第4話 上屋敷緋色は決断した

 安全地帯など存在しない。

 緋色もイズルも臨戦態勢は解かないまま、会話を交わしていた。


「ごめんなさい。あの時、ここのことを伝えていたら上屋敷さんまで囚われずに済んだのに」

「逃げたのは私だよ。引け目に思わないでほしい」

「……分かりました。とりあえず、事実から伝えますね。あたしたちが黄泉国から脱出することは不可能です」


 そうか、と頷く。

 イズルと出会ったのは脱出も簡単な浅層だったのに、未だ黄泉国に囚われているのだ。信用できる証言だった。


「一緒にいた彼らは?」

「あの人たちは普通の探索者です。脱出の方法を探しているときに行き合って、それ以来、物資を融通してもらう代わりに駆除の手伝いをしています」

「なるほど。だから一人だけ無事だったのか」

「はい。もう長いから」


 昼も夜も存在しない、地の底。それに加えて、睡眠も食事も必須ではなくなった身体。

 時間感覚の喪失は避けられないからこそ、イズルがどれだけ長期にわたって囚われているのかが垣間見える言葉だった。


「正気を失うまで、永遠に彷徨い続ける。それが黄泉国に囚われた死に損ないの運命です」

「そう、か」


 緋色は思案する。

 緋色にとって、死へ惹かれるのは当然の衝動だ。呼吸と同じように思考して、けれど特に理由はないから、家族が苦しまないように大義名分を求めてきた。


 決して、消えたいわけではない。ただひたすら、死に焦がれているだけ。

 何度も何度も、致命傷の痛みを受けても衝動は消えない。生への渇望を獲得できる気は、しない。


 確かに。まどろみの中で迷宮意思が語っていたように、ここは死にたがりにとっての地獄だ。正気を──死を望む理性を失えれば話は早いが、いつの話になることか。


 緋色はふう、とため息をつく。

 能動的な解決策は、初めから知っていた。あまりにも薄い可能性だから、脱出を図っていただけであって。


「分かった。やっぱり、ここを攻略する以外にはなさそうだね」

「……攻略?」


 きょとんと、イズルは首を傾げる。

 探索者なら知らないはずがないのだが、と内心で疑問を抱きつつも、緋色は三十年前に明らかになった迷宮の特性を告げた。


「迷宮には、核がある。最深奥に辿り着いて核を破壊すれば、迷宮は死んで魔物も生まれなくなる。この特性も消えるはずだ」

「へえ、そんなことがあるんだ。あたし、世間知らずで」


 その発覚は事故だった。

 迷宮の崩落に巻き込まれ、進退極まった探索者たちは、偶然にも深奥に辿り着き、発見した核を破壊。脱出に成功しただけではなく、以後、その迷宮から魔物は消えた。


 迷宮は、進めば進むほどに危険度が増していく。ほんの浅層ですら指折りの危険地帯である黄泉国の攻略など、それこそ正気を失うのとどちらが早いかというレベルだろう。

 とはいえ、正気を失うならそれでよし。黄泉国を攻略し、この地獄から逃れられるならそれでよし。どうせやることもないのだから、挑んで損はない。


「──はは、そうだな。おめえらみたいなイカれ女なら、それが一番手っ取り早いだろうよ」


 声も肯定している。キンキンと響く声に顔を顰めつつも、緋色は深層に続く方向へ顔を向けた。


「イズル、あなたはどうする?」

「……え? どうする、って」

「正気を失くすまでの暇潰しのようなものだからね。付き合ってくれるならもちろん嬉しいけれど、これまで通り、探索者を手伝うのも悪くはないと思う」


 今回、緋色が黄泉国を訪れたきっかけである巨大地震。そこで探索者たちに一人の死者も出なかったのは、イズルが一人で魔物の襲撃を防いでいたことが非常に大きい。

 迷宮の攻略という根本的で、無謀な解決を目指すか、魔物の駆除という現実的な対処を行うか。人類にとっての益を考えるなら、むしろイズルは残った方がいいのかもしれない。


 問われたイズルはしばらくの逡巡の末に、古びた硬貨を取り出した。

 硬貨が飛ぶ。地面に落ちて、表を示す。けれどイズルは表裏を確認することなく、言った。


「行きます。あたしだって、いい加減に終わりたい」

「分かった。行こう」


 深奥を目指して緋色とイズルは進み出す。

 心を焦がす衝動から逃れるために。

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