第4話「犬を拾う元カノ」




 週末はあっという間に過ぎ、金曜日の朝。


「おはよーございまーす」


 朝一の研究室に出社し、一人デスクに座っていたリーダーのところへ挨拶をしにいく。


「おう、おはよい。藻岩くん」

「よいってなんですかリーダー」

「うん? あれ、最近は若い者たちの間でこう言う言い方流行ってるんじゃないのか?」

「……多分、流行ってないですよそれ。どっちかと言うと最近はひき肉……あぁ、いや、なんでもないです」

「ひき肉がなんだって?」

「いやぁ、美味しいですよね~~って」

「はぁ?」


 生憎と俺ももうすでにアラサー、今更流行についてもよく分からないし、なにより俺が知っている流行ももはや過ぎ去ったものかもしれない。


 それを先輩リーダーに言うのも何か悪い気がした。この人、結構若い女の子たちに話しかけるし。


 と言ったが、彼は物凄い人である。

 鮎川一郎あいかわいちろう御年四十六歳、現在では俺が所属する次世代パワー半導体開発を担う第一研究室のリーダーであり、同時に近くの私立大学の客員教授でもある。


 高校時代から全国模試で理系分野で一桁順位をマークし、大学では一年からいきたい研究室に通いつくし、四年生の時には現在の半導体薄膜の作製技術の確立に関わり、大学院修士、博士課程を通して海外の学会で技術発表を経て、一般企業の研究職に就職し、翌年には私立大学の助教へ就任。

 三十歳になると講師になり、三十五の歳には准教授、翌々年には教授に就任。現在ではその凄さを買われて会社の研究チームのリーダーをしているという。


 俺なんか修士課程でようやく一つの成果を出せたと言うくらいで、当時はそれでも凄いと褒められたがここまで次元が違う人が周りにいると大したことなかったんだと考えざる負えない。


 将棋界には藤井聡太がいるが、うちの研究室には鮎川一郎なるものがいる。


「それにしても、他のチームの同僚から聞いた話なんだがな、藻岩くん」

「はい?」


 そんなのリートリーダーはちらほらとオフィス内に入ってくる女性社員を見つめながら、真面目に声色を変えて訊ねてきた。


「彼女、できそうなんだって?」


 訊ねてきた――何を言うかまではそう思っていたが。


 え、何言ってんだ?


「は、はい?」

「いやぁ、ほらさ。君と仲のいい優秀な研究員がいるだろ? 同僚の——久遠くんだっけ? 聞いたんだよ、なんかいい相手がいてそのまま~~って流れで出来たとか」

「……俺が、彼女と?」

「うん。もしそうなら私の方からもお祝いをしなきゃなと思ってね。そろそろ結婚を考える歳頃だろうしねぇ」

「……け、っこん」


 話が飛躍しすぎて理解できなかった。

 いや、確かに元カノと出会ったは出会った。

 出会うと言うよりも再会したと言った方が正しい。

 臨んだ形ではなく、中々珍しい仕事相手の関係として再会はした。


 そこまではいいとして、どうして彼女になる。

 というか、どうして結婚相手になる。

 いやその相手との恋愛を引きづっている俺からしたらそんな風に進められたらと思っていた時期もあるがそんなこと現実で起きるわけが無い。


 そして、どうしてリーダーがそんなことを知っているんだ?


 久遠が……言ってた?

 

「あいつ、もしかしてっ⁉」

「あれ、なんか言っちゃ悪いこと言ったかな?」

「あのリーダー、それ嘘です。それと三十分だけ休憩貰います!!」

「え、いやちょっと」

「すみませんっ!!」


 思えば俺が家政婦についての話をしたのは久遠の一人。


 性格上、確実に言い触らしている可能性がある。

 俺は今日あるであろう実験をほっぽりだすのを理解したまま、リーダーにそう言い捨てて走っていった。





「はぁ……さすがに、疲れたぁ」


 時刻はあっという間に夜十時すぎ。


 あれだけ明るかった太陽は何処かに消えて、俺は電車から降りて徒歩二十分の家までの道のりを街灯に照らされながらフラフラと帰っていた。


 結局、あの後どうなったかと言うと色々と説明は聞いたのだが久遠が噂を流したわけでもなく、ただただリーダーの勘違いだったらしい。


 久遠が昨日会社に来た時にリーダーに声を掛けられ、共通の話題が俺のことだったらしく、俺のことを面白おかしく褒めていたら話が若干ねじ曲がって伝わってしまったとのことだ。


 まぁ、元カノについての話くらいならかなりの社員さんにも彼女出来ない理由で話してもいるし久遠もそれをよく見ていたからこそ言ってしまったのだろう。


 それにうちのリーダーも頭いいが故に少し話を読み過ぎるところがあるため仕方がなかったと思う。


 久遠については今度ご飯をおごってもらうことになったし、リーダーも何か女性関係で相談したいことがあればいつでも言ってほしいと謝ってくれたから噂が流れることはなかった。


 いやはや、それにしてもリーダーがあの研究者的性格で奥さんがいるのには驚きだった。


 あの人、指輪してなかったし。


 指輪があると研究に支障が出るから使ってないらしいけど、この二年間上司に奥さんがいることを知らなかったのはさすがにどうかと思う。


 もっと他人にも興味を持った方がいいかもしれない。





「……はぁ。今日くらいは適当にご飯でも宅配してもらおうかな」


 ほぼ誰もいない、たまに通るタクシーの音さえなければ何も音がない静まり返った住宅街をゆっくりと歩いていく。


 そんな街を歩いているといつも思うことだが”何にもない街”に思える。


 北海道の田舎にある実家を出て、大都会東京に移り住んだ大学時代。



 行くとこ為すとこすべて新鮮ささえ覚えたあの時代からすると、戻ってきた北海道のなんでもない街の景色は少し刺激に欠ける。


 別に刺激を求めているわけでもないが、なんだか心が平穏すぎると言うか。胸躍らないと言うか。最近は色々あったからいいものの、今まで特に何が起きるわけでもなかったし。


 それに、他の職種よりも発見と言う面白さはあるものの刺激が足りなくなった今、やり込んだRPGの世界を見ているような気持ちになる。


 いつもの片側三車線の広い道路。

 いつも渡る川にかかった大きな橋。

 そして、いつも歩く河川敷の遊歩道。


 何もかもがいつも通り。


 明日の午後の数時間は少しだけ気まずいだろうが、これも俺が始めてしまった気まずさなので文句は言いたくない。


 それに、家政婦さんめちゃくちゃいい。

 元カノどうこうよりもあの一日で部屋が住み着いた初期の部屋に戻ったし、かなりいい。


 この体験期間が終わっても引き続き掃除をしてもらいたいものだ。


 ……変わらない河川敷がまさか昨日までのことだとは知らずに。






「……ねぇ、ボク。こんなところにいたら風邪ひいちゃいますわんよ?」






 くだらない話を頭の中でしながら閑散とした物静かな河川敷を歩いていく。

 一歩一歩、踏みしめる分、疲れがドシドシと押し寄せてくる。

 

 そんな俺の耳に、聞き覚えがあった声が入ってきた。


 聞き覚え、どころじゃない。

 聞こえた瞬間、その声を出した相手が誰だったかを理解した。


 察しが付くも何も、思い起こされる過去の思い出。

 綺麗で透き通った水のような声音に、すっと入り込んでくる自然な声色。


 懐かしさ、なんてものじゃない。

 最近聴いた、彼女の声だった


 俺はすぐに顔を上げる。

 地面の凸凹から、声のする方へ視線を移す。


 河川敷の遊歩道、その先に見える彼女の姿。


 無造作に置かれた汚いダンボールを前に、リクルートスーツにマフラーを巻いた小さい背中。

 亜栗色の髪の毛は会社仕様なのかウェーブはなく、すらっと肩上まで伸び、口元からは白くなった息が見えている。


 そして、目線の先。

 何とも言えない瞳の色で見つめていた先には両手で脇腹を抱えられた一匹の子犬。


 そんな姿を見て思わず、喉から勝手に声が出てしまった。


「あの……」


 ビクっと肩を揺らして、恐る恐る振り向いてくる彼女。

 

「……っせ、先輩⁉」


 動揺し目を見開いているOLはつい先日再会した家政婦さんであり元カノの”栗花落ことり”その人だった。


「ワン!」






 恋のキューピット、参上。




あとがき

 続きが気になるなと思ったらぜひ、応援、コメント、フォロー、レビューお願いします。励みになりますので。

 コメントくださった方々、本当にありがとうございます。ここでお礼を申し上げます。



 


 

 



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る