074:プロモーション
「ユーくんの強いコマが取られちゃった……大丈夫かな?」
「何か狙っていない限りは無理じゃろうな。それにユウジはチェス初心者。作戦があるようにも思えん」
負けそうなユウジを心配するアヤカと諦めモードのイリス。何かを期待していたイリスは少し残念そうにしている。
アヤカの腕の中でキンタロウは無邪気にキャッキャと笑っている。
イリスはアヤカの肩からキャッキャ笑うキンタロウの前に飛んだ。そのままマシュマロのように柔らかいほっぺに抱きついた。
「キンタロウは元気じゃのぉ」
「イリスちゃんとキーくんはなんだか姉弟みたいだね」
「そうかのぉ。それにしてもキンタロウの頬は柔らかいのぉ」
アヤカは姉弟のような2人をニッコリと見つめた。その後、ユウジの戦いへ目を向ける。
黒田はユウジのクイーンを取ってからは積極的に攻めている。次から次へと攻める攻める攻めまくる。
ユウジはキングを守ることで精一杯。キング以外のコマはどんどん取られていく。
「でも逃げてばかりじゃないぜ」
チェックを宣言されてから逃げの一手のみだったユウジがだったがナイトを掴んだ途端ニヤけた。
ナイトはアルファベットの『Y』の字を四方向に広げたような動きをするコマだ。ユウジが動かしたナイトは黒田のポーンを飛び越えてクイーンを取った。
そしてユウジは獲物を追い詰めた猛獣のような表情を見せながら宣言をした。
「チェックだ」
クイーンを取られたお返しをユウジはやってのけたのだ。
その瞬間、空気が変わった。今まで肉食動物に追いかけられていた草食動物のウサギは、ただ追いかけられていただけではない。肉食動物を罠に誘い込むために逃げ回っていたのだ。
「やられた。やられた。やられた。初心者だと思って舐めてた。これを狙ってたってことか」
「い~や、さっき思いついたからここまで誘い込んだ」
「フッヘッヘッヘッヘヘ。面白い」
この対局で初めての『チェック』を宣言したユウジ。防戦一方だったがこの一手で形勢逆転した。今度は黒田が攻められる番だ。
黒田はキングを逃すかユウジのナイトを取らなければ負けてしまう。しかし黒田はユウジのナイトを取れる一手がなかった。なのでキングを逃すしかない。
逃げる黒田のキング。ユウジはキングを追い詰め、連続で『チェック』と宣言した。
「チッ、まずいな」
黒田は焦り始める。そしてユウジを初心者だと思い舐めてかかっていた自分に反省した。
それからは黒田もじっくりと手を考えながらユウジのコマから逃げていく。上手く逃げ切り『チェック』の真の手から逃れることができた。
黒田は、まだ気付いていない。それすらもユウジの作戦の一部だったことに。
ユウジのポーンは黒田側の最終列に到達した。ポーンが相手側の最終列に到達するとプロモーションする。最終列に到達したポーンはクイーン、ビショップ、ナイト、ルークのいずれかの好きなコマに昇格させなければならない。
もちろん昇格するコマはクイーンだ。ユウジのコマにクイーンが復活した。
「逃げていたと思ったら突然と攻めた。そして攻めきれずにどうすることもできなくなったと思っていたら攻めるために準備をしていたとはな。お主のパパはやるのぉ」
「キャッキャキャ」
キンタロウの頬を枕にしているイリスはユウジの奇妙な手に関心している。言葉は通じてはいないはずだがキンタロウは無邪気に笑っている。
その一手からはユウジが優勢になっていった。別のポーンが再び最終列に到着しクイーンにプロモーションしたのだ。
2本のクイーンで攻めるユウジ。黒田はもう逃げられない。
そしてその時はきた。ユウジはクイーンを持ち動かし宣言をした。
「これでチェックメイトだ』
チェックメイト。この言葉は今の1手でゲームが終了したことを意味する言葉だ。つまり宣言をしたユウジの勝利が決まったのだ。
ユウジはチェスの初心者。基本的なルールしか知らない。しかしユウジは黒田に勝利することができたのだ。もちろん黒田が弱いわけではない。ユウジ自身気付いていないことだがユウジには圧倒的にセンスがあるのだ。
勝利への戦略を思いついた途端、戦略と盤面の歯車を合わせるために動く。歯車が合わさればあとは時間の問題。そんなゲームセンスを無自覚で行っているユウジは神様にとっては恐ろしい存在だろう。
「ありがとう。黒田」
「フヘヘッヘヘ。完全に俺のミスだ。もう無理ってわかった途端からミスの連発でかなり焦ってたわ。もう少し冷静になっておけばよかったぜ。おめでとう。金宮ユウジ」
黒田は負けを認め勝者に手を差し出し握手を求めた。それは両者を称え合う握手だ。もちろんユウジもその手を握った。
「勝者は白のプレイヤーだ! おめでとう!」
チェスを見ていた案内兎のクロは小さなもふもふの手をユウジに向けて勝者を告げた。
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