②
ぱたぱた…と足音がして、五十代くらいの女性が顔を出す。
伯父さんの奥さんだった。
伯父さんの奥さんは僕を見るなり、「あら!」と口元を押さえた。
「ミヤビ君じゃないの! 帰ってたのね!」
「…いや」
「ちょうどよかった。今、荷物の整理をしてたところなのよ」
ちょっと、タイミングが悪かっただろうか…?
「あなた! ミヤビ君が帰ってきたわよー!」
奥さんはそう言って、部屋の奥に呼び掛けた。
少し小走りの足音が聞こえ、僕たちの前に伯父さんが現れる。伯父さんもまた、僕を見るなり「あ!」と驚いた声を上げた。
「ミヤビ君! 帰ってきてたのか!」
「…はい。日帰りですけど…」
「この前はどうしたんだ! 急に電話が繋がらなくなるし…、そのあと、音沙汰ないし…」
「すみません、スマホの調子が悪くて…」
スマホは壊したきりで、買い替えてはいなかった。
「まあいいや、とにかくあがりなさい。おばあちゃんにお線香をあげに来たんだろう?」
伯父さんはそういうと、奥さんと一緒に一歩下がって、僕が上がれる分のスペースを開けた。
僕が靴を脱ごうとしたその時、初めて背後の紗枝について聞いてきた。
「それで、君の後ろの女の子は?」
「あ、ああ…」
少し悩んでから頷く。
「僕の彼女です」
その言葉に、紗枝が頬を赤らめる。と同時に、色恋沙汰に目がない奥さんが声を上げた。
「あら、彼女さんと一緒にお参りに? ミヤビ君も大人になったねえ」
「まあ、はい」
「これで天国のおばあちゃんも報われるわね」
「…………」
その言葉に、何か思うところがあって、僕は聞いた。
「どういうこと、ですか?」
奥さんは困ったように笑った。
「ミヤビ君が大学に行っている間ね、おばあちゃん、『ミヤビにぴったりの女を用意しなきゃならん』って言って、若い女の子がいる仲のいい知り合いに、電話をかけていたのよ」
「………」
背筋が、冷たくなった。
「…そうですか」
きっと、周りからは邪険に思われていたに違いないな…。
平静を装った僕は、靴を脱いで上がった。
紗枝も靴を脱ぐ。うちの上り框は高いので、腕を持って支えてやった。
仏壇へと歩いていくまでの間も、奥さんは嬉々として、祖母のことを語った。
「遺品整理をしているんだけど、すればするほど、おばあちゃんがミヤビ君思いだったってことがわかるのよねえ…」
襖をあけて、仏壇に通される。
祖母の遺影が飾られた、黒い仏壇があった。親戚からもらったのか、たくさんのお供え物が置いてある。その少し前には、ガラクタと言えなくもないものが沢山詰みあがっていた。これが、奥さんの言う遺品整理なのだろう。
「ほら、これ」
奥さんはそう言って、ある段ボール箱を手に取った。
紗枝と一緒に覗き込み、戦慄した。
その中には、たくさんの服が詰まっていた。
「おばあちゃんね、ミヤビ君のために、たくさん買い集めて、送ってあげる準備をしてたのよ」
問題は、そのデザインだ。
うんこみたいな色のセーター。おはぎみたいな色のジャケット。抹茶みたいな色のズボン。曇天みたいな色の徳利。それだけじゃない。よくわからない英字Tシャツに、キャラクターものの七分袖。まるで、小学生みたいだ。
まるで、「お前はまだ子供だ」とでも言うみたいに、箱の中に綺麗に畳まれて詰まっていた。
「おい。とりあえず、お線香をあげてから」
そういう伯父さんを無視して、奥さんは「ほら、これも」と言って、また新たな遺品を取り出した。
「ミヤビ君が水泳が好きだっていうから。集めていたのね」
「………」
渡されたのは、スケッチブック。広げると、水泳記事の切り抜きが、全ページにわたって貼り付けられていた。そして、ページの最後には、「ミヤビに送るもの」というメモ書きが残されていた。
僕が、水泳が好きだって?
いい記録が出ないたびに、殴られて、倉庫に閉じ込められて、川に突き落とされたのに?
「ほら、これも」
奥さんはそう言って、見慣れない水着を僕に渡した。
「ミヤビくんが大人になっても水泳を続けられるように、買ってたみたいなの」
「………」
競泳水着とは言えない、スーパーの横のブティックで買ったらしいただの水着。そして、サイズが合っていない。
奥さんは大げさに涙ぐんだ。
「ミヤビくんは幸せ者だね。こんな孫思いのおばあちゃんに育てられて…」
「……」
「おばあちゃんも幸せ者だわ。ミヤビ君が、こんな優しい子に育ったんですもの」
ねえ? と言って、伯父さんに同意を求める。
伯父さんもまた、ふふっと笑って頷いた。
「そうだね」
「…………」
二人は「さあさあ」と声をそろえると、祖母の仏壇を指した。
「長話悪かったね。ほら、ちゃんと、線香をあげて、感謝の気持ちを伝えよう」
「…はい」
僕は頷くと、一歩前に出た。能面のような顔で、祖母の仏壇と対峙する。
隣には紗枝が立って、僕を心配そうに見つめた。
はっとした僕は、力を抜いて笑った。
目を閉じる。
瞼の裏に浮かぶのは、十八年にも及ぶ、祖母との暮らし。
僕が失敗するたびに、祖母は僕を殴った。口汚く罵って、首根っこを掴むと、倉庫に閉じ込めた。夕ご飯抜きなんてことはざらで、下手すれば朝ごはんも抜きになった。貧血になって倒れても「心が弱いせいだ」なんて言って、僕を殴った。僕はサッカーがやりたかったのに、「サッカーは馬鹿がやるスポーツだ」なんて言って、水泳をやらされた。いい記録が出なければ、殴られた。倉庫に閉じ込められた。ご飯を抜きにされた。
僕が友達を作れば、「もっといい奴と付き合え」と言って、引きはがした。僕が人を助ければ「あんな奴助ける必要はない」と言って殴られた。
着るものも、食べるものも、自由にさせてくれなかった。
勉強を自由にさせてくれなかった。行きたい大学があったのに、頭を殴られて、無理やり国立に行かされた…。
そして、大人になってもなお、支配しようとしていたわけだ。
「………」
これのどこに、感謝を伝えればいいのだろう?
見つからないよなあ…。
「…………」
紗枝が僕の手を握った。
我に返り、彼女を見る。
紗枝はにやっと笑うと、力強く頷いた。
「ミヤビさんはミヤビさんが思うことを、言えばいいと思うよ」
「……」
「その声で」
彼女のその言葉に、手の震えが止まる。
僕はため息をつくと、仏壇の方を向きなおった。
遺影の中の祖母が顔を顰めている。
僕をにらんで、「何をする気だい?」「早く言わないか」と急かしてくる。
僕は頷く。
「久しぶりだね…」
僕は右脚を上げた。
その奇妙な行動に、伯父さんと奥さんが怪訝な顔をした瞬間…。
僕は祖母の遺影に、強烈な蹴りを加えていた。
バキッ! と乾いた音がして、表面のプラスチックに亀裂が入る。そのまま貫いて、祖母の顔面に大穴を開ける。破片を散らしながら足を抜くと、勢いそのままに、仏壇前の灰を蹴り飛ばした。
灰がこぼれ、たちまち、あたりが白く染まる。
「ミヤビ君! 何をやっているんだ!」
伯父さんの怒鳴り声に負けないよう、喉が切れんばかりの声量で言った。
「ざまあねえな! このクソババアッ!」
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