婚約破棄ですか? わたくしの無垢なる涙に魅せられてしまいなさい!

uribou

第1話

 トスワーヌ王国の貴族及び富裕層の子弟が通う王立学園は、『経験せよ』をスローガンとして掲げている。

 経験こそが人生における財産だ、という考え方からだ。


 今年の学園祭は水面下で奇妙な盛り上がりを見せていた。

 王太子アルフレッド殿下がエメリーン・ロジャーグリフ公爵令嬢との婚約を公開破棄するのではないか、との憶測が流れていたので。

 王族の公開婚約破棄に立ち会えるなんて、滅多にできない経験には違いない。


「浮気よ浮気」

「どう言い繕ったところでねえ」

「エメリーン様がお気の毒」


 アルフレッドとデイジー・サムウェル伯爵令嬢とのロマンスはよく知られていた。

 アルフレッドは超が付くほどの美男子で、まずまず優秀な王子だった。

 女グセ以外は特に欠点はないと言っていい。

 デイジーは美貌もさることながらそれはそれは豊かな胸の持ち主で、アルフレッドと並ぶと絵になることは誰も否定しようがなかった。


 一方で悪役令嬢コース驀進中のエメリーンは、抜群に勉強のできる子だった。

 それだけでなく、令嬢達を強くリードすることもアルフレッドをさりげなく補佐することもできるのだ。

 少々垢抜けないところはあったが小柄で可愛らしく、ファンも多かった。

 王太子アルフレッドの婚約者として、欠けるところのない能力の持ち主とされていたが?


「エメリーン嬢に欠けているとすれば身長だな」

「うーん、ヴィジュアル的なバランスと言われるとなあ」

「何言ってんだ。可憐というのはエメリーン嬢のためにある言葉だろ!」

「あなた達外見に囚われ過ぎているのではなくて?」

「そうよ。エメリーン様ほど有能で気さくな方はおられないわ」

「エメリーン様の欠点は、アルフレッド殿下を盲目的に好いていらっしゃることだわ」

「ええ? それ欠点に数えちゃうの?」

「いや、能力的にエメリーン嬢ほど殿下の婚約者に向いてる令嬢はいないと思うよ。そこに議論の余地はない」

「では何が問題なの?」

「主に胸部装甲だね」


 不敬罪はさておき、比較的自由な発言が許されている学園内では、かように無遠慮な意見が飛び交うのであった。

 遅かれ早かれアルフレッドとエメリーンが婚約解消するだろう、とは衆目の一致するところ。

 なるべくドラマチックでショッキングでセンセーショナルな結末になりますよう。

 そしてその現場に立ち会えますよう、と考えていた不埒な生徒は非常に多かったのだ。


          ◇


 ――――――――――学園祭パーティー当日。


「エメリーン・ロジャーグリフ! 予はそなたとの婚約を破棄する!」


 会場に王太子アルフレッドの声が響く。

 婚約破棄マジで来た!

 一瞬のざわめきの後、学園の教師並びに生徒達はアルフレッドの次の言葉、もしくはエメリーンの反論を待った。


 皆が客観的に見るに、エメリーンに非はない。

 アルフレッドは婚約破棄の理由をどのように説明するのか?

 もしくはエメリーンがアルフレッドの不貞を根拠に反撃するのか?

 丁々発止の舌戦が繰り広げられるのではと、皆が固唾を呑んだ。


「はい、婚約破棄を確かに承りました」

「「「「「「「「えっ?」」」」」」」」


 何故に?

 エメリーンがアルフレッドのことを好いていたのは有名な事実だ。

 妃教育もかなり進んでいるはず。

 王家とロジャーグリフ公爵家の結びつきだって重要だ。

 それらを簡単に捨て去って婚約破棄を受け入れる?

 自らが傷物になってまで?


 誰にとっても不可解な事実だった。

 王家とロジャーグリフ公爵家の間で話が付いていたのか?

 ならば婚約破棄宣言自体が必要ないではないか。

 エメリーンの承諾に、アルフレッド自身が意外そうな顔をしているのは?


「……よいのか?」


 何だその間抜けなセリフは!

 毒気を抜かれたようなアルフレッドの声に、皆が心の中でツッコんだ。

 エメリーンは笑顔で答える。


「はい、ようございます」

「何故だ? 文句の一つでも出るかと思ったが」

「いえ、アルフレッド様のなすことに文句など」

「そなたは予を慕っておっただろう?」

「はい。大好きです」


 臆面もなく言った!

 エメリーンに対する好感度急上昇!


「ならばどうして……」

「アルフレッド様はデイジー様に真実の愛を見たのでございましょう?」

「うむ」


 アルフレッドがデイジー・サムウェル伯爵令嬢との不貞を認めた!

 アルフレッドも自分の失言に気付いたか、やや顔が強張っている。

 エメリーンの逆襲が始まる!


「わたくしはアルフレッド様に幸せになってもらいたいので身を引きます。だってわたくしはアルフレッド様を愛しておりますから」


 ウルトラロマンチックキター!

 逆襲なんてとんでもない。

 エメリーンこそ純情乙女、淑女の中の淑女!


「う、うむ」


 ダメだ大根殿下退場しろ!

 配役交代を要求する!


「申し訳ありません。もうアルフレッド様はデイジー様のものでしたね。『愛しております』を過去形に訂正させていただきます」


 律儀!

 そして頬を伝う一筋の涙、一々パーフェクト!

 アルフレッドの横のデイジーまでもらい泣きしている。


「いけない、涙が……」


 慌てて涙をハンカチで拭くエメリーン。

 しかし後から後から溢れてくる。

 アルフレッドによる一方的な婚約破棄だったにも拘らず、誰も王太子の方など見ていなかった。

 ああ、何て美しい涙なのだろう。

 エメリーンがこの場の支配者であることに、異論などあるはずがなかった。 


 エメリーンを慰めてあげたいと皆が思ったが、まだ婚約破棄劇は続いていると全員が理解していたから我慢した。

 まだ一幕あるだろう。


 しかしエメリーンがフリーになったのか。

 本来公爵令嬢など家格が高過ぎる。

 でも婚約破棄された傷物だぞ?

 自分にもチャンスがあるのではと、婚約者を持たない令息達は鼻息を荒くした。


 突然アルフレッドが叫ぶ。


「エメリーン! 婚約破棄は撤回する!」

「え……」

「予が愚かであった。予の婚約者はエメリーンだけだ!」

「アルフレッド様!」


 まさかの婚約破棄撤回!

 そしてアルフレッドの胸に飛び込むエメリーン。

 ええシーンや。

 皆が涙した。


 おっぱい令嬢デイジーが泣きながら言う。


「エメリーン様、私が悪うございました。ついアルフレッド様の寵を得られるなどと、夢見てしまいました」

「いいんです。わだかまりなく解決した。それでよろしいではありませんか」

「えっ、許してくださるのでしょうか?」

「もちろんです。許すも許さないもありませんよ」

「ああ、エメリーン様……」


 大根殿下はセリフなしで抱きしめているだけの方が絵になるな。

 喜劇のような一日が終わる。

 いい経験だった。

 参加者の心に大きな充足感をもたらしたのだった。


 ……エメリーンの涙とともに婚約破棄が撤回された不自然さに、気付いた者は一人もいなかった。


          ◇

 

 ――――――――――後世、歴史家も特異な存在であった王妃エメリーンに注目した。


 女性の涙に魅了の成分が含まれていることは、太古の昔から経験的に知られていた。

 しかし聖光妃エメリーンの涙に含まれる魅了の成分が、他人に比して極めて多量であろうことは、彼女の生前ほとんど知られていなかった。

 個々人で魅了の成分量が異なることが判明している現在だからこそ、推定できることではあるのだろう。

 エメリーン没後の侍医と宮廷魔道士の証言、当時の実態や数々のエピソードから、エメリーンの涙の特殊性はほぼ確実だと考えられている。


 聖光妃エメリーンはその涙を駆使することで、状況を自在にコントロールすることができた。

 ケルイェイツ朝第九代の王アルフレッドの治世が繁栄を極めた理由は、妃たるエメリーンの指導力に尽きる。


 自分の涙は臣民の支配に効果的に使えると、いつ聖光妃エメリーンが把握したかについては諸説ある。

 一説に王立学園の学園祭における、当時の王太子アルフレッドの婚約破棄未遂事件にあったとも言う。

 だがその時既にエメリーンは魅了の涙を十分に使いこなしていたと考えられるから、婚約破棄未遂事件で威力を知ったとするのはおかしいではないか、という反論も根強い。

 もっとも学園祭以前に、エメリーンが場を支配するような涙の使い方をした記録はない。


 いずれにせよ、婚約破棄未遂事件がエメリーンの精神的覚醒の契機となったことは間違いない。

 一介の令嬢は将来の王妃へと脱皮したのだ。

 王妃となるや涙を自在に操り夫王を操縦、その希代の知性を存分に発揮し、王国空前の繁栄を現出した。


 エメリーンが夫王アルフレッドを愛していたことは疑いない。

 それは夫婦の仲が睦まじかったという数々の証言もあり、明らかだ。

 しかしここに提言する。

 エメリーンの愛はもっと大きなものではなかったろうか?


 精神的覚醒後のエメリーンは、参加者の傾向が異なるいくつかのサロンを運営したことが知られている。

 これはより多くの情報を耳にし、彼女の慈愛の目が隅々にまで行き届くようになったことを意味した。

 夫王アルフレッドの治世もまた税制・軍事・厚生・研究開発等、細やかなケアで包み込まれていた。


 家族の小さな幸せと、国全体を覆う大きな幸せ。

 聖光妃エメリーンにとって、ともに愛の産物だったに違いない。

 魅了の涙がもたらしたのは涸れ果てた儚き夢ではなく、未来を照らす恵みの滴であったのだ。


 ――――――――――以上、『トスワーヌ王国史』エメリーンの章より抜粋。

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