第3話「後悔(修正済み)」
◇
「へぇ、それでうちの次期主任ちゃんはぁ、悶々となって誘惑に負けて、それで初恋の相手のぉ、ボクサーパンツのにおいを嗅いじゃったと~~変態さんですなぁ」
「ば、馬鹿言わないでよ!! か、かかかか、嗅ぐわけないじゃないの!!」
今週も何も変わらない会社の五階の経理部オフィスの窓際。
正午ちょうど、社員が続々と食堂に行く中。
午後の会議に向けて資料を確認している私に隣のデスクに座る同僚が話しかけてきた。
彼女の名前は
すみすみとあだ名をつけていたほど仲の良い、年齢が一緒で大学からの同期である。
純玲の手にはカロリーオフと書かれてあるゼリーに、デスクの上にはコンビニで買ったであろう小さめのサラダが置いてあり、どうやらこれが今日のお昼ご飯らしい。
体型からして私よりも細くてスタイルもいいのにまだやる必要があるかとは思うのだが、それについて話すとどうやらセンシティブな話題らしく露骨に顔を顰めるので聞かないようにしている。
—―と、彼女の話は置いておくとして。
隣の同僚は笑いながらとんでもないことを言ってきたのだ。
純玲は私が副業をやっていることを知っているために行っているいつもの進捗報告、というより土日に何があったかの雑談で。
私がたまたま、家政婦で行った先の家が元カレの家だったことを言ったらこんなことを唐突に言われた。
別に、今までも同じような話はしたことがあるし、特に最初なんか男女限らず下着を触るのが辛かったと言っても「羨ましい」としか言ってこなかった同期もというのに元カレの話に変えた途端にこれだった。
「そ、そんなわけ……だいたい、動揺していた私にそんな余裕はなかったわよ!!」
怒号にならない悲痛の叫びが経理部のオフィスに響き渡る。
「っちょ、冗談だから! ことっち!」
「うぇ。あっ……つい」
無論、被害甚大。
トイレに行って帰ってきた後輩社員や先輩社員の視線が一気に集まった。
そしてその波は経理部だけではなくそのすぐそばにオフィスを構えた法務部と営業部の社員からの視線も感じ、私は焦って彼女の手を引いた。
◇
やってきたのは特に理由もなく、会社の屋上だった。
手すりに腰を掛けて、空を見上げながら片膝に手をつく私たち。
「……っはぁ、はぁ」
「んも……っちょっと、は、考えてよ……ねぇ、次期主任さんっ」
息切れ、歯切れも悪い。
何より調子が狂う。
土曜日から色々とおかしくなっていた。
「わ、悪かったわよ……でも、さすがにあれはひどいわよっ」
「んはははっ。冗談じゃん、いつものさ」
「私は本気で悩んでるのよっ」
「本気で悩んでるわりにはねぇ、顔赤いし、それにどこか嬉しそうだったじゃない?」
息切れしながら膝に手を当てる私に対して、元運動部の純玲は怪しげだなぁと視線をジロジロと合わせてくる。
「う、嬉しいわけっ——」
思わず、反射で否定しようと口が動いたがぴたりと喉元から声が出ずに立ち止まった。
嬉しい。
私は嬉しいの、だろうか?
頬っぺたに手を当てるとほんのり暖かい自分の頬に、冷え性なせいで冷たく冷え切った体温を感じる。
暖かかった。
でも、嬉しいかどうかなんて分からなかったし、理解できなかった。
この感情が嬉しい?
何とも言えないモヤモヤ感はあった。それがずっと晴れなくて、日曜日昨日なんてベッドから出ることすらも出来なかった。
日課の散歩に、気分転換の読書も出来ずに心に溜まり溜まった何かが私を支配している様で苦しくて。
「わけ……ない?」
立ち止まって、視線を落していると彼女は目を合わせてそう言った。
「い、いや……分からないわ。私って嬉しがっているの?」
「それはうちには分からないけど、嫌そうには見えないよ」
「……え」
一目見た瞬間、何も思えなかった。
目の前に現れた身に覚えしかない先輩の顏。
確かに、高校生のよりかは変わっていた。
顎に残った青髭に、さっぱりとしていた髪の毛は眉毛を隠すほどまで伸びていて、体格も若干細くなっていた。
でも、どこかに感じる面影が私の視線と声帯を固まらせていた。
何も思えなかった――いや、そうじゃない。
何も思えてしまっていたんだ。
無数に湧き上がる感情が脳の回路をショートさせて、選択肢が無数に浮かび上がってきて慌てかけて、それで業務通りマニュアル通りに事を進めて。
当然のことを演じていたつもりだったが無理でしかなくて。
先輩に手を掴まれた瞬間は血の気が引いた。
音が聞こえなくなり、バクバクとなる心臓が苦しくて涙が出て。
咄嗟だった。
零れる涙を擦って、まるで火の粉をかき消す様に必死でいた。
後ろを向いて顔を見えないようにするのが精一杯で。
それを見て、先輩は驚いたように手を離して。
すぐさま思った。
また、こうなるのかと。
あの時とより一層私は後悔したが時はすでに遅かった。
言うべきだったんだ。
言おうとしていた。
何かアクションをしようと、その絶好の機会を見逃した。
「……分からない、わよ」
分からない。
今自分が何を考えているのか、そして何より今自分がどう思っているのかが分からない。
自己分析をしていたつもりが、こうして
いつの間にか、腰をついていた手すりを滑り落ちるように地面に腰を下ろしていた。
「恋愛って難しいわよね」
すると、そんな私に向けて純玲が呟いた。
「ほら、相手の事まったくわからないじゃない? それで考えてもその時は分からないのにさ、数年後冷静になって考えてみると色々と見えてくるじゃん」
確かに、と。
珍しく正論を真に受けてしまった。
ただ、本当にその通り。
あの時は冷静じゃなくて見えなくて、理解も出来なくてしようもしなくて。
自分よがりだった空間は自分よがりのままで。
思えば数年、時が過ぎている。
後悔してからじゃ遅い。
「ほんとにひどいけど。見えてくるものは仕方ないしさぁ。こうしてばよかった、ああしてばよかって選択肢が浮かんでくるじゃん?」
勿論、あの時。
高校の玄関で、涙ながらにも本心を言っておけば変わったとは今でも思っている。
「でもさ、普通ならもう一度はこない。こうしておけば、ああしておけばなんてとき来ないし……だからこそ、次出会える素敵な人のためにとっておくものだと思うの」
そうだ。
でも、私は五人とも同じように失敗してきた。
身勝手さ、私の間違いや、相手の間違い。
嫌なところもお互いに変わってくれるのを待つだけ。
人間言わなきゃ分からないんだ。
でも私たちは言うことを忘れて、考えてもいなかった。
指摘すらもしなかった思いやりのない気持ちも。
変えるべきは自分だと見抜けたかった気楽な考えも。
そして、漬け込んでくる人を見抜けなかったまぬけさも。
愚かすぎて、頑張ることさえ諦めていた。
「ことっち。そんな中、でもことりは再会したんでしょ?」
「う、うん」
「じゃあ……言わなかったこと、言うべきなんじゃないの?」
言ったほうがいいんだろうか。
何よりも、言えるのだろうか。
あんなことを言った私の謝る言葉なんて聞きたくないんじゃないのだろうか。
「ことっち?」
「な、何?」
すると、純玲は屈んで目を見つめながらこっちに近づいてきた。
冷たい手を感じて、「つめたっ!」と雰囲気を壊すようなことを呟いたがそれでも真面目に胸に一緒に手を当てる。
「ことっちはそれでもいいの?」
「嫌よ」
自分でも驚くほどに即答だった。
「早っ⁉」
「っだ、だってそれは……うん」
「はははっ。どんだけだよ」
苦笑いを見せて、もう一度手を押し込んであててくる。
「ことっち、覚えてる? 大学の時に話してくれた高校時代の先輩彼氏の話するとき。めっちゃ楽しそうに話してたんだよ?」
「そ、うだっけ?」
「うん。半分愚痴言ってたけど。でもそれも含めて嬉しそうだったよ?」
「……そ、そうなんだ」
「言うなら言うべき。復縁なんかしろって言わないけど、心晴れないでしょ?」
確かに、モヤモヤはずっとあった。
「
あぁ、私は馬鹿だ。
ほぼ十年越しに再会した過去の相手に、何を思っているのだろうか。
◇
「やり直せないわ」
「違う違う。次の恋愛への一歩!」
「……今度、奢るわね」
「あ、じゃあ奢る代わりに先輩からいい男いないか聞き出してくれない?」
「さっそくそんなこと言えるわけないでしょ!!」
修正お騒がせしました。
あとがき
読んでいただきありがとうございます。
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