第16話「家政婦」



 ご飯を作り、それも食べ終わると私はやっていなかった家政婦の作業を始めることにした。


 昨日、子犬を拾って病院まで届けて先輩の家で寝落ちしてしまってからほぼ一日が経っていた。


「よし、お風呂は終わったしあとは食器を洗ったら終わりかな」


 使ったスポンジを大きな鏡が付いた洗面台の下の収納箱にしまった後、私は先輩が待っているリビングへ移動する。


 かれこれ、掃除を始めてから数時間。前回の掃除からかなり汚くなったことについては先輩に言いたいこともあったけど、この汚さを綺麗にする掃除はやっぱり楽しいなと感じた。


 この副業を始めて早数年。

 最初は大学で培った料理や掃除、裁縫の家事スキルを使えるし小銭稼ぎにできるのならと始めたけど、今ではこれが一種の趣味のように感じる。


 日頃の仕事や責任感から解放されて、目に見えるように部屋がきれいになったり、依頼者の笑顔を見れるというのは本当に気持ちがよく、爽快感がある。


 特に仕事なんかじゃ鬼の経理部と言われて会社の中では少し敬遠されているし、感謝されるのはなかなかない。


「先輩、お風呂の掃除終わったので私はそろそろ……って、何してるんですか?」


 リビングへ戻ると先輩は台所の食器を軽く濯ぎながら食洗機の中に入れていた。そんな姿に驚いた私に対して、彼は全く意に返すことなくいつもの顔を余裕そうな顔を見せていた。


「ん、あぁ、栗花落がお風呂洗っている間にやっておこうかなって思ってな」

「いや、でもそれは家政婦わたしの仕事ですよっ。どうしてやっちゃうんですか。先輩は昔からそうやって……」

「いいじゃんいいじゃん。ほら、昼だって作ってくれただろ? さすがに俺も何もしないわけにはいかないし」

「それはそうですけど……でも一応仕事の一環でやりましたし、先輩からお金もらってるんですよ?」

「ご飯まで作ってくれるコースってプラス一万くらいかかるだろ? それに食糧費だってあっただろうし」

「っべ、別に。好意と言うか、その……」

「あれ?」

「んぐっ……」

「ほら、好意なら個人でやってくれたってことなんだろ? 掃除意外にやってくれたんだから、俺も少し手伝ってもいいじゃないか」

「そ、そうですけどやっぱり……マニュアルでは手伝わせるのはご法度と……」

「はいはい。今更なこと言わなくていいから。それにこれは内緒にしておくから。そこのソファーで座って待ってなって」


 さっぱりと言い放つまったく退こうとしない彼に対して言い返すこともできず、口車に乗せられてソファーに腰を下ろした。

 目の前には五十型の大型のテレビがあり、そこに反射した私と先輩が台所に立つ姿見える。もくもくとこなしていく姿を見つめながら不安になり、振り返ってもう一度先輩に尋ねた。

 

「……やっぱりいいんですか、本当にやらなくて」

「あぁ、任せてくれ。俺が後からクレーム入れるような奴には見れないだろって起きたときに話した通り安心してくれよ」

「そんなこと分かってますけど」

「どうせしっかり洗うのは食洗機だぞ?」

「ま、まぁ」

「というわけだよ、クレームとか気にせずくつろいでくれ」


 私も好意でやったように、先輩が好意でやってくれることにこれ以上は何も言えなかった。作業が終わるのを待つことにしたけど、せっせと流れる水の音にソワソワする。


 クレームとか気にせず、ね。


 確かにたまに難癖みたいなクレームしてくる人はいるけど。

 別に私はそこに関してはもう何も思っていない。

 というか、むしろ最初からそんなことをするような人だと私が疑うわけもない。先輩はそんなことを言うような小さい人間ではない。


 ただ普通に、私も私として先輩にそれをさせるのが悪いなって思うだけだ。

 昼にぶちまけた本音の吐露で、私と先輩はただの家政婦とお客さんに戻ったんだ。お客さんに手伝わせるのはプロとは言いたくはない。


 これでも、家政婦をかなりやっているんだから。

 あとは、ちょっと手際が悪いのも気になるし。


 それに、何度も何度も助けられると……困る。

 気持ちの部分で、かなり、結構、それはもうめちゃくちゃと困るから。


「あ、そういえば言い忘れてたけど、そろそろジャージ脱いだ方がいいんじゃないか?」

 

 悩んでいると水の音が止まり、食洗機のカバーが閉まる音がすると同時に背後から声がかかった。


「ジャージ……脱ぐ?」

「あぁ、いや別に裸とか下着姿見たいとかじゃないぞ!」

「何焦ってるんですか。そのくらい言われなくても分かりますよ」

「そ、それはよかった」


 何言ってるんだ、やっぱり。

 私に抜けてておどおどしてたとか言うけど、私からしてみれば先輩のほうが十二分に抜けているように見える。私に対して言っていたのは昔のことだとは思うけど。でもだ、やっぱり。


「って、あれだよ。そういう変な意味じゃなくてだな時間だよ時間」

「時間……あ、もうこんな」

「うん。もう夕方だし、そろそろ帰るだろ?」

「……確かにそうですね。着替えてきます」


 外はいつの間にか暗くなり、夕暮れの陽は半分沈みかけている。

 これ以上長居するわけにはいかないし、ソファーを立ち上がると先輩は咳ばらいをしながら視線を逸らしてこう言った。


「おう。まぁ栗花落が願うならもう一泊してもいいけど、家も遠いだろうし」

「え、いいん――じゃなくてっ。しませんよっ、それに私の家はここから一駅ですっ」

「そ、そうか。ならいいんだが。一応スーツ寝室のハンガーにかけておいたから」

「は、はいっ……ちゃかさないでくださいよ、もう」

「じょ、冗談だから!」

「……も、もぅ。やめてくださいよ」


 たははは、なんて頭をポリポリ掻きながら自分は寝室を覗かまいと浴室のほうへ歩いていく。


 そう、私が不満なのはこれだった。

 そこではなく、私に対するこの態度が不満だった。

 不満というと語弊がある。

 むしろ、そうしてくれるのは嬉しかった。

 

 でも、それは私のわがままだからだ。ただの客と家政婦、そして元恋人。


 数時間前に吐露した本音から、私と先輩の関係はその三つに戻った。

 未練があり、言いたいことも言えなかったことから解放されて新しい道に歩むはずなのに、先輩はまだこうやって私に優しくしてくれる。


 これじゃあ前みたいに戻ってしまいそうで……。


 —―ブルブルブル。


 すると、急に私のスマホが震え出した。

 その音で先輩が廊下からひょこっと顔をだす。


「ん、どうしたんだ、栗花落!」

「電話です! えっと、もしもし!」


 すぐにスマホを耳につけて話を聞くと、相手は――


「—―んで、どうだったんだ?」

「あ、あの、犬が目を覚ましたから来てほしいって動物病院から!」




 そして、急な電話をもらった俺と栗花落は急いで動物病院に向かうことになった。

 家から近いとはいえ、今回は家から迎えるということでより早く行ける最近は使っていなかった車を用意することにした。


 一度マンションのエントランスに栗花落を待たせて、地下に格納していたハイブリットの軽自動車のエンジンをかける。


 エントランスにつけて助手席に乗ってもらうと少し目を輝かせながら栗花落が呟いた。


「か、かわいい車ぁ」

「え、な、何?」

「これってあれじゃないですか、最新の軽のハイブリットで女性にも大人気な丸くて淡い色が可愛いって有名な!」

「……ま、え、えぇ」

「って、あ! こんなこと言ってる暇ないですね! 行きましょう!」

「お、おうっ」


 急なテンションの高さに戸惑いながらも、俺は法定速度ギリギリを保つレベルのスピードで住宅街をぶっ飛ばした。


 



あとがき

 ジムニーいつか買いたい!!


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