第11話「本心②」
「先輩、その……お風呂貸してくださりありがとうございます」
浴室のほうからやってきた栗花落はとても美しかった。
まるで、自分なんかと付き合っている人ではないかみたいで。昔の芋っぽく、地味っぽかった面影などどこかに消え去ったようで。
きっと、俺でなければ彼女が栗花落ことりだなんて思い出せないほどだ。
「それと、その……私、このジャージ来てもいいんですか?」
思わず見惚れてしまう。
栗花落が身にまとっているのは俺が運動をするために買ったジャージだった。有名ブランドの縦ラインが入り、今ではよくDQNと呼ばれる人が良く来ているジャージらしく、運動する時間もないため着てなかったから大丈夫かなと思って渡してみたがこれはこれで新鮮だった。
思えば、栗花落のジャージ姿なんか高校での体育祭以来かもしれない。
同じ学年でもなかったし、体育をするところも見たことがなかった。それに、次の体育祭は見ることが出来なかったって言うのもある。
そのせいか、とても目新しいものだった。
乾かしたばかりで若干濡れている髪は艶がのり、同じシャンプーで洗ったとは思えないほどに綺麗でどこか妖艶な香りがする。
そして、それ以前に風呂上りと言うのがグッとくる。
昔、修学旅行の温泉の入口でよく感じたあの感情と似ていた。
温泉で女湯から出てくる女子たちとすれ違う時に感じるあの不思議な感覚。
だが、今目の前にいる栗花落から感じるのはそれよりももっと熱く、そして高い――ものだった。
「あ、あぁ……もちろん。」
お湯の温度で恍惚となった頬を見て、ハッとした俺は目を逸らしてしまった。
あぁ、やばい。
未練がましい後悔があったからだろう。
これはやばい。
今度は俺が惚れてしまいそうだ。
「ありがとう、ございます」
俺がポーッとしながら答えると彼女は嬉しそうに頷いた。
そして、言い忘れたのか付け足すように呟いた。
「あ、あの……タオルまだ使っていてもいいですか? その、借りたジャージ濡らすわけにはいかないので」
「別に、大丈夫だぞ。全然かまわないって。栗花落に着られて幸せだと思うし」
「は、はぁ?」
呟いてからハッとする。
セクハラまがいだった。
何言ってんだ。
何が着られて幸せだよ、表現が卑猥だぞ!
ソファーの隣、人ひとり分感覚を開けた場所に座っている栗花落が阿呆なことを言った俺を見つめてくる。
それも上目遣いだ。
もちろん、あざとくはない。
これは背丈の問題だ。
平均身長程度の俺と比べて、栗花落の身長は平均よりもやや小さいくらいだからだ。
ほぼ二十センチ差。頭一個分の差だ。
もちろん座れば座高が高いのは俺のほう。
手を伸ばせば届く距離からのその視線はむず痒かった。
「それにしても……あれだな。栗花落は随分と変わったんだな」
「っ」
話題が欲しかった。
すぐに話し始めるのはちょっと違う。あの頃は世間知らずだったが、リーダーのもとで女性ばかりの会社で働いて今の俺はもう色々と接し方を知っている。
だが、その話題を間違えたかもしれない。
動揺していたらしい俺も。
そう言うと隣に座っていた栗花落は髪を梳かす動作をビタッと止めた。
勿論、焦った。変なこと言ったかもしれないと。
そりゃ、元カノに対して言う言葉としては何か期待しているようにしているだったからだ。
「あ、いや別にその悪い意味とかでもないんだけど……ただ、その可愛くなったなと」
すると、もう一度栗花落は止まった。
そして、すぐに肩を揺らし始めた。
「……っふふ」
「え?」
肩を上下に、そして前屈みになると口元に手の甲をくっつけながら体を揺らしていた。
そう、彼女はクスクスと笑みをこぼしていた。
「俺今おかしなこと言った?」
「い、いえ、別に。ちょっと面白かっただけですっ」
「面白い? でも俺は別に栗花落がその、変わったなって言って……本気でその、思ってるよ。昔よりもかわいいというか、綺麗になったって」
「綺麗、かわいい。そうですね。そう言ってもらえるのなら嬉しいです」
栗花落はどこか涼しげで嬉しそうに笑っていた。
それに、さっきまで表情に乗っかっていたはずの緊張の色が消えているのが分かった。
「でも、なんだか緊張が解けました。やっぱり優しいんですね、先輩は」
「そ、そうだな。そんな感じがするよ」
「分かりましたか?」
「まぁ、昔から栗花落って結構顔に出る人だったし」
「あぁ……お、覚えてたんですね」
「そりゃあ。忘れないっていうか……あっ、いやこれも別に今更続けようとかそういうのじゃなくてあのだなぁっ」
「っふふふ」
慌てて言いだすと栗花落は面白そうに肩を揺らし始める。
「お、おい。そんなに面白いか?」
「はいっ。面白いです」
「そ、そうか」
「つまらないよりかはいいじゃないですか。昔とずっと変わらない、その慌てようは好きですね」
「好きって、なぁ」
「あはははっ、先輩は純粋なんですね」
その一言に胸が跳ねた。
我ながら純粋なのか、それとも仕事の疲れから幼児退行しているのか。
全く恥ずかしいが、顔が熱くなる。
ほんと、昨日からずっと無自覚無防備なのはやめていただきたい。男って言う生き物は大抵そういうところでパッと好いてしまうものなのだからだ。
まぁ、一目惚れしたのは俺ではなく栗花落の方だったけど。
さすがに言われ笑われようは嫌だったので俺も言い返した。
「……それを言うなら栗花落だって結構じゃなかったか?」
「む、昔ですよ? 今は違います……まぁ、いい意味に違えばよかったんですけど」
「どうしてだよ。昔も今も純粋に見えるぞ?」
何か悪いことを言ったつもりはなかった。
しかし、その瞬間。
この瞬間まで浮かべていた笑みがすっと消えていくのが分かった。
「っ……」
やってしまった。
地雷を踏んだのか。
そう思いながら、生唾を飲み込んだ。
そっと顔を覗き込む。
冷たい、ただどこか悲しげで、それでいて悔しそうな、ばつが悪そうなあの日の表情を浮かべていた。
思えば別れてから八年。
俺は研究やらで何もしていなかったこの期間は、彼女自身にとって何かが起きてもおかしくないほどの長さだったことを忘れていた。
「あ、いや……ごめん。忘れてくれ」
もっと慎重にするべきだった。
そう後悔していると、彼女は頭を横に振った。
「純粋では、ありません」
「えっ」
「でも、そうやって私のことを思って言葉を選んでくれる先輩は優しくて、嬉しくて……私自身、こんな人にそう思われているのが光栄なくらいです」
儚げ。
そんな言葉が似あう表情だった。
「……先輩。私の話、聞いてくれますか?」
言わずもがな、答えは決まっている質問を弱弱しい声で尋ねてきたのだった。
◇
私を知ってもいいことなんかないんだ。
あとがき
いちゃいちゃさせたい!!!!
読んでいただきありがとうございます。少しでも続きが読みたいなと思っていただけたらぜひ、フォロー、コメント、応援、レビューもしてくださると大変励みになりますのでよろしくお願いします!
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