「…なんで、喋れないの?」

 それを合図に、腹の底に小さな黒い粒が集まり、留まるような感覚がした。それは、ざわざわ…と蠢きながら溜まっていき、僕の喉の奥にまで込み上げた。咄嗟に首を絞めたが、水道を指で抑え込むことができないのと同様に、溢れ出す。

 次の瞬間、僕は天井を仰いで、めちゃくちゃな声をあげていた。

「あああああああああああああああっ! あああああああああああっ! あああああああああああああああああっ! ああああああああああああっ!」

 水上が驚いて顔を引く。

 僕は頭を抱えると、床に額を打ち付けた。

「うるさいうるさいうるさい! うるさいうるさいうるさいっ! うるさいうるさい! うるさいうるさい! うるさいっ! うるさいうるさいうるさい! うるさい!」

 肺の中の空気が無くなるくらい、叫ぶ。

「うるさああああああああああああああああああああああいいっ!」

 我が身を抱く様にすると、腕をガリガリと掻いた。

「死ね! 死ね! 死ね死ね死ね死ね死ね死ね! 死ね死ね死ね死ね! 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね! 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね! 死ね死ね死ね死ね! 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね! 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね」

 爪が皮膚を抉り。血が溢れる。

 喉に亀裂が入ったみたいに、激痛。

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」

 ずっと喉の奥でせき止められていたものが、すべて溢れ出したみたいだった。

 そして、静かになる。

 腹から込み上げたものを全て吐き出した時、僕は全身に脂汗をかいて、口や鼻からはだらしなく涎と鼻水が垂れていた。身体中の関節はキリキリと軋み、まともにしゃがむことができず、床に伏すような体勢となった。

 ああ…、やっちまった。

「…………」

 顔を上げると、水上は想像通りの顔をしていた。

 突然叫ぶ僕に恐怖し、身体を強張らせ、目からは大粒の涙を流している。失望した…いや、裏切られたように、唇を小刻みに震わせ、歯をカチカチ…と鳴らしていた。

 そして、胸に宿る初めての感情をどう表現すればいいかわからず、一番近いと思う言葉で、僕に言った。

「…ごめんなさい」

「……ち、が…」

 違うんだ。君に言ったつもりじゃない。

「……ち、が、う…、か…」

「本当に、ごめんなさい」

 水上紗枝が立ち上がる。僕の横を通り過ぎて、扉を開けた。

「ま、ま、あ…」

 待ってくれ。違うんだよ。

「今まで、ごめんなさい」

 水上紗枝は何度もそう言った。

「あ、う…、ち、あ…」

 違うんだ。君を傷つけるつもりはなかった。

 靴を履いた水上が、外に飛び出す。僕は腕を伸ばしたけれど、指は空を切った。

 僕と彼女との関係を阻むようにして、扉が閉まる。

 僕は体当たりをするようにして扉を開け、通路に転がり出た。顔を上げた時にはもう遅く、彼女は階段を降りて、向こうの路地の向こうに走って行ってしまった。

「あ、ああ…、ああ…」

 僕は言葉にならない声を発すると、頭をガリガリ…と掻いた。

 違うんだよ。そういうつもりじゃなかった…。君を傷つけるつもりなんて、無かったんだ…。

「ああ、ああ…」

 歯を食いしばる。ああ、そうだ…。

「しゃべ、しゃれ、ない…、んだ、よ…」

 いつからなのかはわからない。

 気が付くと…。

 僕は声が、出せなくなっていた。

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