の力はかなり強く、カトリーヌの力では抵抗できない。
頭の中が混乱して、思考がまとまらない。
やっと、やっと会えたの? あれが、フリッツ様なの?
身長が少し伸びて、体格もよくなっていた。でも、何より、見違えるほど冷たい表情をしていた。
春の朝陽みたいに、優しい微笑みをいつも浮かべていたのに。
フリッツ様に何があったのかしら。王家を憎んでいるって、フリッツ様も?
考えることはたくさんあるはずだ。でも、真っ先にカトリーヌの胸を占めたのは喜びだった。
鼓動が速くなり、体中の血液が沸騰していく。
世界が急に、鮮やかな色を取り戻したような気分だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます