終章『ざまあねえな、クソババア』

 遠出の支度を終えた僕たちは、布団に入り仮眠をとった。九時過ぎに目を覚ますと、一緒にシャワーを浴びた。

窓の修理業者が昼前にやってきて、割れたガラス戸は新しいものに変わった。新しいガラスは、汚れがなく透き通っていて、向かいの道路の様子がよく見えた。なんだか得をした気分になった。

 お昼を一緒に食べて、十四時前に部屋を出る。

裏口を通って駅の方に行こうとすると、背後から笑い声がした。

 見ると、電柱の陰から、昨日の奴らがこちらを見ていた。

「うわ、マジで男と一緒にいるよ」「気持ち悪」

なんて、聞こえる声。手には小石。

 その顔、よく覚えているぞ。二か月前に、僕をぼこぼこに殴りつけてきた、憎き男だ。

「ねえ、早くいこうよ」

 紗枝はそう言って僕の袖を引っ張ったが、また窓ガラスを割られても困る僕は、彼らに近づいて行った。

 一瞬は、怯んだように見えたが、すぐに僕のことが、二か月前に殴りつけた冴えない男であると気づき、手のひらを返したように凄んできた。

「なに? おにいさん」「なんか用があるの?」「俺たちここでしゃべっていただけなんだけど」「ってか、お兄さん、女子高生と一緒にいて大丈夫なの?」「援交だよそれ」

意味の分からないことを言ってくる。

 一人の男が、持っていた拳を振り上げ、投げた。

 小石は一直線に飛んでいき、新しく変えたばかりの窓に激突。ビシッ! という嫌な音とともに、蜘蛛の巣状の亀裂が走った。

 紗枝が「あ…」と声を上げる。

 僕は真顔のまま、頷いた。

 次の瞬間、向こうから、交番のお巡りさんが走ってきて、彼らに声をかけた。

「ねえ、ちょっと、きみたち、今何やったの?」

 突然の警察の登場に、一団は蛇を目の当たりにした猫のように跳ね上がった。「逃げろ!」という誰かの一言ともに、蜘蛛の子を散らしたように走り出す。だから僕は、一人の足を引っかけた。

「うお!」

 そいつはみっともない悲鳴を上げて、顔面から転んだ。

 アスファルトの上に鼻血を滴らせながらのたうち回る。「てめえ、ふざけんなよ」と喚いたが、実際に襲い掛かってくることはなかった。

 立ち上がろうとしたから、僕はその股間を蹴っておいた。

 響き渡る断末魔を聴きながら見ると、警官の方も、一人を捕まえて、アスファルトに組み伏せていた。

 振り返ると、紗枝が目を丸くして立っていた。

「警官が近くにいるって、知ってたの?」

「いや、知らなかった」

「じゃあ、どうするつもりだったの?」

「…どうするつもりだったんだろうな?」

 僕は肩をすくめて笑った。

「まあ、なんとかなるだろうって…」

 運よく駆けつけてくれたお巡りさんは、どうやら、昨日のガラス戸事件の話を僕に聞きに来たらしかった。でも、タイミングよく犯人を捕まえたからその必要はなくなった。

「それじゃあ、また話を聞くかもしれないから」

 お巡りさんはそう言って、二人の少年を連れてどこかに行ってしまった。行先は学校か、自宅か、交番か…。まあ、そこまで大事にはならないだろうな。注意されて終わりだ。それでも、軽いお灸にはなるんじゃないだろうか?

 予定が大きく狂ったものの、僕たちはまた駅に向かって歩き始めた。

 特急電車に乗り込み、二時間。

 駅を降りると、タクシーは拾わず、歩いて実家に向かった。

 途中、紗枝が「疲れた」と言ったので、道中にあった喫茶店に入り、軽いお茶をした。祖母が生きている頃じゃ、「買い食いなんてするな!」と怒鳴られて、殴られていたことだろう。

 休憩した僕たちは、改めて歩き始めた。

 そして、西の空が血のように赤くなるころに、祖母と暮らしていた家にたどり着いた。

「へえ、ここが、ミヤビさんの家かあ…」

 紗枝が興奮したように言う。

「おばあさんの家なだけあって、和風だね」

「…そうだな」

 大学進学のために出て行った時と、何も変わらない。築四十年の和風建築。壁は雨風にさらされて黒ずみ、塀は道路側に傾いている。私道だからいいものの、これが通学路の途中にあればクレームものだろうな。

 祖父が生きている頃は手入れが行き届いて、綺麗らしかった庭も、雑草が荒れ放題。松の木の下には、茶色になった枝葉が落ちていた。

 祖母の家には、もう誰も住んでいない。父は、僕が大学に進学する前に、「お前を自立させる」という言い訳を吐き捨てて逃げた。伯父も結婚しているから、ここにはほとんど帰ってこなかった。

 もう誰もいない…と思っていたのだが、扉に手をかけると、あっさりと開いた。

「…………」

 まるでホラー映画のワンシーンのように、息を呑み、恐る恐る開ける。

「ごめんください…」

 自分の住んでいた家だというのに、よそよそしくそう言うと、奥の方から返事が聞こえた。

「はーい!」

 僕と紗枝は顔を見合わせた。

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